只今は、当教会11月の月次祭のおつとめを賑やかに滞りなく勤められましたことを共々にお喜び申し上げます。また、本日は皆様方、それぞれに御用の有る中ご参拝いただき誠にありがとうございます。
  お役を頂きましたので、少しの間ですが、つとめさせていただきたいと存じますのでよろしく御願いいたします。

〜拍手〜

世の中には、信じられないと思うことがたまに起きるものですが、今年の8月20日、この平安西分教会の月次祭の日にそんな経験をしたんですね。
この日は、朝、少し家を出るのが遅れたせいで平安西の駐車場が一杯で、車が駐められなかった。仕方なく大教会へ行って、駐車場に車を置かせてもらって、平安西へ戻ってきました。それからおつとめをつとめて、直会、片付けも終わり、3時30分頃だと思いますが、歩いて車を取りに行くことにしました。前の道、御幸町通を北に歩いて、すぐの二条通を右に折れて、寺町通。道を渡って、北へ歩きますと、その右手に古い骨董品屋さんがあるんですが、その前を通り過ぎたときに、「あれっ」と思ったんですね。その店先に立っている人がある方にとても似ていたんです。20メートルくらい通り過ぎてから振り返ってジーッと見ていたんですが似てる。意を決して、その場所に戻りまして、その方の隣で同じく骨董品を見るふりをして、チラチラと顔を見るんですが、見れば見るほど、その人が真柱様にそっくりなんですね。心の中で「わーっ」と声を上げまして。今度は店の中に入って正面から見てみた。似てる。そうしているうちにその方は、御池通の方へ歩いて行かれて、それ以上はついて行くことはしなかったんですが。それから大教会に行って、車をとって平安西へ戻ってきても、その様子が頭から離れませんでした。
  いまだ、その方が本当の真柱様だったかどうかは分かりませんが、それからしばらく、フワーッと軽い興奮状態といいますか、嬉しい気持ち、まるでとてもいい夢を見て目覚めた時のような、そんな気持ちにならせて頂いた。
  我々教会長にとって、よふぼく信者にとって真柱様とは、親神様教祖についで、それこそ、まことの理の親と呼ぶのに相応しい方であります。その方に、似た人だったかもしれませんが、上級、平安西分教会の月次祭の日に、そして、その平安西分教会からその上級、河原町大教会へ歩いて向かわせて頂いている途中に会わせて頂くという事は、おぢばから我々よふぼくに流れる理のつながり。おぢばがあって、大教会があって、上級教会があって、そして所属教会があって我々がいるという、その幹から枝の隅々にまで神様は働いて下さっている、見守って下さっているという事を教えて頂いたような気がしたのであります。
  今更ではありますが、親神様、教祖の御守護というのは、おぢばから我々につながるパイプによって流れてくるんですね。
おさしづにも
「この道、木にたとえてあるが人に諭す」と述べられていますように
この世界を大木だと例えるならば、御守護の本元、根はおぢばであります。国々所々の教会は幹や枝にあたるとおっしゃる。根から幹、枝葉に留まることなく養分が行き渡るからこそ、その先にいるよふぼくである我々に、旬が来れば花が咲き、そして実がのる御守護を頂ける。当然、どんなに茂っていても、どんなに実っていても、幹や根から切り離された枝葉はいつかは枯れてしまうし、花や実が枝先になるからといって、いくら肥料を枝先に塗りつけても効き目はないんですね。根に肥料をほどこすからこそ、その効き目が枝や花に現れてくるんだと教えられます。目には見えないけれど、我々と教会、そしておぢばはしっかりとパイプによってむすばれているという事だと思います。
  また、元があって、そしてその先が枝分かれしていくという図式は木だけじゃなくて世界のあらゆる場所にありますね。水道もガスも電気も、元々生産される場所から太いパイプを通ってじょじょに細いパイプになって我々の所へ届く。川も河口から見れば、水源に向かってじょじょに細くなっていく、会社などの人間の組織も社長や会長、市長などという人から、部長、課長、係長と枝分かれしていく。人間の血管も同じですね。これは自然界の普遍的な構造と言えるかもしれませんが、ただひとつ、すべてに共通することは、途中で詰まると大変なことになるということであります。川が詰まれば氾濫するし、血管がつまれば、それこそ命をも脅かす病になりかねないということであります。
  おさしづには又、こんな言葉もあります。
