只今は、当教会2月の月次祭のおつとめを賑やかに滞りなく勤められましたことを共々にお喜び申し上げます。また、本日は皆様お忙しい中、お寒い中、月次祭にご参拝いただきありがとうございます。
  お役が回って参りましたので、はなはだ足りない者ですが、つとめさせていただきたいと存じますのでよろしく御願いいたします。

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 先日、ある本を読んでますと、大阪のしゃれ言葉というのが載っていました。江戸時代より、大阪の、特に商売人はそのままずばりは言わないで、とんち形式のユニークなものの言いようをしていたという事です。例えば、「あの客は夏のハマグリやな」と言いますと、「実は腐って、貝は腐らない」から、見るばっかりで買わない客という意味。そして、「あの人はうどんやの釜やな」といいますと、「うどん屋の釜はいつも多くのお湯があるところから」「湯ばっかり」、「言うばっかりの人」ということになります。「髪結いの正月」とも言うそうですが、まさしく私がその典型でして、言葉と行動が伴わない、はだはだ、頼りない者でありまして、と言って何も言わないわけにもいきませんので、皆さんには我慢して頂いて、私の責めを果たさせていただきたいと存じます。

 とはいっても、私には、熱心なおたすけ話や鮮やかな御守護の話がそう多くあるわけでもありませんので、ひとつ今日は、感話のような話になりますが、自分自身の事で、「ああ神さんほんまにやはんにゃなぁ(ああ神様は本当におられるんだな)」と素直に思った話を少しさせていただこうと思います。

 私が教会長にならせていただいたのは、3年半前。平成16年9月26日に「教会長任命」のお許しをいただきました。教祖120年祭の半年前ということで、とてもお運びが多く、教祖殿の御用場は人でいっぱいでした。
  お運びも終わり、詰所での挨拶、食事も終わって自宅へ帰ると、もうだいぶ遅くなっていましたが、それから風呂へ入り、家族が風呂へ入っているのを待っていますと、急にトイレに行きたくなった。トイレへ行って用をたしても残尿感がある、また5分くらいたつと行きたくなる。結局30分の間に5、6回も行ったんですね。そんなことはそれまで無かったことだったんですが、風呂から家族が上がってきたので、皆で食事をした。尿を出すには水分を多く取った方がいいという思いから、350の缶ビールを一気に飲んだんですね。するとにわかに、左の背中の下あたりが痛くなってきた。家族は楽しそうに食事していますので、心配させては、と思い、となりの部屋でザブトンの上に寝た。すると益々痛くなってくる。まるで針で背中を刺される感じ。それから知らないうちに、もうエビのように丸まってザブトンの上であえいでいたんですね。
  それを見つけて妻が来てくれ、痛いところをさすってくれたんですが痛みは増すばかり。「心の中で、あと10分この痛みが続くようなら救急車を呼んでもらおう」と思った。
  それから、御供さんを頂いて、妻に「おさづけ」をしてもらった。あしきはらいたすけたまえ、一回目、二回目の途中から痛みがひきはじめ、おさづけの終わる頃には全く痛みは無くなっていた。きつねにつままれた感じですね。わずか一時間位の出来事でしたが、前日でも後の日でもなく、会長にならせていただいたその日に「親神様の自由の御守護」を実感させていただいた。それは、お姿は見えない親神様が、私の背中をちょっとつねって、「どうだ、私はちゃんとここにいるだろう」と知らせてくださった感じでした。それから3日後、小便をしたときに少し違和感があったのでトイレの底を見てみると、直径4ミリくらいの黒い石が沈んでいたんです。痛みの原因もしっかりお見せ頂き安心させていただきました。それからは全く痛みや違和感なく今まで通らせていただいています。
  その時、私はある話を思い出したんですね。それは、教会長任命講習会の終講の時、ある先生がおっしゃった、「あなた方はこれから蝶になるのです、会長という蝶になるのです」という言葉。先生は、「これから皆さんはいつも人に見られる立場になるので、心して通りなさいよ」という意味でおっしゃったのだと思うのだけれど、この26日の夜の痛みが去ったとき、この話と共に自分自身の心の中に思い浮かんだお言葉は「蝶や花やというたとて 息ひとすじが蝶や花である」というおさしづでした。「これから会長となってもおごることのないように、親神様が息をさせてくださっているから会長としておられるのだ」ということを、教会長になったその日に親神様に教えていただいた気がしました。

