襲撃

女王懐妊の報を聞いた柊が、見舞いと祝いの品を手に橿原宮に戻って来ると、兵の訓練所から気合の入った兵達の掛け声が聞こえて来た。覗きに行くと、布都彦が新兵達を指導している姿が目に入る。
「そこっ、腰が引けているぞ!気持ちで負けては、反って大怪我をする。もっと気合いを入れろ!」
「布都彦も、なかなか言えるようになって来ましたね」
その声に、布都彦が振り向いた。
「あっ、これは柊殿。いつお帰りになられたのですか?」
「つい今しがたです。それにしても、皆さん鬼気迫る顔つきで……何かあったのですか?」
すると、布都彦は少しばかり複雑な顔をして見せる。
「何かあったと申しますか……そろそろ何かあると申しますか…」
布都彦がそう応じたことで、柊の困惑は強まるばかりだった。

「陛下が御子を宿されたのは柊殿も御存知かと思いますが…」
「ええ。忍人のような朴念仁が女王の婿で大丈夫なのかと気をもんでおりましたが、一年足らずでこのように……上出来ですよ、忍人。よくぞここまで成長して…」
柊は突然何の話かと訝しみながらも話題に応じた。忍人がこの場に居たら、その物言いと感涙に咽ぶような小芝居に引っ掛かりを感じたて文句の一つも言っただろうが、布都彦はそのまま先を続ける。
「それ自体は大変おめでたいことなのですが、それによりいろいろと弊害も生じているのです」
弊害、と聞いて柊が真っ先に思い当たったのは、この国の慣習のことだった。
「部屋を追い出された忍人が、苛ついて兵達を扱くとかですか?」
「滅相もない。葛城将軍はそのようなことは為さいません」
女王の懐妊が判明すると、その身体が再び子を宿せる状態となるまで王婿は別居を余儀なくされるのが慣習だ。例に漏れず、忍人が風早とは反対側の隣室に引越を余儀なくされたのは周知の事実である。
もっとも、部屋が別になっても以前と違って毎日ちゃんと帰っているし、結婚当初の約束通り千尋と共に食事をしている。夜は、食事の後も千尋の就寝間際まで共に過ごしているし、朝は婚約時代同様に千尋が目覚める前に前の間で待っているので、本当に寝る時に別々になるだけの話だった。
「では、一体、どのような弊害が…」
「来たぞ。総員戦闘準備!」
柊が問い終わらぬ内に、布都彦がハッと遠方を見据えて叫んだ。
何事かと、柊がそちらを見遣ると、程なく見慣れた2つの人影がこちらへ向かって駆けて来るのが目に入ったのだった。

風早に追い付かれそうに見えた忍人が突然加速すると、布都彦の号令によって先鋒隊が間に割って入るようにして密集隊形を取った。
「3班、4班、突撃!将軍をお守りしろ。逃げるな、迎え撃て!」
布都彦の指令に、兵達は果敢に風早を押し返そうとするも、殴られ退けられ次々と倒れて行った。
忍人は他の隊の背後に回り込むようにして、兵達の肩を渡ったり隙間をすり抜けて縦横無尽に駆け回った。風早は兵達を蹴散らして後を追う。
「えぇっと、布都彦……忍人と風早は一体何をやってるんですか?」
「はい。このところ風早殿は、毎日このくらいの時分になると葛城将軍を襲撃されるのです。道臣殿のお話によりますと、怪我を負わせることなく風早殿を大人しくさせるには頭頂部を素手で叩くのが一番であるとか……ですが、軍務室は迎撃に適しませんし、身長差があって些か困難とのことで、葛城将軍より助力を請われました。そこで、新兵による要人避難訓練に活用させていただいております。以来、皆これまで以上に気合いを入れて鍛錬に励むようになりました。最初の頃に比べれば、怪我は少なくなり、あのように風早殿に立ち向かう者は増えております」
「そ…そうですか。あなたも、随分と逞しくなりましたね」
忍人は以前から戦いに関することでは転んでも只では起きないところがあったが、こんなことをにこやかに話せるようになった布都彦には柊も驚きを隠せなかった。逞しく成長した布都彦は、更に兵達に次々と檄を飛ばす。
「1班、6班、突撃!怯むな、踏み込め!そこっ、葛城将軍の退路を塞ぐな。それでは、他の方では避難が適わなくなるぞ」
ひらりひらりと忍人が人壁を超える度に、あちこちで「ヤァー!」 「トォー!」などの掛け声と 「来るな~!」 「おかあちゃ~ん!」などの悲鳴が上がった。
そして、頃合いを見計らって布都彦が忍人に呼び掛ける。
「葛城将軍、そろそろお願いします」
「よし、頼むぞ、布都彦」
戻って来た忍人は、布都彦と共に風早を迎え撃った。
忍人が組み手の要領で風早の拳を受け止めたり受け流している隙を付いて、布都彦が槍で足元を掬い上げ、風早が転倒したところを二人掛かりで抑え込む。
「いい加減に、正気に戻れ」
忍人にベシッと頭を叩かれると、風早はパタリと大人しくなった。

