白麒麟

「ケータイが壊れちゃったの。風早、修理お願い」
「簡単に言ってくれますね。千尋のお願いなら何でも聞いてあげたいところですけど、幾ら俺が器用でも、さすがにそれは無理ですよ」
「解ってる。だから、向こうの世界で修理して来て欲しいの」
「向こうの世界…ですか?」
「うん。向こうでショップに持ち込んで修理してもらって、またこっちに持ち帰って欲しいんだ」
「千尋……それ、本気で言ってるんですか?俺に、そんなことが可能だって…」
すると、千尋は当然のように答える。
「だって、風早は白麒麟で時空を超えられるんでしょう」
その言葉を聞くなり、風早は泣きそうになった。
「気付いてたんですか?」
「う~ん、何となくそうじゃないかなぁって…。ほら、飛行中の天鳥船に戻って来た時のこと……あれって、アシュヴィンが黒麒麟に乗っけてくれた訳じゃなかったって聞いたし……その後も、いろいろあって、もしかしたらって思って辿り着いたのが、風早は白…」
「あぁ~っ!」
頭を抱えて蹲った風早に、千尋は驚きのあまり硬直した。その目の前で、風早の身体が光に包まれて行く。
「正体を知られたからには、もうお傍には居られません」
光が薄らぐと、そこには白麒麟の姿がある。
「さようなら、千尋。どうか、元気で……って、ちょっと忍人、角を握らないでください!」
しんみりと別れを告げながらふわりと宙に足を浮かせた白麒麟だったが、言い終わらない内に忍人はつかつかと歩み寄ってその角を片方掴んだ。
「やかましい!俺達は、お前はアシュヴィン程ではないにしてもある程度は白麒麟を使えるものだとばかり思ってたのに……お前自身が白麒麟だと…?挙句に、勝手に正体晒して、知られたから”さようなら”って、何を勝手なこと抜かしてるんだ。ふざけるなっ!!」
胸倉を掴んで締め上げる代わりにもう片方の角にも忍人が手を掛けると、途端に白麒麟がヘナヘナとその場に崩れ落ちた。
「えぇっ、何、どうしたの?忍人さん、風早に何したんですか!?」
「何って……君も見ていた通りのことしか…」
忍人も慌てて手を放し、白麒麟の身体を揺すってみたが、何の反応も得られず途方に暮れた。
「え~ん、風早、起きてよ~。死なないで~。死んじゃ嫌だ~」
「落ち着け、千尋。神獣がそんな簡単に死ぬ訳ないだろう」
そうは言っても、忍人には麒麟の生態など全く解らない。黒麒麟を従えているアシュヴィンなら少しくらいは解るのかも知れないが、今すぐ頼れるはずもないし、他に知っていそうなものと言えば…。
忍人の脳裏にある男の存在が浮かび上がった次の瞬間、千尋がその名を呼ばわった。
「柊~っ、柊、どこ~!早く来てよ、風早が死んじゃう~。柊、柊、柊~っ!!」
ここで叫んでも意味をなさないだろう、と忍人は思った。しかし、誰かを呼びにやるとしても、まずはその人員をどうやって入手するか。予め人の寄りつかなそうなところで話に臨んで居た上、白麒麟を見られることなくかつ千尋から目を離すことなく部下か采女を捉まえるのは容易ではない。
忍人はそう思案していたのだが、それから程なく驚くべき光景を目にした。何と遠方から物凄い速さで柊が走って来たのである。
何処で聞きつけたのかその場に駆け付けた柊は、近くまで全力疾走して来たかと思うと少し手前でいきなり膝を落とし、地面を滑るようにして勢いを殺すと、静止した時には綺麗に千尋の傍らで片膝を付いて恭しく手巾を差し出していた。
「我が君…お呼びにより、この柊、只今御前に参上いたしました」
その姿に忍人は、呆れるやら感心するやらで、目を丸くするばかりだった。

「ああ、ご心配には及びません」
二人から話を聞いて、柊は安心させるように千尋の手を取りながら、麒麟の特性について説明した。
麒麟は角に力を宿す生き物であり、2本の角を制されることで一時的に無力化されてしまうらしい、というものだ。
「忍人が両の角を締め上げたそうですから、その所為で気を失っただけにございます。程なく、何事もなかったかのように目を覚ますことでしょう」
そう柊が言い切るなり、足元から声がして、白麒麟が首をもたげた。
「……千尋」
「あっ、風早!良かった、気が付いたんだぁ」
千尋が今度は嬉し涙を溢れさせると、白麒麟は再び風早の姿へと戻り、その身体を優しく抱きしめる。
「泣かないで、千尋。さぁ、涙を拭いてください。千尋はどんな時でも可愛いですけど、やっぱり笑っている顔が一番可愛いですよ」
次の瞬間、辺りに小気味の良い音が鳴り響き、本体であれば角のある辺りに忍人の拳を受けた風早は再び昏倒したのだった。

