先月の話ですが、私は昨日と同じように大教会の奉仕当番をつとめるべく朝6時頃車で家を出ました。2月ということもあって、まだ空は暗く、吐く息は白く、身を縮めながら車に乗り込んだのですが、不意にカーステレオから「みかぐら歌」が聞こえてきました。いつも聞き慣れている真柱様のお声によるみかぐら歌、12下り目。誰かが「みかぐら歌のカセットテープ」を入れっぱなしにしていたのかと思い、テープを出す操作をしても出てきません。しばらく走ってから、それがラジオ放送だと気が付きました。
 うっすらと白みがかる道を急ぎながら、ラジオから朗々と流れるみかぐら歌に耳を傾けている内に、最初の戸惑いは消え去り、序々に得も言われぬ感動が身を包みました。
 我々の教えがもっと世界に伸び広がり、陽気世界に近づいた頃、テレビやラジオから「みかぐら歌」が聞こえてくるのは当たり前のこととなり、町のあちこちで当然のように「みかぐら歌」が唱和されるようになるに違いないだろう。そう思ったとき、私は私たちの進むべき未来へ少しタイムスリップしたような不思議な気持ちになったのです。
 真柱様はお言葉の中で
 「おつとめをつとめて与えていただける御守護の範囲は、人間世界のありとあらゆる分野に及ぶわけであります。換言すれば、人間世界の平穏無事を願う、平和を願う、どこの国とも、どこの人とも、互いにたすけ合って暮らすことを願うには、私たちはこのおつとめに頼るほかには道がないと、はっきりと私は申すことができるのであります。」と述べられました。
 おつとめを通して世界の人々はひとつになれるのであります。それには当然、世界の人々におつとめを知ってもらわなければなりません。「みかぐら歌」を知ってもらわなければなりません。
 神名流しや街角に立って「みかぐら歌」を奉唱させていただくとき、知らない人は不可解な目で見られます。しかし、それは「みかぐら歌」が何かを知らないからであって、知っている人はそのような目では見ないでしょう。まず我々は知らない人に知ってもらわなければなりません。そこからすべては始まるのではないでしょうか。
 今、世の中は様々な問題が山積(さんせき)してまさに暗闇の時代。経済不況に少年犯罪。汚職、殺人、環境破壊。しかし、このような時代だからこそ、今の世の中には我々の御教えが必要なのではないでしょうか。また、今のような世の中になった原因には、親神様がお望み下された道を我々人間が歩んでこなかったという現実があるのかもしれません。
 先の春季大祭神殿講話で真柱様は「私がやらなければ誰がやる、という積極的な気持ちで布教してほしい」と述べられました。教祖御誕生200年、大教会創立110周年というこの旬に「積極的」に、自信を持って、この御教えを知らない人に伝え、一人でも多くの別席者、そしておつとめをつとめて頂ける人を御守護頂けるように、いつか街のあちこちから「みかぐら歌」が聞こえる日を夢見て、にをいがけ、おたすけに努力させていただきたいと思います。