もう十年前になりますので記憶もあまり定かではないんですけれども、こどもおぢばがえりの京都教区少年ひのきしん隊というのがありまして、それに、ちょうど教会から多く参加して下さっていた。てっちゃん、みわちゃん、遠藤正人、良二、陽子、みんな中学生だったわけですけれども、子供ミュージカル劇場の出演とひのきしんを朝早くから、一日中がんばってくれていたんです。自分は当時天理大学の4年生で、カウンセラーという立場でみんなの世話取りをさせてもらっていた。てっちゃんはこの話の主人公なのでよく覚えていると思うんだけど、最終日の前日、講話の最中にてっちゃんが「頭が痛い」と言ってきたので、会場から出して、休憩所の長椅子に寝かせた。しばらくたっても良くならないので、先生に言って車で迎えに着てくれるように連絡した。そのとき、長椅子に寝ているてっちゃんの横で車を待ちながら、ふと「おさづけ」を取り次がせてもらおうかなと思った。それまでおさづけを取り次いだことがなかったけれど、取り次がせてもらわなければならない、とおもったんだけど、結局、まわりにいるたくさんの人の目が気になったり、これぐらいなら大丈夫という気もして言い出せなかった。そうしている内に先生が来て、車で宿舎に連れて帰って下さった。
 ひのきしんも終え、宿舎に帰ったとき、救急車が来ていた。まさかと思ったけれど案の定、てっちゃんが運ばれていくところだった。
 そのとき、ものすごく後悔をした。あのときおさづけを取り次いでいればと、当然、おさづけですっきり御守護頂けたかどうかは分からないけれど、今、そこには、「おさづけを取り次げなかった」という事実だけがのこっている。
 それから病院から、てっちゃんが重体だ、という連絡が入り、京都教区少年ひのきしん隊全員でお願いづとめをさせていただき、スタッフみんなで神殿でお願いづとめをして、憩いの家に行かせてもらった。その後病状は好転し、すっきりと御守護頂いたんだけど、たしか、トイレに全く行ってなかったので強度の便秘、問いかけても応えなかったので重体。本人は聞こえてたんだけどしんどくてこたえられなかったということ。そのとき、ここだというときにおさづけを取り次がなければ大変なことになると神様に仕込まれた気がして、それ以来比較的、素直にどこでもおさづけを取り次がせてもらえるようになった。
 つとめとさづけ。これが親神様が人間を助けるためにお与えくださった方法だとおっしゃる。つとめとさづけによって、どんな御守護も与えると親神様はおっしゃる、神はあるといえばある、無いと言えばない願う心の誠から見えるりやくが神の姿や。とおっしゃるように、願わずして御守護はありえませんね、そしてその根本には、神はあるという絶対的な信念がなければ御守護はいただけない。身上で悩む人に対してもなかなかおさづけを取り次ぐことが難しいという人には、つとめを勤めるという方法も用意してくださっている。家々のお祭りしていただいている親神様に対して、日々の感謝と、どうぞあの人を御守護くださいと素直な心で頼んでおつとめすれば、必ず親神様は御守護くださると信じております。 教会後継者が回りの目が気になっておさづけを取り次げなかったというなんとも様にならない懴悔話でしたけれども、今こうして結構に通らせていただいているのも御守護やなあと思わせていただいている今日この頃であります。