 また、これは最近の話ですが、今から丁度三ヶ月前。11月の20日、朝8時半頃に平安西の月次祭に行こうと車に乗ろうとした時に、にわかに左手と左足がしびれたんです。すぐにおさまったので又、行こうとするとしびれる。こんな事は今までなかったので、心配になって、もしかしたら脳梗塞かなにかじゃないかと思って家庭用の血圧計で測ってみますと非常に高い。こうなるとまた混乱して、どうしようどうしようと不安になるばかり、そして近くの総合病院に車で送ってもらった。まずは、健康診断ということで、検尿をとったり、血液検査をしてから、しばらく待って、診察。「どうしたのか」と聞かれて、病状を言いますと、腕を握ったり、目を見たりしてから「一時的なものでしょう」とそっけない返事でした。心の中で、「もっとしっかり検査してほしい」と思ったけれど、ひとまず安心しました。しかし、血圧が少し高いので飲むようにと、薬をもらって帰りました。手のしびれはすぐにおさまり、一週間後、また受診して聞いてみると「椎間板が圧迫されて一時的に手足がしびれたんでしょう」ということでした。そういえば少し前から腰が痛かったので納得しました。しかし、家で計るとそうでもないんですが、白衣高血圧といいますか、緊張のせいか、病院で計ると血圧が高いんですね。先生は、血圧が思ったほど下がっていないので、薬をもうひとつ増やしましょう。と薬を増やされたんです。
  その薬が自分に合っていなかったんですね。その薬を飲んでから少し妙な感じになった。心臓がドキドキする。何か気分が晴れない。
  それから2日ほどたった時、夜一人で風呂に入っているとまた何か気分がおかしい。気分が暗くなって、グーッとどこかに引き込まれる感じ。目が回るというか、意識が遠のく感じ。わー、どうしようどうしよう、と思ってあわてて風呂から上がってその場に座りこんだ。自分が自分じゃない感じなんですね。何もしたくないし何もできないという感じ。しかし、じっとしていると時間がたつにつれて元に戻って、それから普段と変わりなく食事しました。
  その時、自分が思ったのは、今、自分は一瞬だったけれど、いわゆる心の病気の状態だったんじゃないかという事です。あの時の感覚は今でも鮮明に覚えています。あの一時の状態が長く続く事を思えば、どんな辛い仕事も、苦しい作業もなんでも無いことだな、と思った。それほど、なんとも言えない苦しい状態だったんですね。私の周りにも多くおられる、うつ病などの心の病気のほんの一端を神様が経験させてくださったように思いました。
  そして、この時ここで自分が思ったのは、今、私は、自分自身の徳の貯金が底をついた状態なんじゃないかという事でした。これは何かしなきゃいけないなと思った。それからいくつか心定めさせて頂いいたんですが、そのひとつが、もっと「ひのきしん」をさせていただこうということ。まったく些細なことですけれども、まずは神殿掃除をさせていただこうと思った。情けない話ですけれども、教会長になって、それまで青年の頃、毎朝欠かさず続けてきた、朝の掃除にあまり出なくなっていたんですね。忙しくなったから、用事があるからとそれまで続けてきたひのきしんをないがしろにして、他の人にまかせっきりにしてきた。まさしく、自分は会長だという高慢な心があったように思うんです。
