お前が生きる道ならば

「ヒノエに相談したいことがあるのだが、今、良いだろうか?」
「構わないよ。何だい?」
敦盛が申し訳なさそうに言って来るのを見て、ヒノエはレポート作成の手を止めた。
そこで、敦盛はヒノエの前に神妙な顔で座ると、話を切り出した。
「ヒノエは、先日の雅楽祭でのことを覚えていると思うのだが…」

先日、横浜で若手の雅楽奏者達の演奏会が行われた。
そこには永泉も参加していた関係で、敦盛の元に招待券が届き、有り難くヒノエと望美と3人でご招待に預かったのだ。
前半のプログラムが終わった際、望美は眠そうだったが、敦盛は特等席で楽の音を楽しみ大変良い気分だった。しかし、後半が始まる少し前になって、事件が起こった。
スタッフによって半ば連れ去られるようにして楽屋へ足を踏み入れた敦盛は、急遽、永泉の代役として龍笛を吹いて欲しいと拝み倒されたのだ。
そんなことになったのは永泉の所為ではなく、元々の原因は、他の楽器の奏者が幕間に急病で倒れたことだった。運悪く、その者の担当は後半の演目では花形だった。その為、急遽演目を変更することで話が進んでいたのだが、そこへ永泉の保護者よろしく付いて来ていた友雅が、客席に優れた龍笛奏者が居るから、助っ人に入って貰ったらどうかと言い出したのだ。和楽器なら何でもござれの永泉が倒れたものの代わりを務め、敦盛に永泉の代わりを務めてもらえば、演目の変更は不要だと言うのである。
敦盛には、いきなり舞台に上がる重圧よりも、彼らの頼みを断ることの方が荷が重かった。
「本当に私などで良いのであれば、精一杯、代役を務めさせていただこう」
こうして舞台に上がった敦盛は、周りが驚くほど見事に永泉の代わりを務め、関係者一同から感謝と称賛を浴びたのだった。

さて、話はそれで終わらなかった。
若手だけとは言え、客席にはそれなりの人物も顔を揃えていたし、関係者からも話は広まった。友雅が上手くさばいてくれたおかげで敦盛のところに人が押しかけるという事態にはならなかったものの、その友雅を通じて敦盛の元に幾つかの話が持ち込まれた。
その一つが、龍笛奏者としてのソロデビューの話だった。

「やるかどうか迷ってるなら、俺は何も言えないよ。決めるのはお前だからね」
「解っている」
「俺は、迷ってる時に背中を押したりはしない。けれど、お前が決めたのなら、どんな生き方でも全力で応援してやるよ」
滅多なことでは自分から何かをしようとはしない敦盛だ。その上、今は完全に生者としてこの世に存在するが、一度は怨霊となった身の上からか、生への欲求というものが著しく乏しい。だから、その敦盛が生きる道を選ぶのなら、ヒノエはそれがどんなことでも応援する心づもりだった。望美や譲とも、常々そう話している。
敦盛は、ヒノエの言にしっかりと頷いた。
「うむ、それも解っているつもりだ」
「それじゃあ、何を相談したいんだい?」
さすがのヒノエにも、今の敦盛が何を言いたいのかを察することは出来なかった。殆ど降参とも言えるこの問いに、敦盛はどう言葉を選んで良いのかまだ迷っている風な顔をする。
そこでヒノエは、質問を変えた。
「お前は、やりたいと思ってるのかい?」
「……やりたい、と思う」
「でも、怖い?」
「怖い、と言うなら、そうかも知れない」
「売れなかったらどうしようとか、本当に自分に出来るだろうかとか、そういうことかな?」
「いや、そうではなくて……その、何と言ったらいいのか……失敗した時は私がその器ではなかったのだと、潔く身を引けば良いのだと思うのだ。出来るかどうかと言うなら、それは自分では何とも言えないのだが、そこは勧めて下さる方々を信じる所存だ」
どうやら敦盛の心は確と決まっているらしい。ならば、一体何を相談したいと言うのか、ヒノエはますます解らなくなった。
ここは敦盛の言葉をじっくり待ってみるか、とヒノエが聞く体勢でジッと待っていると、敦盛がそろそろと口を開く。
「私には、未だにこちらの世界のことはよく解らない。だから、話を受けたりそれを続けていくのに注意すべき点など、誰に相談して良いのか全く見当がつかないのだ」
「それは……とりあえず、譲で良いんじゃないか?」
何だ、そんなことか、とヒノエは拍子抜けした。この世界のことで解らないことがあったら、まずは譲に訊くのが一番だろう。譲は、あちらで3年過ごした将臣などよりもずっとあちらのことに造詣が深く、それも踏まえてこちらのことをいろいろ解り易く説明してくれる。言うなれば、生き字引か通訳と言ったところか。
「いや、譲に言ったら、”俺はあの業界のことはあまり詳しくないんで…”との答えが返って来たのだ。ただ、その時、”間違っても、絶対に、兄さんや先輩には訊いちゃダメですからね”との忠告だけはしてくれた」
さすがの譲にも解らないことはあるのだな、と思うと同時に、その忠告は実に正しいと言えよう。望美が聞いたら、相談に乗るどころか興奮して騒ぎ回るだけとなるに違いない。いい加減な答えばかりする将臣も論外だろう。
「だったら、幸鷹か……いっそ、友雅に訊けば良いんじゃないか。きっかけを作ったのも、話を持ち込んだもの、全部あいつなんだろう?この際、先々のことまで、しっかり責任をもってもらえよ。ああ、契約とか何かの権利関係とか法的なことなら幸鷹が力になってくれると思うし……勿論、俺も出来るだけのことはさせてもらうから、心配するな」
「友雅殿か……そう親しいわけでもないし、私はあのような御仁はあまり得意ではないのだが…」
「不安なら、いつでも俺も同席してやるよ。まぁ、神子姫様との先約がなければの話だけどね」
敦盛も、逢瀬の邪魔をしてまで同席してくれなどと言うつもりはさらさらなかった。それではヒノエのみならず、神子の邪魔をすることになってしまう。そんなことは、考えるだけでも恐れ多い。
「では早速、同席を頼めるだろうか?ヒノエの都合に合わせて、友雅殿も交えて先方とお会いしたいと思う」
「ああ、いいよ。今のところ、姫君との約束はないからね。いつでも、お前の好きな日時を選ぶと良い」
その答えに、敦盛は少し戸惑う。確かに、神子との先約がなければいつでも、とは言ってくれたが、本当にそこまで都合を合わせてもらっていいものなのだろうか。
そう顔に書かれている敦盛に、ヒノエは笑顔で言った。
「言っただろう?お前が決めたのなら、どんな生き方でも全力で応援してやる、ってさ」
力強く請け負うヒノエに勇気づけられて、敦盛はその場で友雅に連絡を取ったのだった。

-了-

《あとがき》

敦盛さんの身の振り方も決まりました。
儚げな雰囲気も幻想的な、魅惑の龍笛奏者です。

タイトルの「お前が生きる道ならば」は、まるでリズ先生小話のようですが、望美もヒノエくんも皆、敦盛さんが生きることを選んでくれたら、全力でそれを応援する心づもりがあります。
ヒノエくんも、敦盛さんには幸せになって欲しいんです。なので、デート中に望美が他の男の話をしても、天地の玄武のことならあんまり妬きません。それに、敦盛さんが幸せになってくれれば、大事な神子姫様の憂い顔が減りますし、ね(^_^;)

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