未知との遭遇

いつものように忍人が堅庭で見張りに立っていると、柊が逃げて来た。その後ろから、追う風早の姿も見える。
「助けてください」
「柊を渡してください」
間に挟まれる形となった忍人は、迷うことなく柊の胸倉を掴んで風早の方へと投げ飛ばした。
「酷いです、忍人。話も聞かずに風早に引き渡すなんて…」
風早に受け止められながら柊はわざとらしく傷付いた態度を取って見せたが、忍人は揺るがない。
「聞くだけ時間の無駄だ。どうせ、お前が碌でもないことをしたに決まっている。逃げて来たのがいい証拠じゃないか」
「そんな事言って、後で泣きを見ても知りませんよ。私の身の潔白が証された暁には、しっかり詫び入れてもらいますからね」
風早に引っ張って行かれながら柊は忍人に吠えたが、二人とも全く意に介さない。
そして改めて風早は、柊の襟元を掴み直すとこう言った。
「千尋のパンティを返してください」

忍人は、話についていけなかった。
とりあえず、千尋の持ち物が失くなり、それを風早は柊が盗んだものと考えているらしいことは解った。
ところが、柊は知らぬ存ぜぬの一点張りだし、風早は犯人は柊以外に居ないと信じ込んでいて、二人の言い争いは平行線を辿り続けている。
先程はどうせ柊が悪いと決めつけたものの、今回はそうとも言い切れないような気がして来た忍人だったが、 この二人の喧嘩に迂闊に仲裁に入ると後が怖いし、そもそも意味も解らず止めに入る訳にも行かない。
そうこうしている内に、不機嫌そうな顔で那岐が上がって来た。
「……うるさい」
ボソッと呟いた那岐は、スッと手を翳す。
「その構えは、まさか…」
「神の御息は我が息、我が息は神の御息なり」
忍人が止める間もなく那岐の四道列式改が放たれ、風早と柊は咄嗟に飛び退いたものの余波を喰らって気を失った。
「まったく…下らないことで僕の昼寝を邪魔しないで欲しいね」
「気持ちは解らなくもないが、これはやり過ぎだろう。船に何かあったらどうするんだ?」
「ふん……朱雀とあれだけ派手に戦ってもビクともしなかったこの船が、このくらいでどうにかなったりするもんか」
そう言い捨てて、那岐はまた昼寝をしに降りて行ったのだった。

想像を超える事態の連続に忍人が呆然と立ち尽くしていると、岩長姫がやって来た。
「何だい、もう終わっちまったのかい?」
「師君……何故、ここに…?」
「莫迦どもが騒いでるって話が聞こえて来たんで、ちょいと懲らしめてやろうと思ったんだけどねぇ……あっさり沈んじまうとは根性のない奴らだよ」
言うなり、岩長姫は風早を引き起こして揺すったり叩いたりする。
「ん…?げぇっ、先生!?」
「師匠に向って、随分な挨拶だね」
岩長姫は風早を放り出すと、今度は柊を起こしにかかる。
「……ひぃっ、師君!?」
「こっちもかぃ。揃いも揃って、失礼な弟子どもだよ。その上、何だい、さっきのあの派手な音は…?アンタら一体、何しでかしてくれたんだい?」
すると、二人は口々に訴える。
「あれは俺達じゃありません」
「そうです。私達は言い争っていただけで……あれは那岐の仕業です。それで何か問題が生じたなら、彼に責任取らせて下さい。止めなかった忍人も同罪です」
「責任を転嫁するな!」
止めなかったのではなく止められなかっただけだと主張するのは少々情けないので黙っておくことした忍人だったが、とにかく責任を押し付けられては堪らない。
しかし、柊は更に忍人に喰ってかかる。
「そもそも、忍人が私を問答無用で風早に引き渡したりするから、こんなことになったのではありませんか。風早だってそうですよ。頭っから私のことを疑って……私は何も悪いことはしていません」
「まだ白を切るつもりですか。あなた以外に、千尋のパンティを盗む人なんているはずないでしょう」
「いい加減にしな!いい歳して、何でもかんでも他人の所為にしてるんじゃないよ」
責任の押し付け合いから再び喧嘩を始めそうになった二人の頭に、岩長姫の拳骨が落ちた。

