只今は、当教会8月の月次祭のおつとめを賑やかに滞りなく勤められましたことを共々にお喜び申し上げます。また、本日は皆様ご多忙の中、お暑い中、月次祭にご参拝いただき誠にありがとうございます。
  お役が回って参りましたので、少しの時間ですが、つとめさせていただきたいと存じますのでよろしく御願いいたします。

〜拍手〜

 丁度ひと月前になりますが、7月20日の朝5時頃にある夢を見たんですね、広い野原のような所にそれぞれのグループが輪になって、地べたに座りながらお弁当を食べている。花見のようでもあるし、おぢばがえりのようでもあるんですが、私も十人くらいの人たちと輪になって座ってるんですね、そうすると、左手の坂の下の方から、あるおばあさんがひょこひょことやってきた、顔を見ると、まさに私のおばあさん、清水み津重さんなんですね、ものすごく懐かしく思って、さあどうぞどうぞ、とその輪の中に迎い入れて座ってもらった、私の祖母は私の教会、桂平泉分教会の初代会長でもある人、私が高校生の時ですから、もう三十年近く前に出直しているんですが、小さな頃から本当によくかわいがってもらったんですね、私は嬉しくて、「お久しぶりです」と元気に言いますが、何か複雑な表情をされている。何かしっくりしない様子なので、もしかしたらと思って、「僕のこと覚えてますか」と聞きますと、「覚えてないわけないやろ」と言われる。それで、まずはと思って「今、会長させてもらってます」と言いますと、「そーやな、やってくれてるな」との返事、僕は内心、手でも握って、よくやってくれたと大いに喜んでもらえるかなと思ってたので、少し拍子抜けした感じなんですが、しばらくおばあさんの顔を見ながら話していたんですね、すると、おばあさんがもう帰ると言うので、何か言葉をかけなきゃと思うんですが、「お元気で」というのもおかしいな、などと夢の中でありながら言葉に迷っているんですね、そこで「それではお幸せに」と言って別れた。すると来た坂道をまたひょこひょこと歩いて帰って行かれたんですね、もうひとりおばあさんが一緒だったんですが、その顔は思い出せない。そこでハッと目が覚めたんですね。7月20日の午前5時半。平安西の月次祭の日の朝に見た夢、鮮明にその表情を今も覚えているんですね。そうすると気になって仕方がない。その表情は、色んな感情が交ざった、複雑な表情だったんですね、じっと私をみる顔は、例えば、「もっとがんばってや」と少しあきれた顔といえばそうともとれるし、「会長やってくれててうれしいなあ」としみじみ喜んでくれている顔だといえばそうともとれる。何か言いたげなんですね。あえて言えば、「心配やな」という顔が一番近いかも知れない。そうですね、おばあさんは出直して三十年近く立つんですけれども、私を心配してくれているんですね、「大丈夫か、しんどないか、やっていけるか、苦労やなあ」という顔なんですね、それに気づいたときに私は、本当に有り難いな、と思うと同時に、祖霊様方は姿は見えないけれど、いつも私たちを見ていて下さっているんだなと実感したんですね。
 
  ここにおられる皆様方も、信仰初代という方もおられるかもしれませんが、二代三代と代を重ねて信仰されている方が大半なんじゃないかと思うんですね。そして、ここにこうやって参拝して頂いているという事は、親から子にそして子から孫に信仰が伝わったという事になると思うんです。信仰を伝えた親々は、中にはもう出直しておられない方も大勢おられると思うんですが、常に私たちを見ていて下さっている。そして、大いに心配して下さっているんじゃないかと思います。今も、多くの祖霊さん方がこの参拝場に大勢いて下さっているんじゃないかとも思うんですが、お盆は過ぎましたけれども、そういう時期だからか、こんな事を感じさせて頂きました。

