私は半年ほど前からインターネットに接するようになって、現在では友達とのEメール交換やホームページを作って楽しんでいます。電話より手紙の方が好きな私には、とても気楽に情報交換ができるシステムですし、「あなたのホームページを見ました」と見知らぬ人がメールを送ってきてくれるのはとても嬉しいことです。

 あるとき、メールボックスを開いてみると、知らない人からメールが届いていました。その人は40才の男性で、24才のときに難病にかかってお道に入信し、御守護を頂いたのだけれども今も一人では歩けず、リハビリの毎日だということでした。家族の中ではその人だけが熱心な信者なのですが、教会の会長さんも遠方のためじっくりと話をすることはできず、お道の話をお互いにしあえる人を探していたというのです。それから何度かメールのやりとりをして色々と話し合うことができました。顔も見たことのない人ですが、その純粋な信仰心にこちらもとても影響を受けました。 「インターネット」や「Eメール」という言葉が氾濫し、使ったことは無くとも、この言葉を知らない人は少ないと思います。その便利さとともに、薬物の売買やプライバシーの侵害など、様々な事件にインターネットが関係し、得体の知れない恐怖や危険を感じる方も多いようです。

 文明の利器というのは両刃の剣で、利点もあれば欠点もあります。インターネットを使った色々な事件も、現実に起こっている事実です。電話やテレビや自動車にしても、その便利さに隠れて同じだけの危険性を含んでいます。だからこそそれらを扱う人間の姿勢が大切なのです。

 われわれが生きていくために必要不可欠な「火、水、風」の御守護。この御守護でさえも使い方をあやまれば、取り返しがつかないほどの大きな惨事を引き起こします。火は全てを焼き尽くし、水は全てを飲み込み、風は全てを吹き飛ばす。また、飲用水や大気が汚染されれば我々は生きていくことはできないのです。

 すべては使うものの心が大切だということです。親神様からいただいた御守護を御守護と感じて、その使い方に細心の注意を払うことはとても大切なことだと思います。

 世紀末と呼ばれる現在。「陽気ぐらし世界」を実現しようとする我々は、今を生かされていることに感謝しつつ、今一度社会全体を見直す勇気が必要なのではないでしょうか。それが、もつれた釣り糸を解くような、とても根気のある作業であっても、その糸をハサミで切り刻むような、世紀末に便乗した破滅的思想を許すことなく、私たちは、生きるために大切なのは何か、この社会を良くするためには何が必要なのかを、親神様の教えに基づいて見極める、厳しいバランス感覚が求められているのだと思います。