とんぼ玉との出会い

94年の春、近くの本屋でとんぼ玉の本を見かけたのがきっかけでした。そのときは綺麗やなと見ていただけだったんですが。

それから、とんぼ玉をあちこちの店で見かけるようになりました。

古いものの色合いや模様に惹かれるような年になったんでしょうか。

ただ、値段が思いの外高くて、「こんなん買われへん、なんでこんなに高いんやろ、作れるんとちゃうか、よし作ったろやないか」。

小学校のときから、ものを作ったり絵を描いたりするのが苦手だったのに、不思議に作れそうな気がしたんです。

習いに行く性分じゃあないし、本を買ってきたら、なんとかなるだろうと・・・・。

でも、いざ作ろうとすると、材料、道具などわからないことだらけ、とりあえず身近にあるものを手当たり次第に試してみました。

クリーニング屋のハンガーを伸ばして作った針金に粘土を直接つけて火にかざし、粘土が爆発したこともありました。

色ガラスは瓶のガラスを使えるだろうと思っていたんですが軟化温度が高くてだめで、ようやく手に入れたのもソーダガラスでした。

東急ハンズでやっと鉛ガラスに出会いました。

バーナーはキャンプ用を使っていたんですが、冬にはガスが気化しにくく、手で暖めながら作っていました。

テレビでとんぼ玉の作り方の特集があり、剥離材を泥状にする事を知りましたが、房州粉が手に入りませんでした。

植木に使う鹿沼土を粉にして、ストッキングを何枚か重ねて、砂をふるい分け、粘土に混ぜなんとか使っていました。

気にいった色ガラスがなく、、思ったようにはいかず、花や小物(写真のもの)を作ったりしていました。

ある日、勤務先でガラス細工をしていると話をしたら、同僚がこんなことを言いました。

「この辺は(高石、和泉)昔からガラス玉や模造真珠をつくっていたんや、ガラスを作っていた工場もたくさんあったんや、今はもう数軒しかないんとちゃうかなー。」

ということで、勤めていたところから自転車で10分ほどの距離に佐竹ガラスがあったのです。

灯台もと暗し、と言うか・・。

一本いくらでなく、重さで買えるので細いガラスを買うことができました。バーナーの火力が弱いので苦労していたんです。

房州粉も分けて貰いました。

とんぼ玉と言えるものが出来るようになってきたのは2年ほどしてからでしょうか。

ガラス細工用のバーナーを使うようになって、火力の心配をしなくてすむようになり、とんぼ玉も大きくなり、技術的に可能性が増えました。

いろの組み合わせ、重ね合わせ?は思うようにいかず、とにかく作って見るしかないようで、模様の付け方もパズルを解くようなところがあります。

すばらしいものが出来たと感激していても、2日もたてばここが、う〜ん、もうちょっと何とかなるんとちがうかなー。

なかなか気に入ったものが出来ないんですが、いつかきっと、人の心を魅了するものが作れるんだと。

98年の暮れに水中花?が作れました。それは偶然の積み重ねから出来るようになったのです。

友人の娘さんにと、花模様のとんぼ玉を作って家族に見せると、こーしたらとか、あーしたらと注文されました。

作り方を全く知らない家族からの注文はとんでもないものだったんですが、それらを集約して作ると見事に水中花が・・。

満足な花心が出来るまではそれから4ヶ月ほどかかりました。

出来上がったものをある人に見せると湖花という名を付けてくれました。

その人にあげたんですが、いつも付けて大事にしてくれています。

作ったものは分身のようなもので、愛おしく手放す気にはなれないんですが、大事にされているのを見ると嬉しいものです。

ただ、いくらそのときに、これならと思う作品をあげても時間がたてばたつほど、未熟なものを渡してしまったと後悔をします。

そんな思いを話した人に言われました。

もらった人にとっては、それが世界でただ一つもの、あなたとは違う人生に寄り添うんですよ。

友人に無理矢理見せようと、98年の6月11日にHPを開設しました。

たくさんの人が見に来てくれるようになり嬉しい限りです。

見に来てくださったかたの、とんぼ玉作りに少しでも役にたてればいいんですが。 

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