只今は、当教会2月の月次祭のおつとめを賑やかに滞りなく勤められましたことを共々にお喜び申し上げます。また、本日は皆様方、それぞれに御用の有る中、またお寒い中ご参拝いただき誠にありがとうございます。
  お役を頂きましたので、少しの間ですが、つとめさせていただきたいと存じますのでよろしく御願いいたします。

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世の中には、似ているけれど意味の違うという言葉がたくさんありますね。
例えば、「おざなり」と「なおざり」。「おざなりに勉強した」と「勉強をなおざりした」では、意味が違ってきます。
「おざなり」はいいかげんに物事をすませる事。「なおざり」は何もせずに成り行きに任せておくことであります。
また、字は同じでも、読み方によって意味の変わる言葉もあります。
上の手と書いて、「じょうず」「かみて」「うわて」とそれぞれ読む。みな意味が違いますね。
似ているけれど、不滅と破滅では全く逆の意味。人から「頭が切れる人ですね」と言われるとうれしいけれど、「あなたは頭が切れてるな」と言われてもうれしくありません。
  この前、新聞に「下げる」と「下がる」の違いが書いてありまして、なるほどと思った事がありました。
「頭を下げる」と「頭が下がる」の違いであります。一文字違いでずいぶんと意味が変わってきます。ちなみに「頭を下げる人」とはどうゆう人かと言いますと、会社の上司、クラブの先輩、お客さん、目上の人。おおまかに言えば、尊ぶべき人、立場のある人、何かしらの関係のある人であります。
  それに比べて「頭の下がる人」とは、全く条件はありませんね。その人が「ああ、あの人には頭が下がるなあ」と思えば「頭の下がる人」であります。相手が、年配の人であっても、子供であっても、お金持ちでも貧乏でも関係ないし、知り合いでも他人でも、たまたまテレビで見た人や街角で会った人でもそのように感じる人はいます。
  私のまわりにも、多くの「頭の下がるな」と感じる人がおられます。それに比べて、私は、教会長という立場を頂いているせいか、お互いに挨拶などで頭を下げ合う人はおられますが、「頭が下がる」と思って下さる方はまずいないんじゃないかと反省するのであります。

 私の教会の信者さんに、今年94歳になられるご婦人がおられます。おととしの4月まで、宇治市にある教会の月次祭に、大阪市城東区の関目という所から、毎月欠かさず電車に乗り次いで歩いて参拝に来て下さっていました。小さな身体で、耳も遠くなってほとんど聞こえない中、暑い日も寒い日も、毎月参拝してくださる姿に、私はいつも「頭が下がるな」と感じておりました。
  昔の事をよく覚えておられまして、初代会長である私の祖母の話や昔の平安西分教会の話をよくしてくださいました。聞くところによると、その方が若いときに、夫婦仲がうまくいかない時があって少しの間、旦那と別れて平安西でお世話になっていたということでした。6年ほど前に、大腿部を骨折されたのですが、手術後3ヶ月で復帰して、また歩いて参拝してくださっていた。そして2年前に腰ついを骨折して入院。そのまま寝たきりになられる心配もあったんですが、持ち前の努力でリハビリに励んで、再び3ヶ月で歩けるようになられた。しかし、日頃は自宅でメッキ工場を営んでおられる、60才を過ぎた独身の息子さんと2人で暮らしてられるのですが、足下が危なく家事など行き届かない事があるからと、それから実家近くの老人ホームに入られる事になりました。そういった事情から、教会には参拝できなくなってしまったのですが、毎月、月次祭の翌日におさがりを持って行かせてもらいますと、いつも楽しみに待っていて下さっている。耳が大変遠いために、ノートに字を書いて物を尋ねると、返事は驚くほど大きな声で返して下さる。おさづけを取り次いでもらうことを待っておられて、今日はここ、今日はここをとお願いされる。ある時も、お下がりを持って行かせて頂いたときに、昔の話をしてくださる中で、平安西でお世話になっていた時のことを懐かしそうに話しておられたんですが、その時に大教会のある先生に聞いた言葉を、今も自分への戒めの言葉として大事にしているんだとおっしゃったんですね。
自分が、そればどんな言葉ですか、と尋ねますと
それは、
「心下がれば 身が上がる 心上がれば 身が下がる」という言葉だとおっしゃいました。
  私は、この方が60年も70年も昔に教えられたひと言を、自分の人生の指針として今も大切にされている事を知って、この言葉に、この方のこれまでの生き様を見る思いがしたのであります。
  先日、訪ねた時にも、ベットの横に、色紙で作ってもらった提灯のようなものが飾ってあったんですが、その側面にマジックで、みかぐらうたの一節とともにこの言葉が書かれていました。
まだ若いときに、私の祖母に導かれて信仰の世界に入ったものの、旦那さんは大の宗教嫌いで、天理教のことも大層嫌っておられまして、それでも少しの時間をみつけては、隠れるようにして、教会へ参拝しては信仰を繋いでおられました。そして旦那さんがなくなったあとは、月次祭への参拝が許され、大変熱心に信仰されるようになったのであります。そういう事もあって、 私は、その方の息子さんとは、ほとんど、面識がなかったのですが、入院のため月次祭に参拝できなくなって、おさがりを運ばせて頂く事をきっかけとして、老人ホームへ行く前に自宅へ立ち寄らせて頂くようになり、最近では月次祭翌日に時間を決めて行かせていただくと、いつも待っていてくださるようになって、お茶をよばれながら色々と話ができるようになってきました。
  これもまた、おばさんの信仰から生まれた、喜びの種として、少しでもその種から芽を出して育てていけるようにつとめさせて頂きたいと思っております。

