キャンプ

 滋賀県北部、北饗庭(きたあいば)の小さな駅にひとり降り立つ。一日皆から遅れてキャンプに参加するため京都からやってきたのだ。夏の日差しの中を江若鉄道の機関車は次の駅へと走り出す。
 思えばもう50年近くたつのだろうか、戦前より恒例となっていた「平安西こども会キャンプ」に幼い頃から参加してきた私は、高校生になっても参加していた。
 ムッとする暑さの中、背丈ほどに伸びた夏草の中を歩くと遠くに松林が見える。琵琶湖のほとり、小さな清らかな川が流込む。皆が朝、顔を洗う場所だ。そのあたりから賑やかにはしゃぐ声が聞こえてきた。やっとキャンプ場に着いたのだ。遠くから私を見つけ笑いながら手をふってくれる友たち。ここで毎年六日間を過ごすのである。
 荷物を置こうと「平安西」と染め抜かれた大きなテントの中に入る。蒸し風呂のような暑さ、そして、強烈な殺虫剤の臭い。虫が入らぬようにまいておいたのだろう。
 そうすると琵琶湖での水泳の時間が始まった。笛の合図を待つみんな。ピーッという音ともに一斉に水の中へとなだれ込んでいく。琵琶湖の水は清く澄んで、ズンズン歩いていっても胸くらいの深さ。遠くに竹生島の島影。一方では和船が来て、子供たちに漕ぎ方を教えている。
 小さな子供たちをよそに私たちは夜も泳いだ。満月の夜は湖に映る月の光を追って泳いだりもぐったり。大人たちはキャンプ場の傍らにある家へ泊まり、炊事をしたり洗濯をしたり、子供たちの指導について相談したりと忙しそうだ。
 砂浜に大きなゴザをひいてお膳を出して食事する。お母さんたちが懸命に作って下さる献立は本当においしい。朝はヤギの乳を飲み、生みたての玉子を食べる。
 六日間はまたたく間に過ぎ、明日は帰るという夜はキャンプファイヤー。太い薪を高く積み上げて、白いシーツを身にまとって仙人に化けた人が何やら言いながらうやうやしく点火する、すると炎は赤く大きく燃え上がり、その火を囲んで班ごとに歌を歌ったり寸劇をしたりする。笑い転げるみんな、ひとしきり楽しい時間を過ごした後に「遠き山に日は落ちて、星は空を散りばめぬ」と手をつなぎ輪になって歌う。その間にファイヤーの火はじょじょに小さくなっていく。何となく寂しい気持ち、明日は皆とお別れだ。
 次の日の午後、名残惜しいキャンプ場を後にして機関車に乗る。始発の次の駅なので車内はガラガラ、皆が座れる。江若鉄道はゆっくり走り出す。琵琶湖岸を南へ進む鉄道。湖畔の松林が見えなくなるころ、右手に比良の山肌がぐっと近づいてくる。一つひとつ駅に着くごとに多くの人が乗り込んで来る。大津に近づく頃、暮色は濃く、遠くの山にポツンとお宮の光が灯る。楽しかった。真っ黒に日焼けした顔を見合わせながら来年もまた来ようなあ、と約束しながらそれぞれ我が家へと帰っていくみんな。長く続いた饗庭野(あいばの)のキャンプ。その中にはいくつかロマンスも生まれたようだ。本当に楽しい平安西こども会の行事であった。あの美しい影色。清く澄んだ湖水。そして小さなひなびた鉄道の駅。もはや私の思い出の中だけにあるのだろうか、今もそこにその家はあるということだけれど、私はそれ以来そこを訪れたことはない。