墓参会
平安西分教会の墓参会は、ずっと昔から、私の生まれる以前より続いている。初代会長様の命日である4月10日に毎年行われる墓参会、その頃、京の街は桜の真っ盛り。底冷えする長い冬からやっと開放されて絢爛豪華な春を迎えるのである。
京都市電に乗って東山馬町で降りて、山の方へ向かって歩くと一軒の花屋の前へ出る。名前は忘れたが、その花屋とは昔から懇意にしていて、平安西の墓参用品が全部そこへ預けられていた。愛想のよいおばさんが、にこやかに一人ひとりに水の入ったバケツと榊を用意してくれる。
その頃、今、東山を貫いて山科へと続いている国道1号線、五条パイパスは無く、墓地のまわりはうっそうとした山中だった。花屋の横の細い道を降りていくと、お地蔵様が可愛い顔をして迎えてくれる。木々をくぐり抜けてそれぞれの家の墓地へ。お墓の掃除をしたらお供えものをして参拝する。その後、平安西の歴代会長様の墓前へ、そして墓地全体が見える高台から、祖霊様方に向かって順次心からの参拝をする。雅楽の音が響き、辺りは荘厳な雰囲気に包まれる。いつもよい天気で、祖霊様方もお喜び下さっていたのだろうと思う。
墓参がすむと清水寺の方へ一斉に歩きだす。今のように自動車などあまりない時代なので荷物をいっぱい持って歩く。今では考えられない話だが、清水寺の境内地、重要文化財の「子安の塔」前にゴザを敷き広めて花見の宴会をするのが毎年の恒例だった。
酒、魚が広げられ、重箱に詰められたお寿司を、赤い塗り碗の取り皿に入れてもらう。桜の花が満開、風に吹かれて花びらがひとひらお酒の中に・・・。缶ビールなんて無い頃だからお下がりの入った一升ビンで杯が酌み交わされる。
父はお酒が入ると少し気が大きく朗らかになる。気持ちよさそうに小唄を歌う人、民謡に合わせて踊る人。ちょっとエッチな話でも出たのか、ワアッと大きな笑いが弾ける。私たち子供はお腹が一杯になると滝の方へ行って、ひしゃくに水をくんで仏様にかけたりして遊んだ。
「さあ、帰りにとも子に何か買ってやろうかな」と父の言葉に、あれがいい、これがいい、といって門前に並ぶお土産屋で、可愛らしい胸飾りやこつさげ(根付け)を買ってもらう、みんなお酒に酔ってよろよろしながら、三年坂、二年坂を通って霊山観音のところでひと休み、ジュースなど飲んで円山公園のしだれ桜の木の下へ。毎年見るこのしだれ桜の見事さ、感嘆の声を上げ、しばしうっとりと見入る。桜守りの腕をほめたたえて行くうちに八坂神社へ、そして石段下で自然解散。
毎年、同じコースを楽しんで歩いた。私たちは四条通りから河原町通りへとブラブラしながら平安西の教会へと帰る。「ああ疲れた、でも桜が綺麗やったなあ」と、京都の街が子供心にも誇らしく思えるのはこういう行事があればこそだ。
当時はテレビも無いし、京都の街を騒がしく紹介する時代でも無かった。本当に純粋に私たちの故郷だったのだと思う。
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