嵐を呼ぶ贈物

軍務に勤しむ忍人の元に、布都彦が顔を出した。
「葛城将軍、柊殿がお会いしたいそうです」
「直ちに追い返せ」
即答した忍人に、しかし布都彦は構わず続ける。
「保護を求めております」
「凶悪犯用の収容棟にでも放り込んでおけ」
忍人は手を休めることなく素っ気なく言い捨てたが、それでも布都彦は引かなかった。何しろ、忍人のここまでの反応は予め柊から聞かされた通りで、それに対する受け答えもしっかりと教え込まれている。
「姫に謝罪文をしたため終わるまで、風早殿の手から守って欲しいそうです」
忍人は顔を上げると、布都彦に向かって言い放つ。
「即刻、縛り上げて、俺の目の前に引き摺り出せ!」
すると布都彦は、入口の脇に身を寄せていた柊を、忍人の目の前へと押し出す。
「縛り上げて、と言ったはずだぞ」
忍人は布都彦にそう言いながら、柊の胸倉を掴んで引き倒した。
「千尋に何をした!?事と次第によっては、風早に引き渡す前に俺が叩きのめす!」
「耳飾りを…」
「……耳飾り?」
キョトンとした忍人に、柊はポツポツと事情を話し始めた。

いつものように宮内をふらふらと歩き回っていた柊は、回廊で急な雨に慌てて駈け込んで来る千尋に遭遇した。
当然のごとく駆け寄って、手巾で濡れた髪などを丁寧に拭いたのだが、拭き終えた時に千尋が騒ぎ出した。
「嘘っ、イヤリングが無くなってる!」
片耳に手を当てて叫んだ後、辺りを見回した千尋は涙を浮かべた。
「どうしよう、見当たらない…」
「もしや…私が今、弾き飛ばして…?申し訳ありません。すぐに見つけ出しますので……どうか、そのようなお顔はなさらないで…」
そこへ、折悪しく風早が駆け付けた。
膝を付き申し訳なさそうに頭を下げている柊と泣いている千尋が風早の目に映ったなら、柊が取るべき行動はただ一つ、逃げることだ。この状況では如何なる申し開きも通用しない。風早が千尋を泣き止ませている間に、とにかくその場を離れて、何とか改めて姫に繋ぎを取って風早を止めてもらわないことには、危なくて耳飾り探しなど出来はしない。
しかし、千尋に繋ぎを取るまでの間、怒り狂った風早の手から柊を守れる腕利きの者など岩長姫と忍人くらいのものである。そのどちらも、助けを求めた際の反応は想像に難くない。
「甘ったれんじゃないよ、自分で何とかおし」
「断る!」
前者は取りつく島もない。風早に引き渡されない代わりに、どれだけ縋っても助けてはくれない。
後者は話の持って行き方によっては助けてくれる可能性は皆無ではないが、下手をするとボコボコにされた挙句に風早に引き渡される恐れがある。
柊は一縷の望みに賭けることにして忍人の元へと向かった。そうして途中で見かけた布都彦をこれ幸いと巻き込んで、どうにか忍人に話を聞いてもらうところまでは漕ぎ着けることが出来たのだった。

「…という訳で、我が君に宛てて此度の不手際のお詫びと必ず捜し出すとのお約束の書簡をしたため終えるまで、匿っていただきたいのです。それから、耳飾りをお手元にお届けするまでの間、風早の手から守って下さい。助けてくれたら、お礼として3日くらいは大人しくしてますから…」
今回は己の不手際を認めてか、珍しく柊は忍人に対して終始低姿勢を貫いていた。そんな姿を見ながら、忍人は複雑な顔をしている。何か迷っている風でもあった。
「あの…忍人も怒るのは無理ないと思いますが……他に風早に対抗出来る者の心当たりがないのです。不手際は重々お詫びしますし、責任を持って必ず捜し出しますから……どうか私を匿ってください。我が君があの耳飾りをどれ程大切にしておられるかは、私もよく知っています。あれはあなたからの贈り物で、高価な品であるのは勿論のこと、あなたが自発的に我が君の為に作らせたという世にも珍しい代物で、しかも自分が留守にしている間の縁(よすが)になどという信じがたいほど気の利いた台詞まで飛び出した奇跡が確かに起きた何よりの証なのですから…」
「……どうせ奇跡だ。二度とやるものか」
先程までの逡巡するような雰囲気は何処へやら、忍人は不機嫌な顔でそっぽを向いた。

