「親の思い子の思い」 修養科感話

 私の家は教会で母親が会長を努めています。それでは父親はと申しますと、京都市の水道局に勤めています。
 私の家の信仰は母方の曾祖父に始まり、祖父母がにをいがけ、おたすけにつとめて今の教会のお許しを頂きました。もともと祖父母には、長男、長女、二男、二女と四人の子供がおりました。その長女が私の母親です。しかし、長男、二男が幼くして次々と出直し、後継者となったはずの母も、ほとんど信仰の無い家に嫁いでいきました。また二女も他の教会へ嫁いでいきました。そして後継者の定まらぬまま祖母が会長を勤めるその教会に十年の歳月が流れました。
 そこで大きな節が待っていたのです。それは初代会長である祖母の出直しです。事実上の後継者である私の母親に祖母は「教会を継いでくれ」とはひと言も言わなかったといいます。母親もそれを言い出せずにいました。
 既に末期の子宮癌に侵された祖母はほとんど意識なく、あまりに痩せて小さくなった姿は、高校生だった私には「本当にこれがあのおばあちゃんなのか」と疑わしく思えるほど痛々しいものでした。そしていよいよ最後というとき、悩みに悩んでいた母親は意を決して「私が教会を継がせて頂きます。」と祖母に伝えました。そうすると祖母は、うっすらと微笑みを浮かべながら母親を見つめてこう言いました。「そうか、継いでくれるか、そやけどしんどいなあ」。これが祖母の最後の言葉でした。
 祖母との約束を果たすべくそれから母親の会長生活が始まりました。普通の主婦が突然教会長になったのです。戸惑う事ばかりだったに違いありません。しかし、ここで忘れてはいけないのが父の協力です。休日はもちろん平日も仕事が終わってから、上級の御用、講社祭にと忙しい母親を乗せて車を走らせます。
 自分の妻といえども理の親です。以前は周りから「ご主人、奥さん」と呼ばれていたのが、今では母親が「会長さん、先生」と呼ばれるのに対して、父親は何をするにも「哮三郎さん」と名前で呼ばれます。しかし父親はその事に対して不足を言ったことはありません。
 がんばっている両親に対してなかなか変われなかったのが私たち兄弟でした。当時高校3年生だった私、中学3年の弟、小学校5年生の妹は母親に対していつも不足ばかり言っていました。
 教会長は多忙です。私たちの夕食が夜8時9時になるということも珍しくありませんでした。休みの日などは三食ともカレーライスという日もありました。そこで口の悪い弟が言いました。「会長の仕事すんのもええけど、ちゃんと母親の仕事をまっとうしてからやってくれ」。私も皮肉たっぷりに言います。「この家には母親なんていないんや、ここにいるのは教会の会長さんや」と。その時、母親はどんな気持ちだったでしょう。
 ある日の事です。母親に頼んでおいた用事が出来ていないと、小学生の妹が母親と口論していました。「なんでやってくれへんの」「お母さんかて忙しいんや」そうしているうちに妹は急に泣き出して部屋へこもってしまいました。
 しばらくして妹も反省したのかおわびの手紙を書いて母親に手渡しました。そうすると今度は母親から妹に一通の手紙が渡されたのです。妹は「これどういう意味やろと言ってその手紙を私の所へ持ってきました。そこには一つの歌が書かれてありました。
 私の母親は典型的なB型人間といいますか、明るく楽しいのが取り柄で、しんみりと歌を詠むようにはとても見えないのですが、そこは苦心して詠んだに違いありません。
 「豆つぶのネオンの元の我が家に いかにいますやはらからの 心は飛びぞ車窓より見る」
  私の教会は京都府南部の近鉄沿線にあります。そして教会のすぐ側にパチンコ屋があるのです。京都から近鉄に乗って宇治川を渡ると、広大な水田が広がっています。そして広く広く続く水田のはてに町並みが見え、その端の方に、そのパチンコ屋のネオンの光が、まるで豆粒のように見えるというのです。
 御用で帰宅の遅れた母親がその途中、「遠くに見える豆粒の光の元にいる子供たちはどうしているだろう。おなかをすかせてひもじい思いをしていないだろうか、自分のお腹を痛めて生んだ子を思って、早く帰りたい、帰ってやりたいと、少しでも早く降りれるように、電車の出口に寄りかかりながら心は遠く我が家へ飛んでいる。」
 この歌を読んだとき、私は胸が熱くなりました。事あるごとに、さも「母親失格」だと言わんばかりに不足をいっていた私たち。神様のため、人の幸せのためにつくす母にこれ以上とない辛く悲しいその言葉を、母はいつもどんな気持ちで受け取っていたのでしょう。
 それからまた十年の歳月が流れました。相変わらずの生活が続きましたが、三人の兄弟は立派に成長させて頂きました。
 この修養科で学ばせて頂いて、母親に対する感謝の心が一層深くなりました。今は祖母から母に伝えられた思い、そして母から私たちに掛けられた思いを大切にして、お道の上にがんばらしていただかねばならないという使命感でいっぱいです。                                                    ご静聴有り難うございました