 親から子に信仰が伝わるという話をしましたが、私たちが、信仰を体験する大きな機会のひとつが、おさづけの取り次ぎではないかと思います。
  私は以前、教内高校生向けの雑誌であります「はっぴすと」の編集をさせてもらっていたのですが、その企画の中で、管内の高校生に「おさづけ」について自由に話し合ってもらおうとことになり、それを聞かせて頂いていた事があります。最初は、別席ってなんだろう、とか別席を9回運ぶ意味などを話していたのですが、途中、みんなが、親からおさづけを取り次いでもらった経験談を話し始めたんですね、小学校の時、授業参観の途中で急におなかが痛くなり保健室に運ばれたとき、お父さんがおさづけを取り次いでくれた、とか、お姉さんが病気だったんだけど、毎日おさづけを取り次いでもらっているうちになおったのを見て、おさづけって本当に効くんだなと思ったとか、ものすごい腹痛に襲われて猫みたいに背中を丸めて寝ていると親が背中からおさづけを取り次いでくれて、そのまま意識がないうちに寝てしまっていて、起きたら直っていた。とか、次々に話してるんですね、
そして、最後にみんなが言ったのは、その時の親の手がとても大きくて暖かかった、と。それを聞いたとき、私は、多分この子たちは家や学校で普段こういう話はしないんだろうけれど、親や会長さんにおさづけを取りついでもらった経験というのはとても深く印象に残っているんだなと思ったんですね。
そこで、私の場合を思い返してみますと、私も幼い頃からよく、母親におさづけを取り次いでもらいました。しかし、特別にこの時はこうだったということは思い出せないんですが、ひとつ、親のおさづけに関してとても印象深い出来事がありました。それは、私が中学生の時だったと思うんですが、夜に父親が自動車に乗っていて、後ろから追突され、救急車で病院に運ばれたことがありました。その電話を受けて、私と母親は病院へ駆けつけました。薄暗い病院の廊下を悲愴な顔をして早足で歩く母親の姿、そして、母親は父親がいる病室に入るなり、ベットに寝ている父親にすがりつくようにして、おさづけを取り次ぎだしたんですね。私はその母親の姿を少し離れたところから手を合わせながら見ておりました。他のことはあまり覚えていないのですが、そのシーンはものすごく深く私の印象に残ったんですね。私はその様子を見て思ったのは。おさづけとはまだよくわからないけれど、すごいものなんだということ。それと、母親の父親に対する愛情の深さのようなものを漠然と感じたように思うんですね。
  また、最近は父親がおさづけを取り次ぐようになった。といっても、母親専属なんですが、夜中に気分が悪い、しんどい、寝られないとなると父親は母親に起こされまして、半強制的に取り次ぎをお願いされる。普段父親がおさづけを取り次いでいる姿を見たことがないので、この話を聞いたときは驚いたんですが、度々夜中に起こされているらしいんですね。でもそれがまたよく効く、といったらだめですが、よく御守護いただくそうで、父親に取り次がれるとすぐに眠たくなって寝てしまうらしいです。
  母親と共にあるお宅の講社祭へ行った時のことです。いつもは私がお話をさせていただくんですが、その時は、母がおつとめの後、話をしてくれました。
  その家に若いお母さんがおられた事からか、出産の話になりました。滋賀県守山市に嫁いでおります、私の妹の陽子は4年前、男の子を出産したのですが、その際、妊娠中毒症から緊急入院し、夜中に湖東にあります野洲病院から大津の日赤病院へ救急車で搬送されて出産しました。妊娠八ヶ月1800グラムの早産でありました。その時、私の母は心を病んでいましたので、すぐに病院へ駆けつけることができず、あの時は、娘に何もしてやれなくて申し訳なかった。その時、娘はどんなに寂しい思いをしただろうと言った後、その妹が生まれた時の話をしてくれたんですね。
  私の妹、陽子は、36年前、河原町姉小路付近にあった産院で産まれたのですが、男が二人つづいてしばらくしてからの出産で、当時としては高齢であった為に、中々生まれてくれず、難産だったそうです。いきんでも、いきんでも生まれてこないので、母親の母、すなわち私たちの祖母が、その様子を見かねて、母親が言うには「ごめんやっしゃ ごめんやっしゃ(ごめんなさい ごめんなさい)」と言いながら突然分娩室に入ってきて、「すんませんけど、天理教のおさづけをさせてもらえませんやろか」と産婆さんに言うなり、了解を得て、その場でおさづけを取り次いでくれた、というんですね。するとにわかに、力が湧いて、すぐに、女の子が生まれた。産婆さんも、「えらいもんどすな」と感心してくれた、という話をしてくれたんですね。
  母親は、同じ娘の出産に対して、私と母とではずいぶんと違っていた。申し訳なかったというさんげと共に、おさづけの素晴らしさ、そして、昔の方のおさづけに対する積極的な姿勢を話してくれたんですけれども、私はその話を聞いて、私自身、気づいたことがあったんですね。
  今から、7年前、私たち夫婦に初めての子供、みづほが生まれたときのことです。その病院は立ち会い出産を勧めていることから、私は出産時に、分娩室の枕元に立っていたんです。私は出産などすぐにすむものだと思っていたのですが、妻には何度も陣痛の波は来るのですが、出産までには至らない。一つの部屋に分娩台が二台あり、分厚いカーテンで仕切られているんですが、隣では、他の妊婦さんが入って来ては出産し、産声が聞こえ、部屋に戻って行かる。何人かが無事に出産して部屋に戻られる気配を感じながらも、私は為す術もなく、その場にいるだけでした。それから多くの不都合が重なり、結局、妻は隣の手術室へ連れて行かれ、帝王切開で娘を生んだのでした。
  それでも、元気な子供を授かって喜んでいたのですが。この母の話を聞いて、今更にしてあの時の私はあれで良かったのだろうか、私は妻が苦しんでいる時におさづけを取り次いでやれなかった事を悔やんだんですね。当然、私がそこにいなかったなら、そんな事は思わなかったかもしれません。しかし、私は、その場所にいたんですね。親神様はあの時私に、それを望んでおられたのではないか、と思ったのでした。
  そういう事もあって、私はそれから、つとめて自然におさづけをさせていただけるよう、特に子供たちには、些細なことでもおさづけを取り次ごうと思ったんですね。