 先月の26日、本部大祭はとても寒い1日でした。その時教祖130年祭から丁度2年たったんだなと思い。年祭のその日を思い出し、そしてあらためて感謝したのであります。
それは、この日、おぢばで私の教会の信者さんが命をたすけて頂いた日でもありました。
  当日、自分たちは、平安西の近鉄団参にあわせて、天理駅前に集まって、みんなで中大路を神殿の方へ歩いていきました。ご承知の通り、神苑はどこも参拝の人で埋め尽くされていて、自分たちは西のスロープを上がったあたりで参拝していたんですが、おつとめがはじまって、上半下りが終わろとする頃に、平安西のてるみ奥さんから嫁に電話がかかってきたのであります。
それは、「詰所から、桂平泉の信者さんが倒れたという連絡があった」そして「詳しいことが分かり次第また電話するので待っていてほしい」という内容でした。
  私は、突然のことで本当に驚き、周りで参拝している信者さん方の顔を一人ひとり確認しますと、一緒に歩いてきた中でそこに、顔が見えないのは、おつとめの後で娘さんと会うからとひとりで中庭の方へ歩いて行かれたSさんだけでした。Sさんは当時86才ながらとてもお元気で、毎朝教会へ日参してくださっているご婦人でありました。
  年祭のおつとめがつとめられる中、次の連絡が入るまで、私たちはそのおつとめにあわせてただ祈ることしかできませんでした。日頃から高血圧だとおっしゃっていたSさん。脳出血ではないか、心臓発作だろうか、時には、この130年祭の当日に熱心な信者がおぢばで、、、と、最悪の事態も頭をよぎりました。すると、また連絡が入りました。「信者さんは中庭で突然倒れて、救護室に運ばれ、その後、救急車で憩いの家病院へ入った」との事でした。それからすぐに病院に駆けつけますと、入口で詰所の主任先生が待っていてくださり、病室まで案内してくださり、また、病室では大教会のある婦人さんが付き添いをしてくださっておりました。小さなベットに点滴をして寝ている姿は確かにSさん本人でした。話しかけるとしっかりとした声で返事してくださり、その後に私たちは安堵して感謝の心を込めておさづけを取り次がせて頂いたのであります。Sさんは中庭で立って参拝していたところ、急に意識がなくなってそのまま後に倒れたという事でした。それを物語るように、後頭部には大きなこぶができていました。しかし、診断の結果異常なしとの事、倒れた時、たまたま近くに、河原町の信者さんでSさんの顔を知っている方がおられて、その方が救護所や詰所に連絡して下さったとのことでした。しかし、もしも倒れたところが中庭ではなくコンクリートやアスファルトであったり、大きな石に頭を直接ぶつけてでもいたらと思うと怖ろしくなり、大難を小難に御守護頂いたことにただただ感謝するほかありませんでした。
  それからしばらくして、Sさんは歩いて病院を後にすることができました。今も以前と変わりなく、毎朝の教会日参を欠かさずに元気におつとめいただいています。
  思えば、親神様は、大切な日、特別な日を忘れないように印を付けてくださることがよくあるように思います。
  例えば、私の教会でも、大事な日によかれと思ってしたことが中々うまくいかなかったり、失敗したり、思わぬ障害にあったりという事をよく聞きます。しかし、親神様は決してそれをするなとはおっしゃっているのではないと思います。その人の心を見澄まして、念を押して確かめて、忘れないように記す、というような事があるように思うのです。
  私にとって、12年前の教祖120年祭の当日は、母親が重いうつ病を患っている最中でありました。近鉄特急に乗っておぢばに着くことはできたのですが、どうしても神苑に入ることができず、前日に西礼拝場前の駐車場に駐めておいた車の中から参拝することしかできなった。しかし、そんな中で、母親の身上の御守護を願って真剣におつとめさせていただいたことを今も覚えているのであります。
  また、この130年祭は、その前の月に私の父が出直しまして、どうしても心がいずみがちになる中、そんな事ではいけないと、目の覚める出来事をお示し頂いて、いやがおうにも、真剣に祈る心にならせて頂いた。
  教祖130年祭は、言うまでもなく130年前のその日に、教祖が世界たすけを急がれ、人々の成人を促す上から、25年の定命を縮めて、うつしみを隠された日であります。
  その特別な日に、自分の教会の大切な信者さんに印をつけて、今一度自分自身を見つめ直す事を促して、そして気づかせていただいた。そして、その信者さんには命を生かせていただいたばかりではなく、まったく元の姿に御守護いただいたという事。この特別な1日を通して私たちは、親神様、教祖の親心の深さをあらためて感じさせて頂くことができたのであります。

