教祖120年祭地方講習会を受講して

 

先月の21日に、大教会でコンサートがございましたが、そのひのきしんにやらせてもらって、参拝場で神様を拝んでおりますと、向こうの方から、ある役員先生が歩いて来られました。普段は割と渋めの表情をされている方なのですが、その時はニコニコして近づいて来られましたんで、何かな?と思ったんですが、その先生がおっしゃるのに、「おまえ来月の14日あいているか?」ということでした。ちょっと嫌な予感がしたんですが、「んー、そーですねー」などと言葉を濁しておりますと、「21研修会で、地方講習会を受講した感想を話してくれないか」ということでした。私は、まさか自分があたるとは思っていませんでしたので、必死にいいわけを考えまして、「その日は上級、平安西の月次祭です」といいますと、それは昼やろ、夜は空いてるやろ、ということで。また、恥ずかしながら、まだその時は地方講習会にやらせてもらっていなかったので、「まだ地方講習会に行ってないんですよ」と言いますと、今から行けばいいから、とおっしゃり、何でもいいから、思ったことを話してくれればいい、ということでしたので、お引き受けすることにしました。とりとめのない、趣旨にそぐわない話になるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。

この度のテーマは「教祖百二十年祭 地方講習会を受講して」ということですが、私は、この後に、いくつかの言葉が続くと思わせていただきます。たとえば「地方講習会を受講して、どう思ったのか?」また「講習会を受講して何を心定めしたのか?」または、「講習会を受講して、何を実行しているのか」などなど、それは、講習会を受講された方でそれぞれ違うと思うのですが、私の場合、「教祖百二十年祭 地方講習会を受講させて頂いてどう思ったのか」と問われますと、つきなみになるかもしれませんが、やはり「教祖百二十年祭にむかって、にをいがけ、おたすけに精一杯つとめさせていただきたい」というしかないと思います。また、私は特に「おさづけを取り次がせて頂きたい」、「おさづけの取り次ぎが日常になるくらいにならせて頂きたい」と強く思いました。

話は変わりますが、私は本部勤務時代、教内高校生向けの雑誌であります「はっぴすと」の編集をさせてもらっていたのですが、その企画の中で、「お道あちこち探検隊」というものがありました。内容は、毎月、管内高校生、例えば天理高校生や親里高校生など5.6人に集まってもらいまして、あるテーマについて、感じること、知っていることを思いのまま、話し合ってもらい、それを記事にするというものでした。テーマはたとえば、ひのきしんについて、おつとめについて、おやさまについて、など毎月変わるのですが、ある時、「おさづけ」について話し合ってもらうことになり、私はそばでそれを聞いておりました。最初は、別席ってなんだろう、とか別席を9回運ぶ意味などを話していたのですが、途中、みんなが、親からおさづけを取り次いでもらった経験談を話し始めました。小学校の時、授業参観の途中で急におなかが痛くなり保健室に運ばれたとき、お父さんがおさづけを取り次いでくれた、とか、お姉さんが病気だったんだけど、毎日おさづけを取り次いでもらっているうちになおったのを見て、おさづけって本当に効くんだなと思ったとか、ものすごい腹痛に襲われて猫みたいに背中を丸めて寝ていると親が背中からおさづけを取り次いでくれて、そのまま意識がないうちに寝てしまっていて、起きたら直っていた。とか、次々に話してるんですね、
そして、最後にみんなが言ったのは、その時の親の手がとっても大きくて暖かかった、と。それを聞いたとき、私は、多分この子たちは家や学校で普段こういう話はしないんだろうけれど、親や会長さんにおさづけを取りついでもらった経験というのはとても深く印象に残っているんだなと思いました。
そこで、私の場合を思い返してみますと、私も幼い頃からよく、親、特に母親におさづけを取り次いでもらいました。しかし、特別にこの時はこうだったということは思い出せないのですが、ひとつ、親のおさづけに関してとても印象深い出来事がありました。それは、私が中学生の時だったと思うのですが、父親が自動車に乗っていて、後ろから追突され、救急車で病院に運ばれたことがありました。その電話を受けて、私と母親は病院へ駆けつけました。薄暗い病院の廊下を悲愴な顔をして早足で歩く母親の姿、そして、母親は父親がいる病室に入るなり、ベットに寝ている父親にすがりつくようにして、おさづけを取り次ぎだしたんですね。私は母親の姿を少し離れたところから手を合わせながら見ておりました。他のことはあまり覚えていないのですが、そのシーンはものすごく深く私の印象に残りました。その時の母親は、もう周りの何もかもが見えていない感じで、ただ一心に神様にすがっているようでした。私はその様子を見て思ったのは。おさづけとはまだよくわからないけれど、すごいものなんだということ。それと、母親の父親に対する愛情の深さのようなものを漠然と感じたように思います。
よく母親からおさづけを取り次いでもらったと先ほど言いましたが、私の場合、私がおさづけの理を頂いてからは、よくおさづけを取り次がさせられたんですね。取り次がさせられたという言い方は語弊があるかもしれませんが、母親は、頭が痛い、風邪をひいてしんどいなどというとき、よく「おさづけ取り次いでくれへんか」と言って私を神様の前に連れて行き、私におさづけを取り次ぐように促したんです。おさづけは自分には取り次げませんから、とにかく、だれかに取り次いでもらおうということなのかもしれませんが、そこには父親や弟もいるんだけど、いつも私が言われる。私の教会は、母親が会長で、私がその後継者ですから私に頼むのは順当なのかも知れませんが、今にして思えば、そのおかげで、おさづけを取り次ぐことに抵抗を感じずに今までこれましたし、母親にしてみたら、私への仕込みのひとつだったのかと、ふと思ったりします。ひと月ほど前も、風邪をひいてしんどいといい、私におさづけを取り次いでくれというので取り次がせてもらったのですが、何か妙に嬉しそうなんですね。やはり、母親としては息子におさづけを取り次いでもらうのは嬉しいのでしょうか、私も心の奥で少し照れくささを感じながらも、こんな感じもたまにはいいなと思いながらおさづけをとりつがせてもらいました。