  思えば、この7年間。私は本当に幸せな毎日を送らせてもらってきた。結婚して、子供ができて、会長になり、様々な御守護も頂いてきた。しかし、それに見合った徳積を自分はしてきたんだろうかと反省しました。
  これは、自分自身の悟りであり、、お道の言葉ではないですが、我々の頂く徳には、「先払いの徳と後払いの徳」があるように思うんです。例えば、何かを買うのに、それまで積み立ててきたお金で払うのか、後からローンで払うのかの違いですね。私の場合は典型的な後者の方です。先に目一杯の幸せを頂いておいて、後から払う徳がなくなった姿じゃないかと思ったんですね。天の貯金には通帳がありません。自分には今どれだけの徳が残っているかはわからないんですね。
  クレジッカードというのがあります。私も最近、支払いの多くをカードで払っているんです。いくらかのポイントがもらえるのが目的なんですが、ガソリン、電話、高速道路の通行料、通信販売の支払いなどをそれで払っているんです。しかし、便利だけれど、気をつけないと大変な事になる。
  半年ほど前、ガソリンを入れようと思って、カードを入れたら「使用不可」と出る。おかしいな、と思って違うスタンドに行って入れようと思っても同じ。そこで気がついた。入金したと思っていたその月のお金を入金していなかったんですね。あわてて銀行へ行って入金しても後の祭り。電話でカード会社に問い合わせると、カードが使えるようになるまで2週間くらいかかるといわれる。その他の支払いもあるので何とかならないかと聞いてみると、支払票を送るので、近くのコンビニからその月の分の支払いをしてくれということで、後日郵送されてきた支払い票で支払ったんですけど、そのカードが使えるまでそれでも4、5日かかるということでした。その上、延滞したのは一週間くらいだったんですが、きっちりその分の利息も払わないといけなかった。クレジットカードも先に物をもらって、後からお金を払うという事ですよね。その時はそれで解決したけれど、まさしく、ガソリンスタンドで「カード使用できません」と表示されたのと、にわかに私の手がしびれたのは同じ意味じゃないかと思いました。徳の貯金が底をつきましたよと警告してたんですね。そう思わせていただきました。
  ひさしぶりの朝の神殿掃除、といっても20分くらいですが、とても気持ちよかった。
それから、食事も考えて、運動もするようにして、血圧の薬も止めてしまいましたが、今のところとても調子良く、血圧も以前より低くなりました。
  私は教会長。皆さんの手本とならなければならない存在であるはずなのに、こんな事では恥ずかしい限りであります。