千尋の部屋で意識を取り戻した風早は、そこで柊に諭された。
柊は、既定伝承には”正体が知られてはならない”とは記述されていない、と言うのである。
  白き獣、人形(ひとがた)となりて姫の元へ参ず。其は誓う。汝は何者ぞ、と姫より問われぬ限り、我は姫が為に尽くさん
「つまり、我が君が”あなたは何者なの?”と面と向かって問わない限り、約定は破られぬはずです。それを、正体を知られたからにはもうお傍には居られません、などと……あなたは、何処ぞの鶴ですか。そういうことは、我が身を削って徹夜で幻のように美しい反物の一つも織り上げてからお言いなさい」
柊は『鶴の恩返し』を知ってるんだぁ、と千尋は心の中で感心した。
この場に於いて唯一『鶴の恩返し』を知らない忍人も、千尋同様、ここで話の腰を折って風早の説得に影響を及ぼしてはならぬとばかりに、敢えて沈黙を貫いた。
その甲斐あってか、風早は柊に上手く丸め込まれて、何もなかったかのように元の鞘に収まったのである。

これまで通りに風早の煎れたお茶でのお茶会と相成って、そこで風早は改めて千尋達に謝った。
「お騒がせして、すみませんでした」
「まったくだ。目の前でコロコロと姿を変えるわ、いきなり昏倒するわで、俺がどれだけ肝を冷やしたことか」
「ええ、本当に世話の焼ける”うましか”です」
「うましか?……ああ、馬と鹿か。あはは…確かに、麒麟って馬と鹿を合わせたような姿をしてるよね」
千尋が感心したように笑うと、柊は呆れた口調で続ける。
「ですが、見た目が馬と鹿を合わせたようだからと言って、何も中身までそうなることは無いでしょうに…」
「……そんな、回りくどい言い方しないで、はっきり”バカ”って言ったらどうなんですか?」
風早が苦笑しながらそう促すと、柊はその通りにした。
「それでは、言って差し上げましょう。早とちりして正体を晒した挙句に、焦って別れを告げたりあっさり角を掴まれて気絶して、我が君を泣かせるとは……この大馬鹿者がっ!!」
最後に珍しく声を荒げた柊の一喝に、風早はここに到って初めて、その怒りの根深さを悟ったのだった。

「わ~い、新しいケータイだ。ありがとう、風早」
「ははは…どういたしまして」
千尋に再び頼まれて、風早は今度は素直に時空を超えて修理に赴いた。しかし、型遅れになっていた千尋のケータイは既に修理対象から外れており、機種変更を余儀なくされたのだった。
それに合わせて、ソーラー充電式バッテリーも新調した。
「俺が勝手に選んじゃいましたけど、気に入って貰えたようで良かったです」
確かに自由に時空を超えられるものの、あれはかなりの大技なのだ。霊力の消耗が激しいので、カタログを持って帰って出直すとか、千尋を連れてとんぼ返りとかは厳し過ぎる。
しかし、そんなことは知らない千尋は、無邪気に言う。
「これからは、ガトーショコラが食べたくなったら、風早に言えば買って来て貰えるのかなぁ」
「……近い内に、こっちにはない材料を買い揃えて来ますから、それで勘弁してください」
「プリンは…?」
「それなら、はちみつプリンがあるでしょう」
「ああ、あれ、美味しいよね。でも、たまには焼きプリンとか、プリンタルトとか、なめらかプリンとかも食べたいなぁ」
「あまり無理を言うな、千尋。白麒麟の利用は、本来ならば禁じ手のようなものだ。そう、気軽に使うべきではないだろう」
千尋はまだいろいろおねだりしたかったようだが、忍人に言われて引き下がった。再び新しいケータイに意識を移して、あれこれ機能を試したり、忍人や風早にカメラを向けたりして楽しみ始める。
「ははは…助かりました、忍人」
風早がお礼を言うと、忍人は冷静に言い放つ。
「隠しておいてこそ、奇襲に役立つ手駒にもなろうというものだ。あるいは、緊急時の連絡や移動手段にもな。千尋の道楽に付き合って霊力を消耗した結果いざと言う時に動けないのでは、それは神獣・白麒麟ではなく、本当にただの大きな”うましか”ではないか」
本体に戻った状態で両の角を制されて、理により忍人のアッシ―たる身になり下がった風早には、いざと言う時にそれを拒む権利などありはしない。
しかし世は平和で、忍人は無闇にその権利を行使することを良しとしないようだ。そのことに、風早は心底救われた思いがしたのだった。

-了-

《あとがき》

井上さんVoiceで「笑ってる顔が一番可愛いよ」ってのは、往年のファンなら御存知かも知れないアレへのオマージュです(*^^)v

ガトーショコラの元ネタはドラマCDから頂きました。
道臣さんでも入手出来なかった材料も、白麒麟なら買って来られます(*^_^*)

風早ってば早とちりだよぉ(+o+)
千尋の「風早は白麒麟で時空を超えられる」は「風早は、白麒麟(に頼ん)で時空を…」って意味なのに、聞いた風早は「風早は白麒麟(なの)で、時空を…」って受け取ってしまいました。
普通に話してて、わざわざそこで一呼吸置いたりしませんからね。日本語の落とし穴に見事に落っこちた風早でありました。

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