「金刀比羅」「金毘羅」は現地の表記に拠りました

故 郷 発 見 5 (こんぴら篇)

2002/06/16


表書院


旭社


神楽殿

 讃岐のこんぴらさんとして親しまれている金刀比羅宮には、子供の頃から何度も行った。しかし、なぜか夏に行くことが多く、たいてい暑くて途中で引き返してしまうため、未だに奥宮までの1368段を制覇していない。もしここに白峰神社があると気付かなければ、再び登ることもなかったのではないかと思う。
 それにしてもなぜ金刀比羅宮に白峰神社が?
 表書院の観覧案内図によると、大物主神(大国主命)を祭神とする海の守り神として信仰を集めてきた金刀比羅宮が神社としての形を整えたのが長保3年(1001)。その後、保元の乱(1156)に敗れて讃岐に流された崇徳上皇が、死の前年である長寛元年(1163)に金刀比羅宮に参拝の上、参籠したことから、崩御後の永万元年(1165)に金刀比羅宮に合祀されることになったという。
 梅雨入り宣言以降まったく雨が降っていないという讃岐路はまるで真夏のよう。宇多津から土讃線(各駅停車)で6つ目が琴平だ。JR琴平駅から大門まで歩くと、日曜だというのにほとんど人影がない。両脇に土産物屋が並ぶ階段を登り始めると、少し人が増えてきた。どうやらバスツアーの客が主流で、駅周辺が寂れてしまったらしい。
 しばらく行くと学芸館があり、今年4月から高橋由一の油絵27点が公開されているという(入館料300円)。高橋由一は明治12年に作品35点をスポンサーである金刀比羅宮に奉献しているが、さすがに日本洋画界の魁だけあって画に力がある。次に隣の宝物館コレクション展(入館料300円)で、狩野派の絵や重要文化財「十一面観音立像」などを見た。思いがけず、崇徳上皇の御宸筆も拝観できた。
 少し階段を登ると、右手に表書院がある。ここに円山応挙の障壁画90面(重要文化財)があるというので、入館料300円を払って入る。「金刀比羅宮表書院観覧案内図」に、表書院は万治年間(1658〜61)の建造物で、重要文化財の指定を受けていると書かれていた。応挙は、天明7年(1787)に「虎ノ間」「七賢ノ間」「鶴ノ間」を、寛政6年(1794)には「滝ノ間・山水ノ間」を画いている。ガラス越しながら、円山応挙の世界に圧倒された。こうしてみると、金刀比羅宮は信仰の場というだけでなく、芸術家をスポンサードしてきた存在としても軽視できないことがわかる。
 表書院から少し登ると旭社だ。さらに行くと、本宮の手前右手に神楽殿があり、その向こうに「こんぴら狗みくじ」なる幟が立っていた。関東を中心に行なわれていたというこんぴら代参犬の存在を私は初めて知った。初穂料と道中の食事代を首から下げて旅人に託された代参犬が金毘羅詣りを終えて再び飼い主のもとに帰って行く風習に私は感動した。今の世なら途中でお金を盗られる危険や交通事故に遭う危険を回避するのが大変だろう。
 奥宮に向かって登ると、紫陽花の向こうに白峰神社の鮮やかな朱塗りの社殿が見えてきた。俗世から隔離されたこの世ならざる光景に達成感を得た私は、またしても奥宮に行かずに下りた。途中、天保6年に建てられた「金丸座」(重要文化財)に立ち寄った。いつか日本最古の芝居小屋で「こんぴら歌舞伎」を見られるだろうか。

こんぴら狗みくじ


白峰神社


金毘羅大芝居「金丸座」


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