 話は変わりますが、昨年の1月。タレントの藤村俊二さんが82歳でなくなりました。やさしそうな、とってもおしゃれなおじいさんという印象だったんですが、この方の著書に「3つのき」という文章があります。天理教で、「3つのき」といいますと、逸話編にもありますとおり、「朝起き」「正直」「働き」の話が頭に浮かびますが、藤村さんの話は少し違ってこのようなものでした。
「わたしは「3つの気」さえあれば、どんな事も何とかなると考えています。その「3つの気」とは、「元気、勇気、そして陽気です」そして最後には「とき」という四つ目の「き」が悩みを解決してくれます。「元気、勇気、陽気、そして時」。この4つがあればどんな問題もしっぽをまいて逃げていきますね。」という言葉であります。
「元気、勇気、陽気、そして、とき」。確かに。時間にしか解決できない事はたくさんあるように思いますね。
許せないことが許せるようになるには、時間が必要ですし、大切な人との別れもまた、時に頼らないと解決できない問題のように思います。時間もまた、親神様教祖が私たちにお与え下された、大切な御守護であります。
  また私はその中に、「陽気」という言葉が入っていることに、とても親近感を覚えたのであります。
  言うまでもなく、我々が信仰しておりますこの天理教の目的は、「陽気ぐらし世界の実現」であります。それは、元初まりの話の冒頭にも「この世の元初まりはどろ海であった。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた」とありますように、陽気ぐらしとは、親神様がこの世界を造られた理由、原因。私たちが生きる意味であります。
であるならば、私たちはどんな中にも陽気でいる事、陽気に生きる事が、親神様が私たちを幸せに導いてくださる、道筋なのではないかと感じるのであります。

 しかし、世の中には様々な災いが蔓延しています。天災、人災、犯罪、争い、病気など。見方によっては、この世は悲しみの原因が渦巻いている世界とも言えるかもしれません。しかし、その中を我々は知恵を出し合い、助け合い、励まし合って、心を倒すことなく、少しでも親神様、教祖の思いに近づけるような生き方ができるようになりたいと思うのであります。

真柱様は、春季大祭の神殿講話の中で、昨年七月に、かんろだいが倒された事情に触れられて、このように述べられました。「ともすれば、目の前の事や自分たちの事だけにとらわて、お互いがつながりを欠き、一手一つになれていないのではないか」また「世界一れつの陽気ぐらしという私たちの目標を見つめ直し、何よりもお互いがしっかりと心をつなぎ合い、一手一つに一歩一歩、地に足の着いた歩みを積み重ねていきたい」
  一手一つとは、我々が陽気ぐらし世界へ向かうための、最も基本的な姿勢であります。必須条件であります。私は、その姿になれていないという真柱様の指摘に、多少の驚きを受けると共に納得もしました。そしてかんろだいのこの事情の意味合いもお教え頂いた。当然、これは、おぢばの先生方だけの問題ではありません。教会長だけの問題でもない。我々よふぼくみんなの問題であります。時に自分もまた時代の風潮に流されて、道を歩む者としての基本を知らず知らずのうちにないがしろにしていたのではないかと、あらためて反省するとともに。一手一つの大切さをあらためて感じさせて頂きました。
  信仰とはつながりであります。このつながりのないところに陽気はないし、喜びも勇み心も生まれてこないのではないでしょうか。
  これからも、多くの方々との心のつながりを大切にして、親神様、教祖に「お前もなかなかがんばってるな、ご苦労さんやな」と言ってもらえるような日々を、それこそ「明るく、勇んで、楽しんで、そしてあせることなく」歩ませて頂きたいと思います。

ありがとうございました。

〜拍手〜