そんなことから、私は以前より、子供ができればおさづけを取り次がせてもらいたいと思っていました。そして、今から二年あまり前、36歳の時に結婚し、女の子を御守護いただいたんですが、ことあるたびにおさづけを取り次がせてもらいました。ここからは少しオノロケになるのですが、先日、私は風邪をひきまして、頭がいたくて仕方なかったので、夕づとめの後、家内におさづけを取り次いでくれるように頼んだんですね。神殿に相対して座りまして、おさづけの取り次ぎをうけていたんですけれど、それを見た、1歳半になります娘がツカツカと寄ってきまして、ジッと見てる。そして、「あしきはらいたすけたまえてんりおうのみこと」と家内が言いながら頭の先から撫でますと、
娘がそれを見て、同じように両手で頭を撫でてくれるんですね。家内を真似して何度も何度も撫でてくれる。超が付くくらいの親バカの私は、それがもう、とても嬉しくて、家内の手と娘の手の二倍の暖かさを感じまして、本当に暖かい豊かな気持ちにならせていただきました。神様もその姿を見て喜んで頂いたのか、それから一晩寝たら、すっきりと風邪が治っていて驚いたということがありました。

先月の7日、夜にパソコンの前に座ってインターネットをしておりますと、家内が側にやってきまして、子宮の病気について調べてほしいというんですね。私はてっきりだれか友達がそういうことで悩んでいるのかと思って、「誰か悩んでいる友達がいるの?」と聞きますと、「実は私なんです」という返事。驚いて聞き直しますと、ここしばらく異常出血がつづいて止まらないんだということでした。それから、イッパクおいて、実は、念のために妊娠検査薬で調べてみると陽性に出たというのです。わたしはいきなりのことでしたので、二重に驚いて、喜んでいいのやら、心配したらいいのやらでパニック状態に陥ったのですが、とにかく翌日に病院へ行こうということになりました。翌日は土曜日で産婦人科の待合室は人でいっぱいでした。名前を呼ばれて家内は診察室へ入り、私は外で娘と待っていたのですが、やがて、家内がニヤッと笑いながら出てきました。話を聞くと、子宮の中に二つ袋があって一つは血がいっぱいでこれは胎児なのかどうかはわからない。もうひとつは確かに胎児なんだけれど、心臓が動いているかどうかは確認できない。家では安静にしているように、また月曜日に診察に来るようにとのことでした。
私たちの家族は、何かお祝い事があると、近くのコンビニで安いワインとピザを買ってきて夜に乾杯するのが習慣になっており、娘ができたと分かったときもお祝いしたのですが、その日は当然できませんでした。実は病院に行く前に、それらは買ってあったのですが、冷蔵庫に入れたままになっていました。夜、普段と変わりない食事を終えて、部屋に戻ってから家内におさづけを取り次ぐことにしました。家内と正対して座り、「なむたすけたまえてんりおうのみこと」とおなかをさすると、まだおなかはぺちゃんこでしたけれど、この中に、我々の子供がいるんだな、そして今、生まれよう、育とうとがんばっているんだなと思いますと、何とか御守護頂きますようにと、真剣におさづけさせていただきました。そして、私はおさづけを取り次がせてもらう前と後で、私の心に変化があることに気づきました、おさづけを取り次ぐまで私は、「この子はかわいそうな子だな。お姉ちゃんと違って、おなかに生まれたと分かった日に誰にもお祝いしてもらえなかった。それどころか、皆に心配をしてもらうことになった」と思っていたのですが、おさづけをした後、「この子はワインで乾杯、などとは言ってもらえなかったけれど、おなかに宿ったとみんなが知ったその日に、お母さんの身体を通しておさづけを取り次いでもらうことができたんだなあ」と思い、「この子が生まれてから、私はこの子に何度おさづけを取り次ぐことになるかはわからないけれど、その一番最初のおさづけはこの時だったんだよ、と知らせてやろう。また、おさづけの尊さをこの子には何より知らせてやれる」と思いました。そして、夫婦で色々と話しました。