過日、地方巡検から戻って来た忍人は、千尋へのお土産だとして、小さな黒曜石の付いた細かい細工の施された耳飾りを手渡した。
往路で腕のいい細工師と出会った忍人は、手持ちの珠玉を渡して、帰路に受け取りに寄るからと言って仕事を頼んでおいたのだ。
職人の人間性を見込んで、彼なら贈る相手が女王だと解ってもそれを自慢げに吹聴したり天狗になったりはしないと思って、自分の希望は当然のこと千尋の容姿や服装どころか性格まで事細かに伝えた結果、素晴らしい逸品が出来上がった。幼い頃から贅を凝らした品や名匠の品に囲まれて暮らし、今でも国宝を目にすることも日常茶飯事で、自然と目が肥えている忍人から見ても、それは満足のいくものだった。
姫装束の時でも普段着の時でも着けられるようにと贈った耳飾りは、思った以上に好評で、品物については「素敵」「大変素晴らしい」と誰からも言われた。
しかし、忍人が自発的に装飾品を贈ったその場では、千尋は那岐の、那岐は風早の、風早は柊の頬を抓って、夢ではないことを確かめるという光景が繰り広げられた。
それでも忍人はその光景にめげることなく、照れながらも言った。
「これなら執務の時でも着けていられるだろう。また今回のように長く君の傍を離れることがあっても、これを着けていれば一緒に居るようで、君もそれほど寂しくはならないと思うのだが…」
巡検出立前の千尋の寂しそうな顔を思い出してそう言った忍人の目の前で、風早と柊は絶叫し、千尋は忍人の両頬を引っ張りその額に手を当てる。
「どうやら、忍人さんの皮を被った別人とかではないみたいですね。熱は……ないようですけど…何か悪いものでも飲み食いしました?変な茸とか木の実とか、柊の煎れたお茶とか…」
「…えらい言われようだな」
慣れないことはするものではない。そこまで言われるほど驚愕されるようなことなのか、と忍人は少々傷つきもしたのだが、その後の皆の反応は千尋よりも酷かった。
那岐、風早、柊、果ては話を聞き付けた道臣まで、口々に言ったのだ。
「明日、大雪にならないと良いけど…」
「明日だけじゃ済みませんよ。今年は真夏に雪が降って、真冬に熱帯夜がやって来るかも知れません。作物が全滅しちゃったら、どうしてくれるんですか」
「忍人がこのように気の利いた真似をするなんて、天地が引っくり返っても有り得ないと思ってましたのに……一体、これは何の奇跡なのでしょう」
「あなたの成長は喜ばしく思いますが、あまり飛躍的なことをして、私の寿命を縮めないでくださいね」
普段は何かにつけて「気が利かない」とか言われ、ちょっと気の利いたことをしたら天変地異の前触れみたいに言われ、忍人はすっかり拗ねてしまった。特に道臣にまでこのように言われた時には、本気で落ち込んだ。

