私には今も忘れられない言葉があります。
「もっと元気な姿をみせたいんだけど、ごめんなさい。」
本部勤務時代、同期だった彼は何度目かの手術を経て憩いの家に入院していました。同じ部署の数人でお見舞いに行ったとき、ベットに座って点滴の管を腕に刺しながら、時々顔をゆがめては私たちに謝るのです。
  彼は、好青年を絵に描いたような人物でした。国立大学出身の秀才で、涼しい二枚目。そして何よりとても優しい心の持ち主でした。
  それからふた月ほど過ぎた日の朝、彼が出直した事を聞きました。そんなに深刻な状態だとは知らされていなかったので本当に信じられませんでした。あの時、顔をゆがめてあやまっていた彼。それがどんなに痛く、辛かったのかをあらためて知りました。
  私はその知らせを聞いたとき、とっさに「神様はいない」と思いました。神様がいたならば、こんなに素晴らしい人間を死なせるわけはないと。しかし、その後すぐに、心の底から、違った感情がこみ上げてきました。それは彼に対する謝罪の気持ちでした。「私は健康な身体をお借りして何不自由なく生きている。彼はこんなに大変な身上を頂いても乱れることなく、苦しさの極みにあっても優しい心で周りを気遣い、親神様にもたれて精一杯生きたではないか。私が今、神様を否定したならば、彼の人格や一生を否定することになるのではないか」。私は情けない気持ちでいっぱいになり、彼のように真剣にお道を通ろうと思いました。それは、暗い井戸の中を底なしに落ちていく私を、親神様がしっかりと握りしめ、力一杯引き上げて下さった瞬間だったように思います。またそのように感じられたのは親々の信仰のおかげでもあったと思います。24歳、これが私の信仰の元一日となりました。
  東日本大震災後の3月15日、朝の番組で避難所に生活する少女のインタビューを見かけました。彼女は「家がない、家族がいない、ごはんがない、今までどれだけ幸せだったのかがわかりました」と涙ながらに答えていました。私は今でもその光景が忘れられません。何でもない普段の生活がいかに尊く幸せであるのか、生きているというだけでどれほど大きな御守護を受けているのかを教えられた気がしました。 あまりにも大きな節を前にして、親神様の思いを知ることはとても難しいことだと思います。しかし、今を生きる我々は、出直した多くの人々に、この世を陽気ぐらしの世界にするという大きな課題を、期待をもって託されていると思うのです。
  神殿を掃除しながらふと思いました。「人は出直せば親神様の懐に帰る」と言われる。ならば「人は親神様の懐から生まれ、懐へ帰っていく」とも言えるのではないか。「お花畑や天国といわれるものは、もしや親神様の懐のことなのか...」。をやの懐に抱かれて安らかに我々を見守ってくれている多くの人たち。その一人ひとりに恥ずかしくないような日々を、精一杯、まっすぐに勇んで歩ませていただきたいと思います。