笑顔の今昔物語

執務の息抜きに中庭を散策している千尋と護衛の名目で連れ立って歩いている忍人を眺めながら、柊は傍らの風早に向って楽しそうに言う。
「忍人は随分と表情が豊かになりましたね」
「ええ、千尋のおかげですね」
2人の視線の先には、千尋に何か言われて微笑んだり照れたり怒ったり困ったりとコロコロ表情を変える忍人の姿がある。
「昔は、いつも仏頂面で、それ以外の表情と言ったら眉を吊り上げて怒る顔だけ。笑わせるのにどれだけ苦労したことか…」
「ははは…確か羽張彦と賭けになったんですよね?」

それは羽張彦が不満そうに漏らした一言から始まった。
「俺は最近、兄弟子の威厳が薄れているような気がする」
風早と柊は、突然何を言い出すのかと怪訝そうな顔になった。柊に至っては、有りもしないものは薄れようがないでしょう、とでも言わんばかりである。
「忍人の奴、さっきも俺が課題を手伝えって言ったら、素気無く断りやがった」
「それは当然のことでしょう?」
「忍人が手伝いを拒むのは、何も今に始まったことではないはすですよ」
課題は羽張彦に与えられたものだ。風早はつい放っておけなくてすぐに手伝ってしまうし、道臣も時々だが見るに見かねて手を貸すが、柊や忍人は滅多なことでは手伝わない。
「断るにしても、以前はもっとこう…何て言うか、礼儀正しい感じだったんだ。それが、いつからかどんどん言葉が短くなって来て、ついにさっきは”断る”の一言だぞ」
「私は、それが正しい対応だと思いますね。羽張彦に正論を解いて丁寧に断ったところで時間の無駄だと学習したのでしょう」
「同感ですね」
風早も柊も冷ややかに茶を啜った。
「剣の腕もメキメキ上がって、手合せでも可愛げが無くなって来た。ここらで一度、ぎゃふんと言わせたい!」
「……忍人が”ぎゃふん”と言うところなど想像出来ませんね」
「ええ、忍人はおろか、そんなこと言う人は居ないと俺も思います」
呆れたように反論されて、羽張彦は言い訳する。
「いや、”ぎゃふん”って言うのは例えみたいなもんだ。要は”参った”とか”勘弁してくれ”とか言わせたり、あとは泣かせるとか…」
「忍人を泣かせるなど容易いことですよ。何なら、やって見せましょうか?」
「やめてください、柊。何か酷いことするつもりでしょう」
風早が慌てて止めてくれたおかげで忍人は酷い目に合わずに済んだが、これで羽張彦の意地に火が付いた。
「だったら、お前は忍人を笑わせてみろ」
「忍人を……笑わせる?」
それは確かに難題だった。泣かせることなら容易く出来る。いくら忍人が我慢強くても、やり方次第で生理現象や身体反射で涙を流させることは可能だ。しかし、笑わせるとなると……くすぐっても忍人のことだから、意地でも笑うまいとして下手をすると舌でも噛みかねない。
「そう言えば、忍人が笑ったところなんて見たことがありませんね」
風早が思い返す限り、忍人はここへ来てから微笑んだことすらなかった。いつでも何か思いつめたような険しい顔をして、子供らしさの欠片もない。
泣き顔ならば見たことがあった。最近はともかく、ここへ来た当初は悔し涙を流す姿を何度も見かけた。
そんなことを考えている風早の隣で、柊がニヤリと笑った。
「面白そうですね。もし私が忍人を笑わせることが出来たら、どうします?」
「おっ、賭けか?いいぜ、乗った。欲しいもんがあるなら言ってみな」
「では、物ではなく行動で……私が勝ったら、あなたは一月外出禁止と言うのは如何でしょう」
「うっ、それは…」
「私が忍人を笑わせるのが早いか、あなたが忍人をぎゃふんと言わせるのが早いか勝負です。あなたが勝ったら、その次の課題は全部手伝ってあげますよ」
「乗った~!」

「あの勝負って、結局どうなったんでしたっけ?」
「私の勝ち……ということにはなりましたが、あくまで偶然の産物です」
柊はあの手この手で忍人を笑わせようとしたが、すべて不発に終わった。
まずは定番とばかりにくすぐってみたものの、予想通り忍人は柊の目論見通りになることを厭って歯を食い縛って笑いを堪えた。
可愛い小鳥や子犬を連れて行っても「さっさと親元へ帰してこい」と怒鳴られるだけだった。
喜びそうな贈り物をすれば気味悪がられ、美味しいものを食べさせても頬を緩めることはない。
その他いろいろ試したが、忍人はニコリともしなかった。まさか、ここまで笑わないとは、さすがの柊も思いもしなかった。
一方で、羽張彦もムキになって手合せで忍人を叩きのめしたが、勿論、忍人が降参することも泣くこともなかった。

忍人が笑顔を見せたのは、皆で集まって岩長姫から出された課題をやっていた時のことだった。
「道臣殿、ここなのですが…」
「ああ、これはですね…」
いつものように解らないところを道臣に質問した忍人だったが、質問の意図がうまく伝わらず、納得のいく回答が得られなかった。
そこへ柊が横から口を挟み、忍人が上手く表現出来なかった質問の本質部分への解説を加えたのだ。
「成程…。ありがとう、おかげでよく解った」
余程、行き詰っていたのだろう。忍人は憑き物でも落ちたかのように表情を緩ませ、珍しく柊に向かって素直に礼を言ったばかりか、僅かに笑みを浮かべたのだ。
その顔が、修行時代に柊が見ることの出来た忍人の最大級の笑顔だった。

「それが、まぁ、どうですか?あの笑み崩れた様子は…」
「一般的に言えば、並みの笑顔なんですけどね」
しかし、あの忍人がとなると、それはまるで別人のような笑い方だ。
「千尋のおかげで、忍人はかなり人間らしくなりましたね」
「ええ、おかげで私の楽しみも何倍にも増えました。本当に、我が君は素晴らしいお方です」
柊は千尋と楽し気に過ごしている忍人を見つめながら、次はどんな風に忍人で遊ぼうかと着々と計画を練るのだった。

-了-

《あとがき》

忍千だけど、風早+柊創作。

これまでにも時々織り交ぜて来ましたが、”忍人を笑わせること”は柊にとっても無理難題であります。
千尋の命令でも容易には叶えることの出来ない願いが、”忍人を笑わせること”と”手の届くところに居るのに、忍人で遊ばずに過ごすこと”というのが、うちの柊の基本設定です(^_^;)

そんな忍人さんも、千尋にかかるとコロコロと表情を変えます(*^_^*)

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