大八車に家財道具を積んで母が引く。幼い私は車に乗ったり後押ししたりしながら母の実家のある大原に向かう。戦時中あちこちに見られた疎開の風景であるが何も分からぬ私は楽しくて仕方がなかった。生粋の大原女だった母の足はたくましく一里二里の道を苦もなく早足で歩く。紅葉は例年通り変わることなく寒さ厳しい山間の村を赤に黄に錦を織りなし染めていく。流れる水の清く冷たくあちこちからたなびく煙の、なんともひなびた匂い。段々畑の向こうに遠く茅葺きの屋根が並ぶ。
 あれから何十年かが過ぎ、今は母もこの世になくあの茅葺きの家もない。せめてお墓参りでも、と一人竹箒をにぎって行くと、可愛いお地蔵さんがそこここに今も変わらず微笑んでいるようにおられる。母も幼い頃拝んだのではないかしらと、思わずしゃがみ込んでしまう。
 ざわざわと竹藪は騒ぎ、人気の無さに段々心細くなって胸がドキドキしてくる。お墓にようやくたどり着き、墓地から見える清流と辺りに漂う柴漬けの香り。ああ母の匂いがする。                                        昔は家々独特の漬け物が漬けられていた。母はいつも「紫蘇の葉だけは大原のものやないとあかんのえ」と言いつつ、綺麗な柴の汁で手を赤く染めて楽しげだった。
 私は柴漬けをあまり好きではなかった。細かく刻むのも面倒だし、あの酸っぱさがどうも好かん、と思っていた。今この年になってなつかしい香り、味もいいな、と思えるようになった。人間も年を経て値打ちが分かってきたのかしら、母の年になったからかな、と思う。
 茶店のおばさんに聞いてみた「これ、おばちゃんが漬けはったん、おいしそうやね、ひとつもらうわ」「ここへ来るとやっぱり懐かしいやろなあ、いつでも寄っとくれえな、ひとつおまけしたげるわ」やて、なんかお母ちゃんに逢ったみたいやなあ。
 その香りにしばしうっとりするすきに山間の日暮れは早く、あたりは薄墨の中に没していく。