次の日の日曜日、私はいてもたってもいられなく、自教会でおねがいづとめをさせてもらい、上級、平安西分教会、そして河原町大教会へ行きお願いをして、帰りには清水山のお墓へ寄ってご先祖さんにもお願いして帰りました。
月曜日。病院の診察を終えて出てきた家内の表情はとても晴れやかなものでした。胎児の心音が確認され、そして初めて妊娠二ヶ月の診断をいただきました。出血もその血のかたまりの袋からのものだけで胎児には影響なく、出血もじょじょにおさまっているということでした。私はあらためて親神様、教祖に感謝しました。

真柱様は昨年の秋季大祭のお話の中で、「身上の大きい小さいに関わりなく、機を逃さずにおさづけを取り次げるよう、家族をはじめとする身の回りの人に、日頃からおさづけを取り次ぐように心がけるという方法もある」また「一人でも多くのようぼくがチュウチョすることなく親神様、教祖にもたれておさづけを取り次げるようになってもらいたい」と述べられました。私は今、家族におさづけを取り次いだ話をしましたが、本当はそれだけでは不十分だ、ということを知っています。家族同士でおさづけを取り次ぎ合うのは、いわば、いざというときチュウチョなくすぐにおさづけを取り次げるようにしておくための下地作りであるともいうことができると思います。

私が受講した会場の本部講師の先生はそのお話の中で、みかぐら歌の中には教祖が世界をたすけられるための、いくつかの段階がしめされていると述べておられました。「ひとがなにごといおうとも かみがみているきをしずめ」というお歌は個人。「ふたりのこころをおさめいよ なにかのことをもあらわれる」というお歌は夫婦。「みなみていよそばなもの かみのすることなすことを」というお歌は家族。「むらかたはやくにたすけたい なれどこころがわからいで」というお歌は地域「やまとばかりやないほどに くにぐにまでへもたすけゆく」というお歌は世界だということでした。

地方講習会では本部講師のお話とともにとても感動的なビデオが流されました。ブラジルでにをいがけ活動に奔走しておられる現地の方の話。また、北海道の方は50年間も歩けなかったものが歩けるようになるという、にわかには信じられないような御守護の姿をおぢばでいただかれ、実際にビデオカメラの回る前で家族に報告されるシーンは涙がでるほどの感動でした。それらとともに大阪の喫茶店を経営している家族が紹介されていましたが、とても繁盛している店内で一人の常連さんにインタビューしているシーンがありました。その方はその店の旦那さんや奥さんの人柄にひかれて、遠く奈良からかよっているということを聞き私は驚きました。その奥さんが放送の中で、多くの人が集まって頂けるその下地には、なるほどの家族があるんです。そして、教祖百二十年祭に向かって、家族一丸となって、にをいがけ、おたすけさせてもらいたい、とおっしゃっていたのがとても印象に残りました。私はこの言葉を聞いたとき、この言葉を我々が教祖百二十年祭に向かうめどうにさせていただきたいと思いました。

私たちは、教祖120年祭に向かって、家族、教会一丸となって、おたすけの輪、おさづけの取り次ぎを、夫婦、家族にとどまることなく、友人、知人、地域、世界へと広げていきたいと思います。  ご静聴ありがとうございました。