去る、12月12日、私どもの教会では、今年度の大教会巡教を受けさて頂きました。 先生には、ただ今の旬、心定め達成の大切さを熱を込めてお説き下され、教祖130年祭へ向かう仕上げの年を目前にして、皆、心して拝聴させて頂き、勇み心を頂いて自分にできるにをいがけ、おたすけを心に誓わせて頂きました。
  さて、翌日の事、参拝してくれていた滋賀県に住む、一般家庭に嫁いだ妹から携帯にメールが入っていました。それには、「今日、嫁ぎ先のお父さんが来られたので、別席の話をすると是非行かせてもらいたいとおっしゃったので、連絡してもらえますか」というものでした。早速、電話で連絡しますと、大変喜んで下さり是非行かせてもらいます、というご返事を頂きました。
  思えば、この巡教は最初、1月の祝日の予定だったのですが、ある事情から12月に変更になったのでした。急なことで、平日でもあるので、内心は少し残念な気持ちを持っていたのですが、ふたを開けてみると、平日にはいつも来れない人が、参拝できるようになったりして、平日のわりには参拝する人が多かったのであります。
  また、何より、この巡教で受けた話の余韻がまだ冷めない次の日に、たまたま妹の家にお父さんが来て下さり、妹も思いきって別席の話をしてくれた。
  私は、その気持ちがとてもうれしく、深く感謝したのであります。
  思えば、巡教の日が当初の予定通り1月だったならば、もし、違う月にお願いしていたならば、妹もお父さんに話をするきっかけを失っていたかもしれない事を思いますと、成ってくるのが天の理と素直に受けさせて頂く事がいかに大切かを知らされた思いでした。
  さて、初席の日、順序運びさせて頂き、おぢばへ走り、詰所、そして別席場に向かいました。初めて天理に帰られたお父さんは、見るもの、聴くものすべてが初めてで、大変感動して下さり、帰りの車の中ではとても会話が弾みました。
  その言葉の端々に、いつも妹さんにはよくして頂いている、感謝していますという言葉を述べてくださっていました。看護婦をしている妹にとって、家事や育児と多忙の中、実家のご両親にも心を遣って喜んで頂いていることを知って私は本当に嬉しく感じました。この別席の話も、結婚して十年になる妹とご両親との深い心のつながりがあればこそなのだと思いました。
  実は実家のお母さんも、妹が結婚してすぐに別席を運びよふぼくになって頂いているのですが、その時、話して下さった事がありました。
  「私は子供のころ、近くにある天理教の教会でいつも遊ばせて頂いていました。時には近所の子供たちみんなが集まって勉強を教えてもらったこともあります。だから私は天理教さんには子供のころからお世話になっているんです」というものでした。
  成長するにしたがって、教会に行くことはなくなったという事ですが、それから数十年してこうしてご縁を頂いたときに、素直に教会につながって下さっている事を思いますと、お母さんが子供の頃お世話になった教会の先生方のおかげを、私が今頂いていると深く感じさせていただきました。
  こどもおぢばがえりや鼓笛隊活動など、未信者の方々にも関わる活動が多くありますが、昔受けた恩を今お世話している子供たちに返していく。恩を次へ送る。恩送りしていくことが大切だと思わせて頂きました。
  また、最近お母さんと話をする中でその教会がどうやら唐橋分教会さんらしいという事が分かってきたことは、同じ河原町につながる教会として不思議を感じるとともに、本当に有り難く深く感謝させていただいています。
  教祖130年祭に向かう、仕上げの年を迎えて、喜びの種を頂いたわけですが、私自身の働きはどうか、今の旬に相応しい働きをしているかと問われると本当に申し訳のない状態であります。また教会としてもまだまだ心定めにはほど遠いのが実状であります。
  何が何でも初席者3000人といわれる今、私自身、旬を逃さず、積極的に、そして素直に、こりることなく重ねて、心に思う方々をお誘いさせて頂きたいと思います。