「……もしかして俺、またやっちゃいました?」
起き上った風早は、倒れ伏す兵達を見遣って「ははは…」と苦笑して見せる。その視線の向こうでは、被害状況を確認しながら訓練計画を練り直す布都彦の姿がある。
「ああ、また派手にやってくれた。どうやら、今日も千尋は茶菓子を食えなかったようだな」
「ええ、そうなんですよ。あなたの所為で俺の大切な千尋とのお茶の時間が……いつまでこんなことが続くんですか?」
「俺に訊くな!解る訳ないだろう。そういうことは柊にでも訊け」
恨みがましい目で詰め寄る風早から逃れるように柊の背後に回ると、忍人は柊を風早の前に押し出した。
「柊……いつ湧いて出たんですか?」
「あなた方が来る前から、私はずっとここに居ましたよ。ところで、今の話は、忍人の所為で我が君がお茶菓子を召し上がらないから風早が襲って来た、って話に聞こえたんですけど……もしかして、悪阻が酷いんですか?」
「……よく解りましたね」
そりゃ、布都彦が「女王の懐妊で弊害が生じている」なんて一見関係なさそうなことを語った直後にこんなことがあって、騒ぎが収まったところで今のような会話があれば、嫌でも解りますよ。柊は、そう心の中で呟いた。
「まったく…いい加減にしなさい、風早。少しは周りの迷惑も考えたらどうなんですか」
「周りに迷惑をかけてるのは俺じゃなくて、忍人です。俺は忍人を打っ飛ばそうとしてるだけなのに、逃げ回ったりするから兵達に被害が広がってるんですよ」
責任転嫁をする風早に、忍人は呆れたように応じる。
「初日に軍務室に駆け込むなり問答無用で椅子を投げつけて、それからも俺のところへ来るまでに何人もの人間を跳ね飛ばしていた奴が、良く言うものだ。これだけやってて、まだ千尋に知れていないのが不思議なくらいだ」
それもこれも、女王に心痛を与えるまいと宮中の人間が全員口を閉ざし、被害や原因を隠蔽しているからこそ成せる業だった。風早に跳ね飛ばされた者は自分で転んだことにし、最近では皆この時間は極力部屋の外を出歩かないように心掛けている。
「俺も千尋に心配をかけるまいとして黙っているが、おかげでこの時分は仕事にならん。素手で額の生え際やや上部を叩けば正気に戻ると解っていても、簡単には手が届かないし、手加減して昏倒させるのは難しいし、下手に怪我させたら千尋に怒られるだろうしで、こっちは大変なんだぞ。兵達には良い訓練になるだろうからと、布都彦の協力が得られてどんなに助かったことか…」
布都彦が槍で足払いをかけてくれるおかげで、身長差をものともせずに風早の頭のてっぺんを叩けるようになったのは大変ありがたかった。道臣が昔の話を思い出してくれたので試してみようとはしたものの、これがなかなか難しかったのだ。得物で殴っても効くなら何とでもなるのだが、何故か素手でなくては効果が無い。
「ああ、そう言えば風早はそこを素手で強く刺激されると、一気に大人しくなるんでしたね。霊獣なら、角が生えている辺りですか?」
「ええ、まぁ…そんなところです」
そこは白麒麟の時に角が生えている辺りだ。そこを殴られるのは角を掴まれるに近しく、一時的に活動が止まり、登り詰めた血は一気に下がって、結果として冷静さを取り戻す。但し、自然界に存在するままのもので衝撃を加えないと効果が無く、手袋を着けた柊には使えない為その特性は記憶の彼方に押しやられていた。