渡した時には一騒動あったものの、千尋はその耳飾りを大層気に入って、忍人が留守にしていなくても常にそれを身に着けていた。
着ける時には嬉しそうに自分か忍人の手で着けて、外した後は丁寧に柔らかい布で拭いて大切にしまう。そこまで大事にしていた耳飾りを失くしたとなれば、千尋が泣き出すのも柊がこのように縮こまるのも無理はなかった。
しかし、忍人は二人の知らない事実を知っていた。
「一つ確認しておきたいのだが……失くしたのは片方だけか?」
「あ、はい。もう片方は、我が君の耳に確と下がっておりました」
答えながら、柊は驚いたように忍人を見上げた。すると、その目の前に、失くしたはずの耳飾りを突きつけられる。
「これは…」
「足往が見回り中に拾って来た。見覚えがあったし千尋の匂いがしたのですぐに執務室に届けに行ったらしいが、千尋に会わせてはもらえなかったそうだ。不在だったのだから当然だがな。それで、俺のところに持って来たので、千尋が護衛も付けずに勝手に出歩いていた証拠としてそのまま預かっておいた」
「えぇ~っ、それでは私が弾き飛ばしたのではなかったんですか!?」
「そのようだな」
「その旨、すぐに我が君にお知らせしなくては…。酷いですよ、忍人。もっと早く言ってくれれば良かったのに…」
あたふたする柊を見ながら、忍人は冷ややかに言う。
「俺はお前と違って未来など視えないんだ。今初めて事情を聞いたのに、もっと早くなど言える訳がないだろう」
「と…とにかく、そう言うことなら一刻も早く我が君の元へ耳飾りをお届けに参りましょう。その間、私を風早の手から守ってくれますよね?私が耳飾りを失くしたというのは誤解だったんですから、お礼は不要ということで…」
顔を輝かせた柊に、忍人は考え込むような素振りを見せた。
「ただでと言うのは虫が良すぎるだろう。誤解だろうと何だろうと、実際に風早の手から守らねばならないことには違いないのだから、せめて2日くらいは大人しくしていることを千尋の名に懸けて約束しろ」
柊はたじたじとなる。布都彦は、嬉しそうに耳を立て尻尾をブンブンと振っていた大型犬が急に萎れたように耳と尻尾を伏せたような幻影が見えた気がした。
忍人としては、このまま柊を放り出して、予定通り部屋へ戻ってから千尋にこの耳飾りを突きつけて説教しても一向に構わないのだ。
一方の柊にとっては、ここで忍人を味方に出来るかどうかは死活問題である。何しろ、この場で誤解だと判明したところで、風早の怒りが収まる訳ではない。千尋にこの耳飾りを渡して誤解を解き、風早にも話が伝わるまで柊の身が危険であることには変わりないのだ。当然、その身を守る忍人に掛かる負担も変わりはしない。そもそも誤解を招いた原因にしても、千尋のみならず自分までもが手を出す前に耳飾りがなかったことに気付かなかったのが一因となっていることも否めないのだ。それでも、事の大元が千尋にあるからなのか、忍人は柊の最初の申し出よりも期限を1日割引してくれるらしい。
ここで文句を言ったら、見捨てられる。忍人以上に忍人のことを知っていると豪語して憚らない柊には、それが痛い程よく解っていた。
ここは、忍人の言を受け入れるしかない。
「……解りました。我が君の御名に懸けて、今日と明日の2日間はあなたで遊ばないことをお約束します。ですから、どうか今すぐ助けてください」
項垂れて弱々しくそう言った柊に満足そうに頷くと、忍人は布都彦と共に柊を守って千尋の元へと向かった。そうして見事に柊を守り切った忍人には、約束通り束の間の安息がもたらされたのだった。

-了-

《あとがき》

忍人さんが慣れないことをした所為で、天変地異が起きたりはしなかったものの、柊に予見出来ない災難が降りかかった模様です。
どうにかして難を逃れた柊でしたが……取引材料は「大人しくしてます」という約束。でも、自主的に我慢出来る限度は3日くらい(^_^;)

忍人さんがプレゼントするなら黒い石が良いかなぁ、でも玄武岩じゃあんまりだよねってことで、黒曜石にしてみました。

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