春賀宴

「あ~、やっと終わった~」
春賀の宴から戻って来た千尋と忍人を、風早と柊が部屋で出迎えた。
「おかえりなさい。二人ともお疲れ様でした。お茶の用意は出来てますよ。千尋の大好きなお菓子も、忍人の為の軽食も準備万端整えてあります」
「本年も春賀の宴を耐え抜かれた我が君には、誠に敬服するより外ございません」
「あはは…大げさだよ、柊」
千尋は照れ笑いしながら、お茶菓子へと手を伸ばした。

春賀の宴は無礼講で、普段ならば自分から声を掛けたり直言が憚られるような相手にさえ話しかけることが許される。故に、辛うじてその場に参加を許されたような小さな族の者が上の者達に顔や名前を売り込むには格好の場だった。他の宴同様、様々な根回しにも利用される。
しかし、何と言ってもここ数年は、日頃は面前では話題とすることの憚られる話に花を咲かせることに沸き立っていた。
「いやはや、今年こそは世継ぎの姫がご誕生されるとよろしいですな」
「期待しておりますぞ」
軽く酔いが回り始めた豪族達は、その話題で盛り上がり、千尋と忍人にも執拗に絡んでくる。仕事モードの忍人は柳に風と全て受け流せるが、千尋は最初の数年は内心腸の煮えくり返る思いで引き攣った笑顔を浮かべたものだ。
それを聞いた柊は、ある年、春賀の宴に向う忍人に一つ入知恵した。もしも姫の堪忍袋の緒が切れそうになったら忍人が「では陛下、皆の期待に沿えるよう然るべき処へと引き上げましょう」と言って千尋を抱えてスタコラ退席すればいい、と言うのである。そのおかげで、反って千尋は、いざとなれば退席出来るとの安心感と、忍人にそんな台詞を吐かせることへの罪悪感から、どうにか毎年怒りを堪えることに成功して来たのである。

「実は、今年はちょっと危なかったんだ。”早く姫君を”コールは飽き飽きしてすっかり聞き流せるようになったし……”婿だけでは心もとないから愛妾を”って発言には…ざけんじゃねぇ、誰が忍人さん以外に許すかよ、って心の中で呟きながら何とか我慢して来たけど……今年の新ネタは、マジでキレかけたわ」
言いながら顔つきが険しくなった千尋を見て、風早と柊は新ネタについて問い質す。
すると、千尋は目だけ笑ってない笑みを浮かべて答えた。
「そろそろ後がなくなりますから、って……ひとを年増扱いするなっての!」
「それでも我慢したんですか?千尋も随分、辛抱強くなりましたね」
ちょっと見直したようでもあったのだが、千尋は跋が悪そうに応える。
「いや、その…実は、さすがにキレそうになったんだけど……忍人さんが反撃してくれたの」
その言葉に、柊が目を丸くした。
「反撃……出来たんですか、忍人?」
「ああ、まぁ、何とか……お前からしたら、拙いものだと思うが…」

「物部殿ともあろう方が、何を焦っておられるのか」
忍人が口を挟んだことで、千尋はあの作戦が決行されてしまうのかと思って、切れ掛けた堪忍袋の緒を急いで繋ぎ直した。すると、忍人の口からは意外な言葉が紡がれる。
「私には大層歳の離れた妹がおります故、このようにお若い陛下に早々に後がなくなろうなどとは到底考えも及びません」
物部の長を始め、一同は忍人が何を言い出したのかと訝しんだ。彼らの周りでは歳の離れた兄弟姉妹など珍しくもない。だが、そこで端と気付いた。当代の葛城の長は入婿なので、忍人の妹姫は全て先代の長の末姫である忍人の生母が産み落とした子供だ。そして、彼の姫の歳を知らぬ若い者達も、忍人と妹姫の年の差を考えれば、どれ程若く見繕っても彼の姫がかなり年嵩となってから女児を3人も産み落としたと知ることは容易だった。
さも、想像もしなかった見解に驚いた、と言わんばかりの顔をして見せた忍人だったが、その場に集まったのは国内有数の族の長やそれに連なる者達だけあって、皆、裏の裏まで読む癖が付いている。忍人が何処まで意図していたのかは定かではなかったが、彼らの耳にはこう聞こえたことだろう。
「俺の母は、俺を産んだ後17年も経ってから娘を3人も産んでるんだ。たかが10年足らずでガタガタ抜かすな」
その啖呵に、物部氏を始め”早く姫君を”と声高に叫んでいた者達は一挙に静まり返り、常のごとく静観を決め込んでいた葛城の長は忍人の方をチラと見て僅かに口元を緩めたのだった。

「忍人にしては上出来です」
「ええ、咄嗟によく言えましたね。合格点を差し上げますよ」
風早と柊は、揃って忍人を褒め上げた。
「幾つになっても稚気の抜けない、見た目も歳を取ることを忘れたような困った母だが……今度ばかりは、それを有り難く思った」
忍人が溜息交じりにそう零すと、柊と風早が呆れたように少し叱りつけるような含みも持たせて言う。
「今度ばかりは…ですか?あなたがお母上の趣味に手を焼いていたことは認めますが、我が君と結婚出来たのも、そのいつまで経っても若々しいお母上のおかげですよ」
「そうそう。例え姫でも長の元に他にも子供が居たからこそ、忍人は千尋と結婚出来たんですからね。そうでもなければ、さすがに相手が女王でも、幾ら君が微妙な立場に居たとしても、総領息子を婿に出すなど一族が納得するはずないでしょう」
「うぅっ……それは…」
痛いところを突かれた忍人は、二人の言を認めざるを得なかった。
「いい加減に、意地を張るのは止めて、一度くらい実家に顔を出しなさい」
「えぇっ、忍人さんってば、視察や遠征であれだけ領内を行ったり来たりしてるのに、一度も立ち寄ってないんですか!?」
千尋に詰め寄られて、ますます忍人は追い込まれた。
「もう、あそこは俺の家ではないし……用もないのに、今更、どの面下げて立ち寄れと言うんだ、君は?」
そんな苦し紛れの言い訳も、千尋達には通用しなかった。
「その面で結構です」
「用なんて……お母上の御機嫌伺いで充分でしょう」
「一人では行きにくいなら、私も一緒に……そうだ、折角だから忍継も一緒に、皆で里帰りしましょうか?」
子供を連れて夫の実家へ、というのは異次元・日本では珍しくもなんともない行為なのだが、ここは豊葦原で、そして妻子は女王と一ノ宮である。あまりにも非常識な千尋の発言に忍人の説教モードのスイッチが入り、柊と風早の連撃で完全にやり込められそうになっていた忍人は、すっかり形勢を逆転させてしまったのだった。

-了-

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