女子青年
修養科を出て結婚までの何年間かを、平安西の女子青年としてつとめさせて頂いた。おばさんたちが色々教えて下さったり仕込んで下さったり。娘ざかりの私たち二人は何を見ても何をしても、面白くて楽しくて笑ってばかり。中野の容子ちゃんは私より二つ年上のお姉さん。可愛くて人が良くて、今は他系統の教会の奥さんになっているが、今も時たま電話しあったりしている。
その日二人は炊事当番。大きな釜でご飯を炊くのに容子ちゃんは何故か水を入れ忘れて火をつけた。しばらくするとお釜の下の方がバリバリの焦げ米に、「うわ、どうしよう」と二人は青くなった。何しろ三十人分のご飯である。私は焦げた部分を上手にはがし水を入れて炊き直した。私が冷静に対処したので見直してくれたのか、「ともちゃんって頭いいなぁ」とほめてくれた。「そんなことだれでもするやない」と照れる私、人の良い二人。
生まれたときからこの教会で育った私たち。思い出すと、中学も高校のときもお弁当は誰も作ってくれなかった。いつも二人で考えて、だし雑魚を煎ったり、ジャガイモを油で揚げたり、前日のおかずの残りを上手に分けて、たくわん二切れをごはんにのせて、結構おいしいお弁当が作れたものだ。
女子青年の仕事は朝が大切。寒がりの二人は朝起きが大の苦手、それでなくても京都の寒さときたら・・・。毎朝二人の母親たちは朝の弱い女子青年を起こすのに大忙しだ。私の場合は階段の下から始めは小さく「とも子起きなさいよ」ではじまり、呼びに来るごとに一オクターブづつ大きくなる。最後には教会中に聞こえる大声で起こされる。「ああもうダメだ。ヌクヌクのお布団から出るのがもったいない」と思いつつ、渋々起き出し、冷たい水で縁側を拭く。朝起きられなかった日のバツの悪さ、小さくなって朝御飯を食べていると母のカミナリのような声が飛んでくる。掃除や雑用の他にも、おどりのお稽古、お茶のお稽古、お漬け物の漬け方に天ぷらの揚げかたを習ったり、日々どやされながらも楽しかった。
「きょうはちょっと映画を見に行こうか」と、二人は京極のダラダラ坂を下って裏寺を通って、四条河原町、高島屋の地下にあった公楽会館へ。ここは知った人のいる映画館。「タダで洋画を見せてもらって幸せやわー」とよく入れてもらった。今思うとさぞ迷惑だったろうなあ、本当に申し訳なくて・・・。
外でのひのきしんもよくあり、京都市立病院の草取りひのきしんには二人でいそいそと出かけた。容子ちゃんはそこで今の旦那さんに見そめられたのだ。
お金はなかったけれど誰に文句を言われることもなく「今、私たちは青春なんです」と大きな顔をして堂々と二人は女子青年をやってのけた。