 子供に道を伝えるのは難しいと聞きます。しかし、子供はおさづけを受けた印象を覚えているもんだなと思いました。天理教がどういうものなのかはわからないけれど、子供の時、親や会長さんや奥さんに取り次いでもらったおさづけの記憶は残るんですね。そして、素直にありがたいなと思う。よふぼくでありながら、自分の子供におさづけを取り次いだことがないという人がおられるなら、今からでも遅くないと思います。子供が無理ならお孫さんにでも、折々の機会に取り次いで頂きたいと思います。それもまた、この道を次の世代へつなげるひとつの方法だと思います。我々が受け継いだ信仰を次の世代へ伝えるのは、出直された親親への御恩報じでもあると思います。親親はやはり、この事を一番心配して下さっているのではないかと思うんです。
  今月の3日4日と、平安西鼓笛隊のおぢばがえりがございました。おそなえ演奏、おやさとパレード、鼓笛オンパレード、暑い中の練習。本当に子供たちは一生懸命につとめてくれました、子供たちは一年一年身体も大きくなり、スタッフの先生方のおかげもあって技術も年々向上しています。その姿を見て、本当に感動しました。それは、子供たちの成長がうれしいと思うと共に、我々の子供たちに対する信仰を伝えたいと思う心の現れだと思うんです。
  我々もまた、子供たちに負けないように、今は亡き多くの先輩先生方に喜んでもらえるよう、そして何より親神様教祖に喜んで頂けるよう、成長していく姿、進歩していく姿を見て頂くために、これからも精一杯つとめさせて頂きたいと思います。

ご静聴ありがとうございました。
〜拍手〜