故 郷 発 見 (番外篇)

2002/06/14


白峯神宮


白峯神宮・能舞台


御室仁和寺・五重塔

 4月に白峰神社白峯寺に行ったのをきっかけに、インターネットで崇徳上皇を検索し、京都に白峯神宮が、さらに讃岐の金刀比羅宮にも白峰神社があることを知った。それなら以前から行きたかった御室仁和寺も訪ねようと、宇多津への帰途、京都で一泊することにした。5月19日のリサイタルのあと、連日15時間以上の執筆を続けていたため、体力にはかなり不安があったものの、無事に京都へ到着。久しぶりの京都の町は日差しが強く蒸し暑い。私自身、外を歩くのが久しぶりとあって、この暑さには閉口してしまった。
 まず最初に地下鉄・今出川駅から炎天下を約10分歩き、白峯神宮へ。そもそもここは幕府に神宮御創建を命じた孝明天皇が崩御されたため、明治天皇が遺志を継ぎ、公卿・飛鳥井家邸地に崇徳上皇の御霊を移されたものだという。明治に改元される2日前の慶応4年9月6日、崇徳天皇の皇霊が讃岐国白峯御陵より遷奉された。
 昭和39年9月21日には薪能も始まったとのことで、能舞台もあった。
 そこからタクシーで(平成6年に世界遺産に登録された京都のお寺の一つ)御室仁和寺へ。実は母方の祖先が、室町時代に宇多津に派遣される前の京都時代からずっと900年ほどお世話になっているというので、いつか仁和寺に行ってみたいと思っていた。
 仁和4年(888年)、宇多天皇によって創建された仁和寺は、明治維新まで皇子皇孫が門跡となられたため、御室御所と称ばれてきた。重厚な二王門(重要文化財)をくぐり、すぐ左手の本坊表門から宸殿に入ると、簡素、清楚という言葉がぴったりの佇まいと、箱庭的美しさをもつ南庭・北庭に心洗われる思いがした。
 さらに本堂に向かって中門をくぐると、右手に五重塔(重要文化財)があった。正面の金堂(国宝)は、寛永年間に仁和寺が再興された折り、京都御所の紫宸殿を移築して本堂にしたという壮麗な建物である。
 次に四条河原町に向かい、八坂神社界隈にあるという崇徳天皇御廟を探す。花見小路から少し入ったところに鳥居があったので中に足を踏み入れると、安井金毘羅宮があった。なぜ京都に金毘羅宮が? 讃岐の金刀比羅宮とどんな関係があるのだろうか。
 この安井神社の境内には、崇徳天皇がよく見にいらしたという藤棚があった。なかなか風情のある空間だが、ここに崇徳天皇御廟はなかった。
 外に出て100mほど歩くと左手に石碑が見えた。格子戸から中を覗くと小さな塚のようなものがあり、白峯神宮がここを管理していると書かれていた。白峯神宮に比べ、こぢんまりしているのは、ゆかりの地としてとどめられているだけだからか。
 それにしても、崇徳上皇が崩御されて700年も経ってから京都に御霊をお迎えするとは、いかなる理由があったのだろうか。いつの世も権力争いの凄まじさよ。
 偶然、八十場で天皇寺を見つけたことで、五色台の白峯寺・白峯御陵、さらに京都の白峯神宮まで来てしまった。讃岐に生をうけながら地元の歴史や神社仏閣に無関心に生きてきたが、琴平の金刀比羅宮の本宮から奥宮に行く途中にも白峰神社があると知った以上、「こんぴらさん」にも登ってみるしかあるまい。

安井金毘羅宮


安井神社


崇徳天皇御廟


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