「それで、柊……俺はいつまで千尋との至福のひとときを我慢しなきゃならないんですか?」
改めて訊かれて、柊は冷たく切って捨てる。
「ずっと我慢なさい」
「えぇっ、ずっとって……この先ずっとですか!?」
風早は不満の声を上げたが、柊は淡々と続ける。

「いい加減に、子離れしなさい。我が君が人の親になろうとしていると言うのに、その親代わりであるあなたがそんなことでどうするのですか。我が君が誰ぞお茶の相手をと望まれたなら、忍人が仕事を遣り繰りして時間を空けるべきなのです。出来ないなんて言いませんよね、忍人?泣かれた途端に仕事を夕餉までに切り上げられるようになったあなたなのですから……こんなことをしてる暇があるなら、お茶の時間を捻出するくらい容易いことでしょう
「ああ、それは、まぁ……千尋が望むならすぐにでも時間を空けるが…」
言わないだけで、本当はずっと千尋は自分と午後のお茶休憩を過ごしたかったんだろうか、と忍人は今更ながらに苦悩した。もしそうなら、千尋の体調が良くなったらお茶の時間に訪ねて行ってみようと密かに心に留めることにする。
「とにかく、風早……あなたは我が君より御指名を受けない限り、共にお茶の時間を過ごすのは遠慮なさい。この際、侍従の職務を逸脱するような手出しは控えるように、今から心掛けるべきですね。勿論、こんな騒ぎは言語道断、婿いびりは今後一切禁止です。いつまでも愚かな真似を繰り返すなら、全てが我が君の知るところとなるものと心得なさい」
告げ口と言う行為に抵抗を感じて我慢を重ねてきた忍人と違って、柊は千尋に言い付けるなんてあからさまな真似はしない。自然と耳に入るように画策するだけだ。それでは誰にも止められるものではない。
忍人は、認めるのは悔しいが、こういう時に一番頼りになるのはどう考えても柊だと思わずには居られなかった。
「いいですか、風早。忍人で遊んで良いのは、我が君と私だけです。これ以上の忍人への干渉は、この私が許しませんよ」
「お前も遊ぶな!……と言っても無駄なんだろうな」
打ちひしがれる風早に追い打ちをかけるように発せられて言葉に、忍人は脱力した。風早をビシッと叱りつけ、釘を刺してくれたことに感謝の念すら覚えていたが、やっぱり柊は何処までいっても柊だった。千尋がある程度容認してしまっている以上、柊が自分で遊ぶのをやめることはないだろうことは嫌と言う程解っている。ここまで来ると、寧ろ柊自身よりも彼を見直しかけた自分に腹が立つ忍人だった。
案の定、柊は悪びれもせずに言って退ける。
「無駄だと解ってるなら言わないでください。子供が出来て少しは成長したかと思いましたが……相変わらず可愛いですね、忍人は…。寧ろ、付け入る隙が増えましたか。これからも、いろいろと楽しめそうです
クスクスと笑い声を上げる柊を前にして、忍人は諦めにも似た思いを抱きながら大きく溜息を付いた。そして柊に風早を任せて、気持ちを切り替えて職場へと戻って行ったのだった。

-了-

《あとがき》

暴走麒麟の静め方(鎮め方)のお話です。
角に力を宿している伝説上の生き物は角を圧し折られると死んでしまうこともあるので、霊獣はそこを掴まれると力が弱まる、なんて事にしてみました。

白虎組の活躍で、忍人さんはやっと風早の婿いびりから解放されました。
でも、このまま黙っている風早ではありません。忍人さんに干渉出来なくても、子供になら干渉出来ます。
誰に何と言われようと、例え千尋から邪険にされようとも、風早は子離れ出来そうにありません(^_^;)

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