私は今まで大した身上、事情もなく結構に通らせていだいておりましたので、皆さんの前でお話しすることは、これといってないんですけれども、少し感じたことをお話しさせていただきます。
 この講習に参加させていただきましてすぐの頃、その前の親里大路、第五食堂の裏で大きな事故がありました。聞くところによりますと21.2歳の大学生がスピードの出し過ぎでカーブを曲がり切れずガードレールに激突して出直されるという事故という事、今も多くの花が手向けてありますけれども、そこは事故で出直した青年の写真もおいてあったんですが、その写真を見て、年配の講習生の方々が「かわいい顔してかわいそうにな」「ホント親はたまらんで」と話をしておられた。その会話を聞いて、自分はある信者さんを思い出したんです。
 もう10年前になりますが、武智修さんという信者さんなんですが、天理大学を出てある会社に勤めておられた。3月の事だったと思うんですが、友達と二人でスキーに行こうというので、夜は10時頃まで仕事をして、その足で車を運転して信州の方へ向かった。左に折れる見通しのきかない緩いカーブで居眠り運転をして反対車線に出て、運悪く前からダンプカーが来て、正面衝突し、その方が即死するという事情があったんです。助手席に乗っていた友達は奇跡的に軽症で済んだということなんですが、幼いときから知っていた方なので自分もショックを受けたんですが、何よりそのご両親を見るのがつらかった。一人息子ということもあって、悲しみ方は言葉に言い表せない程だったんです。十年たった今、講社祭などで寄せて頂くことがあるんですが、今も家中その息子さんの写真が張ってある。息子さんの部屋もまだ手付かずでおいてあるという事、両親とも、もう八十才になられるということで、このキズは一生消えることはないと思う。これが親の心。
 この「桂平泉」という教会は、うちの祖母が初代なのですが、祖母は二十才くらいで京都の大原の田舎から京都の市内に出て、単独布教をし、上級の教会に住み込んでいた祖父と結婚するとすぐに夫婦で布教に出たという位、お道に熱心な人だったんですけれども、ある日、大原の知り合いの家のお葬式にいったんですね、そこは、若くして出直した男の子のお葬式だった。お寺さんでのお葬式だったんですけれども、皆が一人一人、お悔やみの言葉を色紙に書くことになって、祖母も頼まれて書いたんです。それが祖母はそこに「親死ね、子死ね、孫死ね」と書いた。それを見た周りの人は怒ったんですね、「子供を亡くしたといって悲しんでいるのに、まだ、親も死ね、孫の死ねというのか」と、みんなはうちの祖母が熱心な天理教信者だということも知っているし、お寺でのお葬式なので、みんなは祖母が嫌がらせに来たと思った。しかし、そこで祖母は「これが天の理やで」と言ったんですね、「これが本当のご守護なんや」「これが本当に幸せなことなんや」と、「親は子に見取られて出直し、子は孫に見取られて出直す。孫はひ孫に見取られて出直す」。順序を言ったんですね。祖母自身、四人の子供の内、二人を幼くして亡くしているんです。誰よりもその母親の悲しさを分かっているんです。「不足」ではない、ただ「願い」なんです。
 「しゃぼんだま」という歌があります。これは作者の野口雨情が生まれてすぐに出直した、自分の子供の命を「シャボン玉」にたとえて歌ったという歌らしいのですが、「風、風吹くな」ではなく「風邪、風邪ひくな」。「シャボン玉のようにか弱い幼い子供の命よ、どこまでも飛んでいっておくれ」という願いの歌なんです。この、祖母の言葉も「もう自分の子供を失う悲しさを味わいたくない」「子供を失って悲しむ親の姿を見たくない」という悲痛な叫びです。これが親の心なんです。
 もう四、五年も前の話なんですが、ちょっと「ウツ」状態になりまして、といったらおおげさですけれども、失恋して三日間ほど落ち込んでいただけなんですけれども、それより風邪をひきまして。風邪くらいだれでもひきますが、母親に冗談でこんなことを言った。「もう、わし死ぬかもしれへんわ、三十才までには死ぬような気がする。清水家の男は短命の因縁やしなあ、それに善人は早死にするっていうし」と全くの冗談のつもりだったんですが、母親は真剣に怒ったんですね、目を潤ませて、自分はなぜ怒るのか分からない。子供は親の心が分からないですね、これが親の心なんです。
 まずは、生きてさえすれば、何をやっていても、生きてさえいれば親孝行になると思うと少しは気が楽になりますけれども、しかし自分がいくら生きたいと思っても、その理がなければ生かしていただけない。自分の子供に長生きしてほしいと願っても、その理がなければ長生きしていただけないんだということを考えると、自分の場合は、このお道に伏せ込ませていただくことが大切なんだと考えさせてもらっています。