「元 幹という 枝払うたら 野中の杭も同じ事」
今、根が大切、幹が大切と言いましたが、幹の側からすると、枝先や葉を大切にせずに枯れさせたり、切り払ったりするような事になれば、当然そこからは葉も茂らないし、実る事もなくなる。野はらの真ん中にポツンと突き刺さる杭と同じようなものになるという事であります。
  この話は親子、兄弟にも例えることができるかもしれませんね。親がいて子があり、子がいて孫がいる。親がいて子が育ち、子が親を看取る。それらは一生切っても切れない縁であります。縁を大切にするところに、生きる上での本当の実りを受け取ることができるのではないかと思います。
  さきほど、血管が詰まると大変な事になると言いましたが、今、私の父は、それこそ頭の血管が詰まって脳梗塞という身上を頂いています。
  私は、父には大変、恩があるのであります。子供が親に恩があるというのは当然なのですが、私の場合、教会長としての自分。そして、清水家の一人として恩があるんですね。
  私の父は、52年前、母と結婚して、当初は京都市伏見区のアパートに住んでいたんですが、私が3歳の時に、京都の西、桂の地に一軒家を購入して移り住みました。そこに、長らく信者さんの所に預けていた平泉布教所の神様を2階にお祭りして布教所の復興を果たすことができたのであります。そして私が小学校2年生の時に、その家を増築して神殿を造り、私の祖母、清水み津重を会長として桂平泉分教会を設立しました。また、私が二十歳の時に、今の教会、京都府宇治市の地に教会移転を果たします。その間、祖母の出直しにより、私の母が教会長となり、そして11年前に私が教会長にならせて頂いた。その間、父は常に私たちの陰の力となって、私どもの教会を信者さん方と共に支え続けてくれたのであります。
  そして、それにも増して大きな恩は、途中から清水家に入籍してくれたという事であります。
  私は清水信孝といいますが、もともとは清水ではなかったんですね。生まれたときは、父親の性、光成信孝だった。それが私が五歳の時、家族全員で清水家に入籍することとなって、名前が変わったのであります。
  その時覚えているのが、いつものように幼稚園に行きますと、先生が、「今日は一人のお友達がいなくなって、一人の新しいお友達がきてくれました」というような事を言ったんですね。自分は誰だ誰だと、見渡すんですがみな知ってる顔ばかり。すると先生が私を前に連れ出しまして、今日から、信孝君は光成君から清水君に変わりますと発表された。私は何のことやら、ちんぷんかんぷんだった覚えがあります。
  ただ、それからひとつ変わった事があったんですね。それは、それまでたびたび京都の大教会の近くにあった、父の実家に遊びに行っていたのに、それからピタリと行かなくなった。父方の祖父や祖母に会うことがなくなったということなんですね。
  その状態は私が中学一年。祖父の葬儀の日まで続いたと記憶しています。
  布教所の復興を果たし、教会設立の機運の高まる中、父は父なりに将来の事を考えて、そのようにするのがもっともよいと決断してくれたのだと思います。父は母の求めに素直に応じて名前を変えてくれたのだと聞きました。父は男五人女二人の3番目ですから、養子に行っても何の支障もないと思うのですが、しかし、その事を、反対されると分かっていたためか、実家の承諾を受けずに実行してしまったせいで、それから大きなすれ違いを生むことになるんですね。
  最近、父の持ち物を調べてますと、昔の日記帳と一枚のはがきが出てきました。はがきは、昭和47年、教会設立の年、父の兄弟から届いたものでした。そこにはこんな事が書かれてありました。
「そちらは何もかも思い通りになり結構ですが、その陰で『せっかく、苦労して育てた上裏切られた育ての親の気持ち』を、どんなにお宅が幸せなときでもわすれないでほしい。私たちの子供もすくすくと育っておりますが、決して親の期待を裏切るような子には育てないつもりです」と、書かれてあった。
  父は元来、親孝行者で、中学生の頃から働いて家計を助けていたような人ですから、その時は辛かったと思います。
また、その頃の父の日記を読んでいてこんな一文をみつけました。
それは小さな字で、読みとくのが難しいくらいの走り書きで書かれてありました。
