私の教会の庭にこの10年間に木々が育ちました。まったくの捨て育ちなのですが10年前にショッピングの店じまいということで、一本100円で売りに出ていましたので20本あまり買ってきました。ほとんど実のなるものばかり、みかん、りんご、柿、ぶどうなど、余裕が無くて植木屋には入ってもらえませんでしたので、荒れた土地に所かまわず植えたのが成長しました。
 同じ土地でありながら植えたときからそのままのもの、枯れ落ちたもの、見上げるような大木になり美しい花を咲かせ、たくさんの実のなる木があります。どうしてこう違うのかしらと思うとき、人の世界も同じなのに気がつきました。日々徳をつみ立派な教会長に成人されていかれた人を見るにつけ、「私は植えたときそのままの木やなぁ」と眺めております。時々ちょこちょこと花をつけて何とも頼りなげで、それも可愛いものなのです。
 この間、講習会の折りに大教会長様が言っておられたのですが
 「女の会長さんはとびぬけて立派な人とそうでない人、その間にサンドイッチ状に男の会長がおられる」とのことです。中にはほんのつなぎだと思ってる人、「私は息子にゆずるまでのつなぎですねん」ということなのだそうですが、成る程なあと感心したりしておりました。
 「教祖百十年祭を迎えるにあたり、日々喜びの心で勇んで通らせていただきましょう」と、口では軽く言っておりますが、苦しいことを喜びに変えて通るということは難しいことです。
 「みちのとも」に「喜べないことがおこってきたり、不足の心が湧いてくるのはすべて自分の心が高いからであります。どんな乾いたように思える土地でも1メートル、2メートルと掘り下げていけば必ず水がしみ出してくるのです。心の豊かさを求めるならばまず、自分の心を深く掘り下げていくことです。周りの誰よりも低いところに自分の心を置くことができたならば、喜びづくめの潤いのある日々を送ることができるでしょう。乾いた心の土を何メートルも掘ることは力のいる仕事ですが、特別の技術のいる仕事ではありません。誰にでも、いつからでも始めることができるのです。何を見ても何を聞いても喜べるところまで心を低くすること、つなぎに徹すること、これが心の普請の基礎です。教祖百十年祭に向ける三年千日の心定めの第一歩です。」と言われております。
 にをいがけ、おたすけは何としても低い優しい心で通らねばならないと思います。
 私の教会もこの三年程の間に出直す方が相次ぎ、寂しくなってまいりました。段々と思い出の方が多くなるのはこちらが年をとったということになるのですが、節からどんどん若葉を出し、古木は土にかえっていく、自然の摂理はたゆみなく繰り返されていると思います。魂の因縁により、細々ながら会長という立場におかれています私ですが、そうした私を子供たちはどの様な目で見てくれているのかと思います。長男が修養科時の感話のために「親の思い 子の思い」と題してこんな文章を書いてくれました。(別項)
 教会の場合、これくらいの苦労はどこにでもあることなのですが、私にとってはなんとも照れくさいことで、まずい短歌をこの様に感じてくれたことは本当に親神様の御守護というよりほかありません。かっこうのよいお道の母親が書かれていますが、けっしてそうではありませんので、高校生の息子とお互いなじりあって、とっくみあいのけんかをしたこともありますし、大声をあげたこともしばしばで面目まるつぶれのきままな母親です。今思いますと、子供に教えられて今日があるように思います。でも、みんなおかげをもちまして成長させていただきました。長男は当教会の青年として、会長様、奥様の親心あるおしこみを頂き、何とか通らせていただいておりますし、次男は会社づとめをさせて頂き、娘は看護よふぼくとして憩いの家で働かせていただくことになりました。
 憩いの家病院は今1350人の入院を待っておられる患者さんをを抱えるマンモス病院として立派な看護婦を世に送り出しております。
 娘が三歳位のころ、桂の家の前で私の母とボール遊びをしておりました。突然隣の奥さんが「おばあちゃん倒れはった」と駆け込んでこられましたので、あわてて外に出ると、細い溝の中にすっぱりはまり頭から大変な勢いで血が吹き出していました。娘は血を見て怖がって泣き叫ぶし、私は神様に「そこつな母親をお助け下さい」とひたすらお願いしました。幸いにも外科病院が同じ町内にあり向かいの幼稚園の若い先生が抱えて走り込んでくださいましたので大事にはいたりませんでしたが、母が、ようやく頭に包帯を巻いて帰ってくるや「けっこうなことや頭から血、たくさん出たし軽うなったわ」とケロッとしているので拍子抜けしたことがありました。娘は知らず知らずの間にこうしたことで看護婦を目指し始めたのかもしれません。今の姿を母に見せてあげることができたならどんなに喜んでもらえるかと思うと残念です。
 人はみないつか老いて出直していきます。
 「ものわすれ しげきなりつつ たずさえて 妻と行くとき その妻忘る」
という短歌があります。もの忘れが段々にきつくなってきて、外出したとき、その妻をも忘れてしまったというのですが、これはアルツハイマーではなくただの物忘れ。誰もが通る道です。
 どうかお年寄りを大切に、お年寄りは家の宝、教会の宝として大事にさせていただかねばならないと思います。
 みなせかいがよりおうてでけたちきたるがこれふしぎ
 ようようここまでついてきた実のたすけはこれからや
 いつも笑われそしられてめずらしたすけをするほどに
しっかりがんばらせていただきましょう。