千那

忍人と千尋の間に、次女が生まれた。
「仲睦まじくて結構なことですね」
道臣と連れ立ってやって来た柊は、二ノ姫を見て不思議そうな顔をした。
「髪の色が薄くありませんか?」
「うん、そうなの。私と同じ突然変異みたい。でも、今なら誰も気味悪がったりしないよね?」
「ええ、その心配は無用かと存じますが…」
そう言った後、柊は前の間の方へと視線をやった。
「もしや、忍人のあの様子は、それが原因なのですか?」
忍人は、前の間の端っこで横たわっていた。その額に濡れた手巾を乗せられて、傍らでは忍継が羽扇でパタパタと扇いでいる。
「えぇっと、髪の色と言うより、名前の所為……かな」
千尋が言い難そうに答えた。
「名前……ですか?」
「まさか、また風早に押し切られて、今度は”千風”と名付ける羽目に…?」
道臣と柊の問いに、千尋が答え難そうにしていると、那岐が代わりに答えた。
「千尋の”千”と那岐の”那”で、千那だよ」
それを聞いて、道臣も柊も目を丸くする。
「那岐!?」
「まさか、我が君……二ノ姫は忍人じゃなくて那岐の子だなどとは仰いませんよね?」
「そんな訳ないだろ。僕にはこれっぽっちも身に覚えなんてないからね」
「無礼だぞ、柊。貴様、母上の不貞を疑うのか!?」
前の間から、忍継の抗議する声も飛んで来た。
「いいえ、滅相もありません」
「忍継……柊の言うことを一々まともに取り合うなって、いつも言われてるだろ。あんたもさ、もう少し空気読みなよ」
そうは言われても、さすがの柊も驚きを隠せなかった。
千尋を溺愛している風早が、その娘に自分の名前を押し付けるくらいはまだ良しとしよう。自分は千尋の親代わりなのだから、自分の名前を一文字取ったところで何ら不思議はないと言い張って、多忙な両親に代わって一ノ姫をあやす際に「千早」と連呼しまくって、強引にその名を受け入れさせてしまったのだが、由来としては納得がいく。
しかし、那岐となると受け入れがたい。
「ですが……何故、那岐なのですか?」
「だって、那岐も家族みたいなものだもの。忍人さんから忍継、風早から千早って来てるなら、那岐も入れてあげなきゃ不公平だよ」
「だから、そんな余計な気は遣わなくて良いって……寧ろ迷惑だって言ってるだろ」
那岐の反応には道臣も柊も同感だった。
千尋が強引に那岐を仲間入りさせた所為で、那岐は呆れ返っただけで済んだが、その寸前に髪色の所為で起きた騒ぎもあって忍人はこの為体である。

