仕事の都合でこの地に引っ越してきた太郎君。おばさんの嫁いだ家がこの近くにあると聞いてやって来たのだが、なかなか見つからない。それにひとつ心配なのは、そこが天理教の教会だということ。天理教のことは何一つ知らない彼、教会ってどういう所?、何をしているの?少し不安なのだ。
これはある青年が初めて天理教の教会へ参拝する物語(フィクション)です。おつとめについての基本的な事項を説明しています。

住宅街を探し回ってやっと見つけた教会。といっても普通の家のようだ。天理教の看板がなかったら分からないくらい。でも一歩中へ入って驚いた。明らかに普通の家とは違う。畳敷きの広いスペースと少し高くなって板の間。その板の間には太鼓や見たことのないものが並べてある。その後ろには神社のお社のようなものが三つ並んでいる。

解説

天理教の教会は全国に1万6千カ所以上あるのだ。何千、何万坪もの広大な土地に建つ壮麗な作りのものから、普通の住宅のような所まで様々だが、その内容は同じ。教会へは誰もが入って参拝することができる。海外の教会を除いて、基本的に参拝場は畳敷きだ。

「こんにちは」と声を掛けると、奥から聞き覚えのある「ハーイ」という明るい声。久しぶりに見る顔に気分がほころぶ。「良く来たわね」と歓迎してもらった。この神殿を見て天理教について少し興味を持った僕は色々と教えてもらうことにした。まずは「拝み方」。畳に正座して座る。一度拝をして(横に手をついておじぎをする)手を四回叩く。又、拝をして、手を四回叩く。そして拝をする。これがワンセット。それを真ん中、右、左と繰り返す。

参拝は「一礼・四拍手・一礼・四拍手・一礼」これを親神様、教祖、祖霊様と3回繰り返す。椅子席からは座って、外では立ったままの参拝もある。拝の姿勢は正座をして両手をそれぞれの膝横につく。こぶしは握ってつくのが一般的。

おばさんが、この三つの神様について説明してくれた。真ん中は親神様(おやがみさま)、右が教祖(おやさま)、左が祖霊様(みたまさま)というらしい。真ん中の親神様が「この世の中、人間、世界すべてを作った元の神様」ということだ。右はこの教えを世の中に知らし広めた教祖(「おやさま」といって、親神様が中山みきという人の身体に入り込んで人を助けたり教えを広められたりした)を祭っており、左は今までに亡くなった人たちをおまつりしているという。
天保9年10月26日、深い因縁によって親神様が中山みき様に入り込まれ世界たすけを始められたときが天理教の立教。今から163年前(西暦2000年から数えて)のこと。祖霊様(みたまさま)は、亡くなった親、先祖、先輩諸先生方の遺徳をしのび、感謝を述べる目標として祭られている。
板の間に並べてある5つのものについて聞いてみた。右から、太鼓、数取(かずとり)、拍子木(ひょうしぎ)、ちゃんぽん、すりがねというらしい。数取りは数を数えるもの。その他は鳴り物、つまり楽器だということだ。「おつとめ」という神様へのお祈りのときに使うという。その中でも真ん中にある拍子木が一番大切なもので、おつとめのときの拍子を打つということだ。数取はおつとめの回数を数え、ちゃんぽん、太鼓、すりがねも決まった打ち方があるらしい。

毎日のおつとめには朝づとめ夕づとめがある。朝づとめは、新たな日を迎えた感謝と決意、祈願を申し上げ、夕づとめは今日一日を勤め終えた喜びを感謝する、信仰生活の区切りとして欠かせない「おつとめ」なのだ。時間は教会によって違う。
色んな話をしているうちに夕方になってきた。そうするとおばさんが、6時から「おつとめ」だから参拝するかい?と聞いてきた。少し興味もあったので見てみることにした。そうすると信者さんが少しづつ集まってきた。6時。教服(きょうふく)とかいう変わった服を着た人がさっきの楽器の前に座った。4つ手をたたいて拝をしておつとめは始まった。よく内容は聞き取れなかったけれど、なにやら歌いながらそれぞれ楽器をならしている。自分の横に座っている人は同じ歌を歌って、何やら手振りをしはじめた。

15分ほどそれが続いて、楽器を鳴らしていた人が下へ降りてきた。するとみんなおもむろにその場に立って次は歌に会わせて踊りだした。これも内容はよく分からなかったけど、ひとつ、ふたつと数え歌のようだ。ゆっくりとした動きだけど廻ったり、手を横や縦にふったり、脚を前に後ろに運んだりしてけっこうハードに見えた。初めて聞くこの歌の節は明るいけど騒がしくもなく、心に染みるとても懐かしい感じのする不思議な歌だった。

「みかぐらうた」という、教祖が教えられた歌に合わせて鳴り物を鳴らし、参拝者はおてふりをする。朝夕のおつとめでは第1節から3節の、いわゆる「座りづとめ」のみをつとめる。その後に教会によって、「まなび」として、立って行う第四節以降の「おてふり」をつとめたり、教典などを拝読したり、朝席というお話があったりする。
全部で20分ほどでそれは終わった。おばさんによると今のは「夕づとめ」で、「朝づとめ」とあわせて一日2回あるという。今みんなで歌ったのは「みかぐらうた」といって、おつとめのときに歌う歌。これに合わせて手を動かしたり、踊ったりするのは「おてふり」といって座ってするものと立ってするものがあるらしい。「おてふり」の動きはすべて「みかぐらうた」という歌の内容に合わせて決められており、この歌の内容も、節も、動き方もすべて教祖が教えられたものなのだという。
「おつとめ」には、天理教本部神殿の中心にある「ぢば」をかこんで行われる「かんろだいづとめ」と、各地の教会で行われる月次祭の「つとめ」、信仰者が日々つとめる「朝夕のおつとめ」がある。
奈良県天理市にある天理教の本部には大きな神殿があって、その中心には人間が生まれた場所があるらしい。毎月26日にその場所でおつとめがあるのだが、このおつとめが天理教の中で一番大切なおつとめなのだという。この教会でも月に一度、月次祭(つきなみさい)というおまつりでおつとめをつとめる。、そのときには多くの人が集まって、賑やかにおつとめをするそうだ。そのときの服装も鳴り物の種類も夕づとめとは全く違うのだそうだ。おばさんに夕御飯をご馳走になり、次の月次祭に参拝する約束をして自分のアパートに戻った。

「おつとめ」は、すべての人間に陽気ぐらしをさせたいという親心から教えられた、すべての人々をたすける道(方法)なのだ。「おつとめ」にかかわる人々が親神にもたれ、呼吸を合わせて陽気につとめるとき、その一手一つに勇む真心を親神様は受け取って、どんな守護も現されると教えられる。その守護は、単に人間個々にとどまらず、豊かな稔りや平和の栄えなど、広く世界にもおよぶのだ。そこに「神と人が共に楽しむ」陽気世界が現れるとされている。