「……どうにも解せないんだがねぇ、その”ぱんてい”ってのは一体何なんだい?」
忍人は、よくぞ聞いてくださった、と師に尊敬のまなざしを向けた。
「下着です。肌に直接纏う、下履きのことです」
答えを聞いて、忍人は真っ赤になった。 そんなものを柊が盗んだとなれば、それは一大事である。
「貴様、ついに姫の下着にまで手を出して……さっさと出せ!」
掴みかかった忍人に、柊はからかうように応じる。
「ふふふ…忍人も欲しいんですね、我が君のパンティ……その気持ちは痛いほど良く解ります」
「誰がそんなことを言った!?」
忍人が更に柊を締め上げると、風早がのほほんと言う。
「欲しいなら照れずに正直に言ってください。遠慮しなくても、忍人になら千尋は、喜んで何枚でもくれると思います」
「遠慮などしていない!大体、もらってどうしろと言うんだ?」
忍人の率直な疑問に、柊がその使い方を語る。
「私なら、とりあえず手始めに匂いを嗅いでから、頬ずりして、それから被りますけど…」
途端に、次々と岩長姫の拳骨が降って来た。

忍人まで含めて弟子達の頭に拳骨を喰らわせた岩長姫は、改めて風早に事情の説明を求めた。
「今朝洗って干しておいたのを先程取り込んだら、1枚減ってたんです。柊が盗んだに違いありません」
「盗んでないと言ってるでしょう!」
「あなた以外に、どこの誰が千尋のパンティに手を出すと言うんですか!?」
「アシュヴィンとか…」
「アシュヴィンが犯人なら被害があれ1枚で済むはずがありません」
「先程はあんな事言ってましたけど、そこは案外、忍人だって…」
「忍人にそんな真似が出来るようなら苦労はありませんよ」
自分に容疑がかからなかったのは嬉しいことだが、これは素直に喜んで良いのだろうか。 勿論、下着泥棒の汚名を着せられるよりは遙かに良いが、一体何の苦労なんだ、と忍人は複雑な心境になった。
すると、追い打ちをかけるように千尋の声がする。
「確かに、忍人さんにそんな真似が出来たら、お赤飯炊いて盛大にお祝いしなきゃいけないよね」
下着を盗めたら赤飯を炊いて祝う、と恋人に笑顔で言われてしまった忍人は、もう何処から突っ込めば良いのか解らなくなった。

「ああ、そうそう、風早…あれ、見つかったよ。今回は本当に、柊が盗んだ訳じゃなかったみたい」
「えっ、それじゃあ、誰が犯人だったんですか?」
驚く風早に、千尋は「誰がと言うか…」と前置きしてから言った。
「強いて言うなら、風が怪しいのかな?サザキ達が騒いでたんで何かと思って見に行ったら、木に引っ掛かってたの。盗んだ後で風に攫われた可能性は否定出来ないけど、柊がそんなポカやるとは思えないから、とりあえず今回は無関係と判断していいんじゃないかな。ああ、ブツの方は遠夜に頼んで取って来てもらったから、もう平気だよ」
その場でサザキに頼まなかったのは、乙女心と説明の手間によるものである。いい歳した鳥のおっさんに下着を、しかもパンティを手に取られるのは極力避けたかった。遠夜の方が邪気が無いし、好奇心が溢れまくるサザキと違って、困ったような顔をして見せればもうそれ以上追求しないでくれるので有り難い。
「そうですか。見つかって良かったですね」
風早は何もなかったかのように嬉しそうに言うが、柊は気持ちが治まらない。恨みがましい目で風早を睨み付けた。
「ですから、盗んでなどいないと何度も言いましたのに…。それなのに私は、風早に責められるわ、那岐に吹っ飛ばされるわ、師君に拳骨喰らうわ、忍人に締め上げられるわで大迷惑です」
そう言って、柊は忍人へと矛先を向ける。
「私は、確かに言いましたよね。身の潔白が証された暁には、しっかり詫び入れてもらうって…。さぁ、この場できちんと両手をついて謝ってもらいましょうか」
元々風早に甘く忍人に厳しい、あるいは忍人の揚げ足を取るのが楽しくて仕方のない柊は、鬼の首でも取ったかのように忍人に詰め寄った。
「えぇっと……この度は大変申し訳ないことを…」
柊の言葉に完全には従わなかったものの混乱のあまり忍人がうっかり謝罪の言葉を口にしかけたところで、岩長姫の拳よりも早く千尋の平手が柊の頭をスパーンと叩いた。
「忍人さんに言いがかり付けるんじゃないの!柊の普段の行いが悪いから、そうなったんでしょう。そもそも、今までに何度も私の落とし物をネコババなんてするから、風早に疑われる羽目になるんだよ」
柊にキッパリと言い切ってから、千尋は忍人の方へと向き直る。
「忍人さんも、何をうっかり謝ってるんですか。しっかりしてください」
「すまない……あまりにも俺の理解を超えた話が続いたものだから…」
周りの者達にすっかり翻弄されてしまった忍人は、とてもそんな状態では満足に見張りなど務まるはずもなく、翌朝まで休みを取ることを余儀なくされたのだった。

-了-

indexへ戻る