 この前、ここで神殿講話をさせていただいたのは、おととしの六月。まだ二年たってないんですが、その時、最後にこんなことを言わせていただきました。

「私が会長にならせていただいて、一年半になりますが、教会がすべて順風満帆に行っているのかといえば、そうではありません。多くの節を頂いているのも事実です。特に前会長の身上は私にとっても、是非とも御守護頂きたいと願う事柄であります。是非とも次にここでお話しさせていただくときは、このように御守護いただきました、とお話できるようにならせていただきたいと思っております。そのためにも日々を後悔の無いように歩ませていただきたいと思う。」

 その一年前、今から3年前の3月、4月、5月と、私は修養科の教養係をつとめさせていただきました。そして御用が終わって教会へ帰ってみますと母親がにわかに病気になっていたんですね。心の病気、うつ病です。十人に一人かかると言われる、今よく耳にする病気ですが、とにかくそれから、一日中寝てばっかり、外へ出られない。人と会ってしゃべることがとても苦痛らしくて、6月はなんとか出たんですが、7月の月次祭には部屋にこもって出てこれない状態になった。幾分様子はよくなり、8月からははっぴを着て後ろに座っているだけですが、なんとか参拝できるようになりました。しかし、一歩も外へ出ないのはかわらず、医者へはいくらすすめても行かなかった。詳しいことはここで割愛させていただきますが、それからもその状態がつづき、身体は今では想像できませんが、ガリガリにやせてしまった。なんとか医者へ連れて行こうとするんですが、連れだそうとするとその場に座り込んで動こうとしない。それでも無理矢理に連れて行こうと持ち上げると、痛い痛いと声を上げられるので、もうどうしようもない。そして、そのまま一年半がたったんですね。その間、外出らしい外出ができたのは、なんとか説得して半分無理矢理に連れて行った「教祖120年祭」だけだったと思います。あとはずっと家にいたんですね。
  ある時、滋賀県に嫁ぎ、ある病院の看護婦をしている私の妹が、なんとか病院へ連れて行こうと、友達のいる病院と連絡をとって段取りを組んでくれた 。胃腸を見てもらうという事で妹が説得して車に乗せて病院へ連れて行き、診察。そして、有無も言わさずそのまま入院。もうその日は家へ帰れないと知った母親が私に言った言葉が今でも耳に焼き付いています。「あんた、私を家からほっぽり出すつもりか」と。本人が承諾しない社会的入院のため家族が了承する書類にサインをし、医師から、投薬などにおいてごくまれに、身体に合わなくて深刻な状態になることがある、との説明をうけて、またそれに了承する書類にサインする。「このまま、母親が家へ帰れないようなことがあればどうしよう」と不安に思いましたが、処方された薬が劇的に効果を現し、みるみるうちに、回復し、ひと月で退院、すぐに以前と何ら変わりない状態まで御守護いただきました。
  思えば、私はそれまで、会長と言っても名前ばかりで、ことある度に母親に頼ってばかりいた。親神様は私に少しはしっかりしろ、と成長するきっかけを与えていただいたのだと思っています。
  また、私がこの身上を通して学んだの事は、信じることの大切さです。疑いの心があれば御守護は頂けないという事。実際、私は何度も「なぜだろう」と思った。しかし、親神様は長い目で見れば必ず御守護を下さると思います。御守護頂くまでの長い道のりはいわゆる神の試しです。周りの人たちを成長させるための厳しさである、と感じました。途中で投げ出していては御守護はいただけなかったと思います。
  また、もうひとつは行動することの大切さだと思います。有名な「マザーテレサ」は「ラブ イズ アクション」「愛は行動である」と言いました。私は、母親の状態を見て、かわいそうだと思って行動をおこせずにいた、情に流されて、本当にしなければならなかったことを見逃していたのかもしれません。言いかえれば逃げていたんですね。この時は、妹が段取りを組んでくれて、無理矢理にでも連れて行ってくれたのがよかったんだと思います。しかし、これも本当に本人の事を思えばできたことです。待つことと共に旬を逃さずに行動することが御守護をいただけるか頂けないかの分かれ目になるのだと思います。 
  今では以前と同じように、母親と二人で車に乗って講社祭に行かせて頂くことも多くなりました。時には愚痴や文句もでるけれど、母親の小言一つ、愚痴一つにもあまり腹が立たなくなりましたね。思えば、文句を言ったり愚痴を言ったりするから母親なんですね。誰しも暗く押し黙ってしまいますと、何とも味気ないものです。これも個性なんですね。そう思わせていただきました。

 親神様は日常生活の中でもいつも私たちを見続けて下さり、事にふれ、折に触れて私たちにメッセージを送って下さっていると思います。その声を敏感に感じそして、親神様の喜んで下さることを行う事が大切なのだと思います。
  親神様が喜んで下さる方法は幾通りもあると思います。にをいがけ、おたすけ、伏せ込み、尽くし運び、そしてひのきしん。すべて、誰かが言うからするということではない。何をしたからと言って人に言うことでもない。親神様は私たちの行いを常に天の帳面につけてくださり「余れば返す 足らねばもらう」とおっしゃっています。
  今まで結構に通らせて頂いたことに感謝し、これからも変わらぬ御守護をいただけるように、感謝して日々を歩ませていだきたいと思います。
ありがとうございました。
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