お気に入り

兵達の訓練の様子を窺って、また机仕事に戻ろうとしていた忍人は、聞き覚えのある声を耳にして慌ててそれを辿った。
それは決して空耳でも勘違いでも無く、行き着いた先では二ノ姫である娘の千那が柊に抱き上げられて楽しそうに笑い声を上げている。
忍人は、一気に飛び出して娘の身体を柊の手から奪い取ると、そのまま安全と思える場所を目指して駆けて行った。

狗奴溜りまで来た忍人は、ここなら大丈夫だろうと千那の身体を降ろした。安堵したように娘をギュッと抱き締めて息を付いた後、いきなり目を吊り上げる。
「怪しいものには近付くなと、いつも言ってるだろう!どうして、父さまの言うことが聞けないんだ!」
「ふぇっ…えぐっ…」
叱られた千那は、泣き出した。その声を聞きつけて、風早が駆け付ける。
「忍人!また、そうやって千那を泣かせて……いい加減にしなさい!」
「いい加減にするのはお前の方だ、風早。子守は任せてください、なんぞとほざいて俺達の手から無理矢理千那を奪い取っておいて、目を離すなど……無責任にも程がある!」
「かざひゃ~、いじめちゃ、め~」
忍人の服を必死に引っ張って訴える千那の頭を、風早が優しく撫でる。
「はいはい、大丈夫ですよ。庇ってくれるなんて、千那は本当に優しい良い子ですねぇ」
「ふざけるな!お前がそんなことだから、千那が善悪の区別もつかなくなるんだ。千那、お前もいつまでも甘えてるんじゃない」
千那がまた派手に泣き出した。
「あ~あ、ほら、忍人……そんなに怒ってばかりでは、千早だけでなく千那にも嫌われますよ」
「だから何だ。それで千那の身の安全が保てるなら、嫌われようが疎ましがられようが安いものだろうがっ!!」
「自棄になっちゃいけません。嫌われるより好かれる方が嬉しいでしょう?」
「当たり前だ。だからと言って、ただ甘やかせば良いってもんじゃない。お前が甘やかしてばかり居るから、千早も千那も我儘ばかり言うように…」
「幾ら親でも、千早の悪口は許しませんよ」
「これは悪口じゃない、客観的な評価だ。千早が我儘に育ったのは、どう考えてもお前の所為じゃないか。千早は次期女王なのに、あんなになってしまって……どうしてくれるんだ」
「大丈夫です。俺のお育てした姫に間違いはありません。その証拠に、千尋はちゃんと立派に女王やってるでしょう?」
「我が君には、もう少しまともに躾をしてたはずけどね」
柊の姿を見止めて、千那は嬉しそうに駆け寄ってしがみ付く。
「ひ~やぎ~」
「近付くなと言ってるだろう!柊、貴様もだ。うちの子らの半径1000歩以内に近づくな。離れろ!」
忍人に襟首を掴んで引き剥がされた千那は、それでも再び柊に駆け寄る。
「ひ~やぎ~」
忍人を無視して尚も柊に擦り寄る千那を、柊は笑いながら抱き上げた。
「ふふふ…千那姫は私がお気に入りなんですよね?」
「千那……姫だと?」
「柊!赤の他人のくせに、名前を呼ぶなんて図々しいにも程がありますよ。それとも、まさか……こんな小さな子に、もう手を付けたんですか!?」
「人聞きの悪いことを言わないでください。幼き姫に命じられて御名をお呼びしているだけの事です。私に他意はありません。第一、私は我が君と忍人に一途に想いを捧げてるんです」
「それ……名前が2つ上がってる時点で、全然一途じゃないと思うんだけど…」
風早同様、千那の鳴き声を聞きつけたのか、いつの間にやら姿を現していた那岐が呆れたように零したが、柊は動じない。
「那岐にしては、鈍いツッコミですね。男女各一名なら、充分一途だと申せましょう。第一、愛情の感じ方も違いますしね。我が君には全てを捧げたい、忍人からは全てを奪いたい、それが私の愛し方です」
「貴様、性懲りもなく……しかも、千那の前で何て発言を…」
「わ~っ、忍人様、落ち着いてください!」
「破魂刀は、それこそ幼い二ノ姫様に刺激が強過ぎます!」
狗奴達は慌てて忍人を押し止めた。その際、駆け寄るどさくさに紛れて、柊や風早を小突いたり蹴りつけたり踏んだりしていく。
「上司のお仕込のよろしいことで…」
那岐はその光景に軽くツッコミを入れてから、柊に抱かれている千那に手を伸ばす。
「行くよ、千那。そろそろ昼寝の時間だ」
「あい!」
那岐の誘いに、千那はあっさりと柊から手を放し、今度は那岐の首に手を回す。そして、那岐が引っ張るのに合わせて柊を蹴って、その腕から移動してしまった。
千那の手を引いて去って行く那岐の背中を見送って、風早と柊はそれぞれ呟く。
「千那は那岐が一番のお気に入りなんですね」
「やはり、那岐には敵いませんか」
髪色の親近感からか、はたまた名を一文字もらった所為か、とにかく今の千那の一番の楽しみは那岐と一緒にお昼寝することだ。長女同様全然懐いてもらえない忍人は、寂しさを感じつつも、騒がれるのが嫌いな那岐のおかげで次女の方は少しはマシに育ってくれるかとの僅かな期待を胸に抱くのだった。

-了-

《あとがき》

千那ちゃんが、ちょっと育ちました。
甘やかし放題に育てられた千早を見て、忍人さんは千那にはまともな子守を付けるつもりだったのに、結局は風早に奪い取られてしまい、挙句によく遊びに来る柊に手懐けられてしまいました(^_^;)
一言で言えば、暇人達の勝利です。

でも、千那ちゃんの一番のお気に入りは、やっぱり那岐(*^_^*)
縁を感じる千那ちゃんのことは那岐も気にかけているので、面倒くさがりの割には時々わざわざ子守を引き受けてくれます。

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