二ノ姫が髪の色まで千尋にそっくりだったのを見て、風早は苦笑しながら呟いた。
「ここまで千尋にそっくりな姫が生まれるなら、”千早”って名前はこの子の為にとっておけば良かったかな?」
途端に、風早の足に強烈な痛みが走る。
「風早のバカ!」
足元では一ノ姫が激怒していた。
「”千早”は、わたしのことだもん!わたしが”千早”だもん!わたしのことなのに……風早のバカ~っ!!」
真っ赤になって涙をいっぱいに浮かべて、一ノ姫は踵を返した。すかさず忍人が腕を掴んだものの、まだ何も言ってないのに「とうしゃまもだいっきらい!」と叫ばれて硬直した隙を突かれて、その手を振り払われてしまった。
急いで風早は後を追ったが、忍人は呆然と立ち尽くしていた。それでも千早を捜しに行こうとしたのか部屋を出ようとはしたものの、そこへ千尋から「この子の名前は、千尋の”千”と那岐の”那”で”千那”にします」と言われた忍人の衝撃たるや生半可なものではなかった。当然のことながら反対したのだが、それでも千尋が譲らないと解ると、結局は「君がどうしてもそうしたいのなら…」と言って出て行った。しかし、その足取りは随分と覚束無いものだった。
「あ~あ、もう少し、タイミングを見計らって言えば良いのに……大体、何だって僕の名前なんか使うかな。そりゃ、柊に由来するよりはマシだろうけどさ。今度こそ、千葛(ちか)って名付ければ良かったんじゃないの」
「そんな、御下がりみたいなこと出来ないよ。その名前は本当はお姉ちゃんのものだったんだよ、なんて皆から言われたりしたら、この子が可哀そうでしょう」
”千葛”は一ノ姫が生まれた時に与えられた名前だった。本来、一ノ姫は”千早”ではなく”千葛”と呼ばれているはずだったのだ。
しかし、葛城の”葛”と千尋の”千”から名付けられたそれは、当初こそ両親と那岐から呼ばわられていたものの、風早の力技によって封印されてしまった。彼らの居ない所で風早が”千早”と連呼することによって、一ノ姫は自分の名を”千早”だと認識してしまったのである。そのことは、何処からともなく千早の耳にも入って来たくらいに周知の事実となっている。
そこまでしておいて、今更「二ノ姫の為にとっておけば良かった」などと言われては、千早も立つ瀬がなかろう。存在を否定されたようなもので、激怒するのも悲嘆にくれるのも無理はない。
「それに那岐だって家族みたいなものなんだし、髪の色も似てるんだから、この子の名前は”千那”に決まり!」
「千尋にとっては僕も家族みたいなものだってことは否定しないけどさ、別に混ぜてくれなくていいって言うか……自分の子でもないのに、そんな名前付けてなんて欲しくないんだよね。大体、この子に”千那”って付けるのはやめといた方が良くない?髪の色までこれじゃ、千早の時以上に奴等にからかわれるよ。那岐の子か、ってさ」
那岐がそう言った途端、前の間で何やら音がした。覗いてみると、部屋の真ん中辺りで忍人が倒れている。
「あちゃ~、まだ近くに居たんだ。マズったな、今のでトドメ刺しちゃったかも…」
「父上、お気を確かに…」
忍継が駆け寄って揺り動かしたが、意識の戻る気配はなかった。
「とりあえず端に寄せとこうよ。僕達じゃ、部屋まで運ぶの大変だからさ」
隣の部屋とは言え、腕力の無い那岐と小柄な忍継では、移動させるのは難しい。人を呼べば済むのだが、恐らくそれは忍人にとって有り難い行為ではないだろうことくらい、忍継にもよく解っていた。
言われるままに忍継は那岐と協力してどうにか忍人を端の方へと寄せると、以後ずっと羽扇で扇いだり額のおしぼりを換えるなどして介抱し続けたのであった。

那岐の予想通り、そう言ってしまった柊の横で、道臣は忍人が失神していて良かったと胸を撫で下ろした。恐らくは柊のことだから、そのくらいは解っていて言ったのだろうが、忍人が正気の時にあんなことを目の前で口にしていたら血の雨が降りかねないところだ。
その柊ですら、しばし言葉に詰まった。
そこへ、外から能天気な声が聞こえて来る。
「ただいま~。ははは……ぃやぁ~、やっと千早がご機嫌を直してくれましたよ」
風早が千早を連れて戻って来たのだ。
「あれ?忍人は、千早の一大事を放っておいて、そんなところでお昼寝ですか。呑気ですねぇ」
「昼寝じゃない!」
途端に忍継が吠え、次いで顔を出した那岐が事情を語った。
「そうですか、那岐も仲間入り出来て良かったですね」
「良くないよ。僕は、あんたと違ってこんなの望んでないんだ。余計なお世話だよ」
呆れ顔で那岐が言えば、風早は笑顔で返す。
「良いじゃないですか、千尋がそうしたいって言うんですから……忍人だってそう言って認めたんでしょう?だったら、那岐が口出しする権利なんてありません」
これに対し、那岐は心底呆れたと全身で示しながら応えた。
「思いっ切り口出しして、”千早”って名前を押し付けた奴が良く言うね」
それでも千尋が譲らない以上、二ノ姫の名前は”千那”で正式決定された。
そして、案の定、それからしばらくの間、二ノ姫の名を聞いて「まさか、那岐の……?」と問う者が続出したのだった。

-了-

《あとがき》

次女が生まれました。
長男は成長するほどに父親に似て来ており、長女は風早から甘やかし放題にされてかなり我儘に育っております(^_^;)

忍千小話ではあるものの、忍人さんは作中の殆どを気絶したままで、主に那岐が出張っています。
そこは、二ノ姫の名前そのもののタイトルだけあって、タイトルを決めてから何度も書き直した結果、千尋と那岐のお話っぽくなってしまったものと思われます(^_^;)q

indexへ戻る