「これから教祖百十年祭を迎える時旬に、どうでも考えなければならないのは一手一つであります」と、真柱様は、本部春季大祭神殿講話において、教祖百十年祭に向けて全教が一手一つになることを強く要望された。このお言葉は、全教に向けて発せられたものであり、我々青年会員にとっても心して歩まねばならないお言葉である。我々青年会員にとって今、どのように活動することが、真柱様の求められるこの「一手一つ」につながるのだろうか、ここで一度考えてみたい。
 真柱様はお言葉の中で、北礼拝場の火災の節に触れられ、
 「北礼拝場の火災のとき、煙が出た、火が上がった、それを見た大勢の人々の動きが、私に一手一つほど強くて頼りになるものはないといういうことを教えてくれた。手を合わせて拝む者、水をかける者、あるいは畳を出しにかかる者、誰が指図をし、指導したわけでもないのに、それぞれが心の赴くままに動作してこの神殿を守ってくれた」とお述べになった。
 誰が指図したわけでもないのに、それぞれが自分のできることを駆使して、何とか神殿を守ろうと奔走した、その一手一つの姿こそ、今我々が求められている姿ではないだろうか。
 平安西分教会は昨年十一月に創立九十周年を終え、今、まさに全教会挙げて百十年祭へ邁進している最中である。その動きに呼応するように、我々平安西分会も活動の充実を目指して歩み始めている。ある意味で今が、新しい時代に向けての草生えの時期であると言えるかもしれない。青年会ひのきしん隊への参加、総会の動員など委員長を芯に積極的に活動を進めている。分会の中で、自分は何ができるのかを考えて実行すること、それぞれにできることは違っても、それぞれができる範囲で真実かけて行うことが青年会活動の充実につながり、また、青年会活動の充実が教会にとっても喜んでいただける種となり、教会内容の充実を真柱様は喜んでくださる。我々青年会員は青年会活動の充実をもって教会の手足となり、ともに百十年祭へ向かって歩ませていただくことが、真柱様の求められる「一手一つ」につながることなのだと考えさせていただく。