私は今47歳ですが、最近ことに近しい方々が出直される事が多くなったように感じます。若いときは自分の祖父や祖母の年代の方々だったのが、だんだんと父母の年代の方が出直されるようになってきました。自分と年が近づけば近づくほど、何度も話をしていたり思い出もありますので寂しく感じます。
  また、以前にはなかった同年代の方の出直しも経験するようになりました。お世話になった親しい先輩や同級生の出直しもありました。
  昨年の暮れ、ある事故で大学時代の同級生が出直しました。46歳、まだ独身でした。葬儀は身内だけで済まされて、それを知ったのは、お母さんからの寒中見舞いのハガキでした。それを見て驚き、友人とお宅へお悔やみに行きました。
  大阪の海沿いの住宅地にある教会。83歳のお母さんが会長をされていて、彼は教会から働きに出ていました。
  私たちは、お母さんがさぞ落ち込んでられるだろうと思って訪ねたのですが、案外お元気そうにされていたので安心しました。
  色々と思い出話をさせてもらった後に、お母さんがこんな話をしてくださいました。
  私は、もともと未信者だったけれど、主人と知り合って、ここに嫁いできました。そして、男3人女1人の子供を授かり、主人が48歳で出直してから、ずっと今までこの教会の会長をつとめています。長男はある布教所の娘さんと結婚して、奈良にある上級教会の会長になったのですが、5年前、47歳で出直しました。そして今、三男が46歳で出直しました。しかし、48歳で出直した主人には、実は多くの兄弟がいたのですが、皆、三歳までに出直していたのです。その中で主人は48歳まで生かせていただいた。息子たちも、47歳、46歳まで生かせていただいた。3歳から46歳という事は、私の孫たちは80歳以上生かせてもらえるだろう。そのためにも、これからも一生懸命がんばろう。今は上級教会の会長になっている長男の嫁といつもこう話して励まし合っているんです。
という事でした。
  私は、この話を聞かせていただいて本当に驚きました。なぜこんなにもすごい悟り方ができるんだろう。そして、自分自身が恥ずかしくなりました。私は、毎日何不自由なく、幸せに暮らさせていただいているのに、時に小さな出来事で不足に思ったり、腹を立てたりしている。本当に情けないと思いました。
  当然、そのお母さんも、心の中では深い悲しみを背負ってられるに違いないと思います。まだ息子の部屋の物はさわれないとおっしゃっていました。しかし、その中で前向きに前向きに進んで行こうとされているお姿に胸を打たれました。訪ねた私たちの方が、お母さんに励まされ、助けられた思いでした。
  教会に一人暮らしになる会長さんを見かね、学校を卒業したお孫さんが、一緒に住もうかと言ってくれているということでした。残された家族の心遣いが伺えたので、私が「それは寂しくなくていいですね」というと「いゃあ、一人の方が気楽でいいですわ」と明るく笑って答えられました。
ある本に、人間の根源的な疑問のひとつは、「人間はどこから来てどこへ行くのか」ということであると書かれていました。「人間は生まれる前はどこにいて死んだらどこへ行くのか」ということであります。
  私たちお道を信仰する者はその問いに明確に答えることができます。人間の身体は親神様からのかりもの、人間の死である出直しは古い着物を脱いで新しい着物を着て生まれてくるようなもの。そして、その間は親神様の懐で生きるのだという事です。
  出直したら、次の生を受けるまで、親神様の懐で生きる。そのイメージは、母親に抱かれた赤ん坊のような状態でしょうか。もしそうだとすれば、それは、思うほど辛いものではなく、とても安楽で幸せな姿なのかもしれません。出直しがすべての人に平等に与えられるものなら、どんな人でもそれが如何なる理由であっても、人は出直せば親神様の懐へと帰るのです。そして、安らかに次の誕生を待つのでしょう。やがて、それぞれがその魂の徳を持って生まれ出てくるのであります。
  言い方を変えれば、人は「親神様の懐から生まれ、親神様の懐に帰って行く」とも言えるのかもしれません。
  私の周りや、遠いところで出直された多くの人たち。私はその方々がまるで赤ん坊のように安らかに親神様の懐に抱かれておられるのだと信じています。そして、またそれぞれの立場で生まれ変わって誕生し、この世で大いに活躍される事を願っています。