其れは甘くて酸っぱくて

風早には誘われて、忍人が柊と3人でお茶を飲んでいると、千尋が大きな籠を抱えてやって来た。
「カリガネに手伝ってもらってお茶菓子を作ったの」
千尋が籠を卓子に乗せると、忍人がその手を掴んだ。
「忍人…いくら我が君のお心遣いが嬉しかったからと言って、いきなり手を握るなど失礼ですよ」
驚く千尋の前で柊がからかうように言ったが、忍人は取り合わない。
「君は、これを作って火傷を負ったのか?」
指先のほんの僅かな火ぶくれを目敏く見つけて、忍人は千尋を責める。
「臣下の為に厨に入り、挙句にこのような怪我を負うなど、君は自分の立場が解っているのか?」
「まぁまぁ、ちょっと息抜きにお菓子作りするくらい良いじゃありませんか。橿原宮ではさすがに無理なんですから、今の内くらいは大目に見てあげましょうよ」
執り成す風早に忍人は非難するような一瞥をくれるとまた千尋に向き直り、隠しから取り出した軟膏をその指先にそっと塗り始めた。
「あの…大したことありませんよ。すぐに冷やしましたし、痛みも殆どありませんし…」
「現に火ぶくれが出来ているだろう。弓を扱う者が指先の怪我を甘く見るな。矢を番えるのが遅れたり狙いが狂ったりすれば、命取りになることもあるんだ。危険なのは自分だけじゃない。怪我の所為で手元が狂って味方を射るようなことがあっては、君もやり切れないだろう」
そう言いながら、忍人は薬を塗り終えると割いた布を慣れた手付きで巻き付けた。
「これでいい。しばらくはそこを刺激しないように気を付けてくれ」
「あ、はい。ありがとうございました」
きつい言葉とは裏腹に優しく丁寧に手当てを施されて、千尋は動揺しながらどうにか礼の言葉だけは紡いだ。
すると、沈黙に気づいた柊が努めて明るく声を上げる。
「では、忍人のお説教も手当も済んだところで、我が君のお手製お茶菓子を有り難く戴くことに致しましょうか?」
「ええ、そうですね。忍人の所為でもう二度と食べられないかも知れませんから、心して戴きましょう」
風早も調子を合わせ、千尋に籠の中身を取り出すよう促す。
そんな2人の後押しを受けて、千尋は思い出したように籠の中からお菓子を取り出して皿に盛ったのだった。

目の前に置かれた菓子を、風早はそのまま掴んで口に運び、柊と忍人は一口大に四つ割にする。
そこで、3人の表情が一瞬曇った。しかし千尋が「あれ?」と思った時には、風早と柊は笑顔に、忍人はいつもの仏頂面に戻っていたので、気のせいかとも思う。
「どう、風早?」
最初に菓子を口にした風早に、千尋は心配そうに問うた。
「美味しいですよ。見た目はどら焼きみたいですけど、味はワッフルみたいな感じですね」
粉を溶いて円盤状に焼き、ジャムを挟んであり、なかなか上手く出来ている。次いで食した柊も、風早同様に喜んで食べた。しかし、忍人は四つ割にしたそれを黙って見つめている。
「忍人さんのは甘さ控えめにしてみたんですけど…」
風早達が見遣れば、確かに忍人の手元の物だけジャムの量が少なかった。甘いものが苦手な彼への配慮だろうと察しはついたが、そのジャムの正体を思えばそんなものは何の意味もない。
食べるのを躊躇っているような忍人を、千尋は不安そうに見つめた。そんな2人を見て、どうやって千尋に告げたものかと風早と柊が目で話し合う。すると、忍人が徐に一片を口に放り込んだ。
「えっ!?」
風早と柊が目を瞠っていると、忍人は澄ました顔で普通に残りも食していく。
「甘さの具合はどうですか、忍人さん?」
「悪くないと思う」
その答えに驚いた柊は、弾かれたように立ち上がって身を乗り出した。
「平気なんですか、忍人!?これ、野いちごの果実糖ですよ!」
その勢いに困惑している千尋に、風早が横から補足する。
「忍人は、野いちごが大っ嫌いなんです。少しでも食べさせればすぐに吐き出すし、それこそ見聞きするのも嫌がるくらいで…」
「えぇ~っ!!」
そんなものを食べさせてしまった千尋は大慌てした。
「おおお、忍人さん!?」
「大丈夫だ。君の心尽くしだと思えば、このくらいの量なら何とか食べられる」
それを聞いて千尋はホッとしたが、その言葉を反芻して眉を寄せる。
「それって……私が作った物だから無理して食べてくれた、ってことですよね?」
千尋に問い返されて、忍人は平然とした顔で言い訳する。
「無理などしていない。俺がこれを嫌っているのは、羽張彦と柊の所為で碌でもない記憶とばかり結びついているからであって、身体が受け付けない訳ではないんだ。だから、心配しなくて良い」
それを見た柊と風早は、微笑まし気に誰にともなく呟いたのだった。
「忍人は本当に素直じゃありませんね」
「千尋は物凄く愛されてますねぇ」

-了-

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