「私は兄弟からすれば、一番の親不孝者であろう。しかし、私はこの世に生まれてきて何かの意義を持ちたい。私の願いでかたまるより、苦しんでいる所を、こわれている所を助けたい。直したい。長い目で見て将来を、人を助けて我が身たすかるから。将来がある平泉。又、子供にはすくすくと伸びてもらいたい。生みの母から見れば志しと違った事をして本当に悪い子供であろう。許してもらいたい。一番頼りにしている私、苦労をかけてきた私、母の恩は一生忘れないと決心した。」
  約7年間、実家から縁を切られたような状態だった父ですが、祖父の葬儀をきっかけにじょじょに祖母やおじおばとの心の行き違いも解消されて、また家族で行き来するようになりました。そして教会が宇治へ移転した時は、光成家揃って参拝して下さり、それから毎月12日の月次祭には、父が山科に住む祖母と叔母を車で送り迎えして参拝してもらえるようになった。それは祖母が出直す直前まで続くわけですが、長いすれ違いを経て父は、日記に書かれているような孝行息子に戻ることができたのであります。
私たち子供は何も知りませんでした。その間もいつも子煩悩でやさしい父でいてくれたのですが、今になって、そんな苦労を抱えながら教会を支えてきてくれたんだなと思うと、本当に有り難いと思います。
信仰生活を歩む中で、人には言えない苦労を抱えている人は数多くおられると思いますが、やはり、我々は、親神様、教祖に向かって、まっすぐに、素直に、そして焦らずに歩む中に、必ずやその先に晴天の御守護を頂けるのだと思わせて頂きます。
  話は変わりますが、私は毎月、6日に大教会の奉仕当番をつとめさせていただいているのですが、昨年、その日に新しく加わられた赤里(あかり)分教会の籠谷(かごたに)先生という方がおられます。六十代後半くらいの初老の先生なんですが、2年ほど前に事情教会を復興するために、布教所から教会になられました。少しおっとりとしていつも優しい話し方をする先生なんですが、今月の7日の朝席でこんな話をしてくださいました。
「教会になってしばらくした頃、教会の前で小学生の男の子が遊んでいたので声をかけてみると、気軽に話してくれて、それから度々遊びに来るようになった。キャッチボールしたりして遊んでいる内に、教会の中へも入ってくれるようになって、見よう見まねで参拝してくれる。親御さんがどう思われるか心配になって、聞いてみると、こっちは遊んでもらえてありがたいですが、そちらはご迷惑じゃないですかとの返事をもらった。それから、彼は、友達もつれてくるようになって、教会がいつもにぎやかになった。教会では週に一度神名流しを行うのだが、彼らも参加してくれて、先頭をのぼりを持って歩く彼はいつも「陽気ぐらしの天理教通ります」と大きな声を掛けてくれる。その内、その子供たちの親御さんとも顔なじみになって、この29日の斯道会別席団参にもお誘いするつもりです、との事。本人も「びっくりポンだ」とおっしゃっていました。この会長さんご夫婦には子供がおられなくて、少し寂しい思いをしておられたんですが、教会を持たれた事をきっかけに、孫のような子供たちに囲まれて、賑やかにさせて頂ける。本当に有り難いことです。と涙ながらにお話しくださいました。
  「素直は神ののぞみ」「素直は人も好く、神も好く」と教えられます。この先生は、決して豪快なタイプでも器用そうなタイプでもありませんが、その素直さが、神様に好かれ、そして神様に見込まれて会長になられたんだなと思ったのであります。
  現代は複雑な時代、予測がつかない時代であります。心配の種、将来の不安を考えたらきりがない。しかし、その中で、先案じの心を捨ててまっすぐに、素直に通ることができたならば、必ずやいつか親神様教祖は御守護くださると信じるのであります。
  さて、いよいよ教祖130年祭が目前に迫って参りました。
  真柱様は、秋季大祭の神殿講話の中で、おたすけの実践は立教の目的に直結する行いであり「いちれつすましてかんろだい」の世を実現するために欠かせない私たちの使命であると強調されて、年祭活動で培ったものを今後につなげるためにも、のこる三ヶ月をしっかりとしめくくる事が大切であるとおさとしくださいました。
  我々は只今の旬、銘々が納得できる年祭活動の締めくくりを迎える事ができますよう、心素直に実行して、まずは、今月29日に迫りました斯道会別席団参に向けて一人でも多くの方をお誘いしておぢばへ帰らせて頂きたいと存じます。

ご清聴ありがとうございました。

〜拍手〜