手合せの作法

「我が君…近々少しばかり、忍人をお貸しいただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「……よろしくない!」
柊の突然の願いに、千尋はその言葉を反芻してから首を横に振った。
「いつも勝手に借りてくくせに珍しく断りを入れるなんてのは殊勝な心がけだと思うけどね……柊には貸さないよ。今度は一体、何するつもり?ここで私がうっかり許可したら、それを楯にとって忍人さんに酷いことするつもりでしょう。そんなこと、絶対に許さないからね」
千尋の機嫌を損ねてしまったらしいことを覚って、柊は慌てて言い訳した。
「誤解です、我が君。確かに私は忍人で遊ぶためなら手段を選びませんが、今回は私が忍人をどうこうしたいのではございません。布都彦の武術指南に、少しばかり忍人に時間を割いてもらいたいだけなのです」
前半の発言に問題を感じながらも、千尋は問い返した。
「布都彦の武術指南……って、布都彦に何かあったの?」
「いいえ、ちょっとした老婆心です。我が君もご存じの通り、布都彦は自分の望みを口に出すことを殊の外苦手としております故」
千尋が話を聞く気になったのを見て、柊はこのような仕儀に及んだ理由を語り始めた。

「精が出ますね」
鍛錬に励む布都彦に、柊が声を掛けた。
「悪いことではありませんが、あんまり根を詰め過ぎて、何処かの鍛錬バカみたいにならないでくださいね」
「鍛錬バカ…ですか?」
布都彦が首を傾げると、柊は愚痴を零すようにして言い募った。
「まったく、あの子と来たら…空き時間が出来たのなら束の間でも我が君との逢瀬など楽しめばいいものを、ふらふらと姿を消したと思ったら何処ぞで素振りなどして……布都彦は、あんな風になってはいけませんよ」
そこでやっと布都彦は、柊が誰のことを言っているのか当たりが付いた。
「私は、葛城将軍を尊敬しております。慢心することなく日夜鍛錬に励み、陛下の御為に御心を砕かれている御姿には、敬服するばかりです。私ももっと精進努力して、葛城将軍のように立派な武人になりたいと考えております」
熱く語る布都彦に、柊は微笑まし気に応じる。
「その心掛けは立派ですが……私から見れば、あれは立派な武人などではなく、ただの鍛錬バカです。我が君に為に心を砕いているように見えるのは惚れた弱みですから、敬服する必要などありません。あなたの方がよっぽど武人として立派だと思いますよ」
しかし、布都彦は何処までも己を過小評価する。
「いいえ、私など葛城将軍の足元にも及びません。一度なりと、ご指導を願いたいものですが、私のような者の為に葛城将軍のお時間を割いていただくなど恐れ多く、そのような厚かましい…」
「遠慮など無用です。そのような申し入れなら、忍人はあっさり引き受けてくれると思いますよ。そもそも昔の忍人なんて相手の都合など全く考えずに手合せを願い出てましたし、夜討ち朝駆けも当たり前で、私など寝込みを襲われたり問答無用で斬りかかられたこともあります。それでも羽張彦など、嫌な顔一つせずに付き合ってあげてたんですから……いい機会ですから、その貸しをあなたが代わりに返してもらったら如何ですか?」

「…と、このような次第でございます。布都彦はそれでも是とは申しませんでしたが……彼が珍しくも他人に何かして欲しいという望みを口にしたのです、叶えてあげたいと思うのは私ばかりではないかと存じます」
「う~ん、そうだね。確かに、布都彦がポロッとでもそういうこと口にするのは珍しいし、布都彦になら忍人さんを貸してあげても良いけど……って、そもそも私が貸すとかそういう話じゃないでしょう。忍人さんに直接言えばいいじゃない?」
受けるも断るも忍人の問題であって、千尋が口出しすることではない。仕事ではないのだし、千尋と先約がある訳でもない。
「仰る通りなのですが…それには2つほど問題がございまして……1つは、忍人を借りると言うことは即ち、あの子に時間を割いてもらうのみならず、我が君からも忍人と共に過ごせるはずの時間を奪うことに繋がるのでございます」
そこまで堅苦しく考えなくても、と千尋が口を挟む前に、柊は続けて言う。
「そして、もう1つは…こちらの方が大きな問題なのですが……あの子は私の話などまともに聞いてはくれません。事情を話す前に逃げられるに決まっています」
これには千尋も反論出来なかった。そのくらい、柊の普段の行いは悪過ぎた。

「だからと言って、千尋を巻き込まずとも……風早か道臣にでも言付けるだけで十分だろう。千尋と過ごす時間を犠牲になどしなくても、布都彦と手合せする時間くらい作れるぞ。それとも、こうでもしないと俺が断ると思ったのか?千尋を巻き込んだりしたら、反って布都彦が気に病むだろうに…」
執務室の戸が開き、忍人が呆れ顔で入って来た。
「盗み聞きとは、お行儀の悪い子ですね」
やれやれと言った顔で柊が大げさに溜息を付いて見せると、その身体を千尋から引き剥がして空いたところに忍人が滑り込むようにして両者の間に割って入る。
「盗み聞きではない。お前が執務室に入って行ったと聞いて駆け付けたら、話が漏れ聞こえて来ただけだ。とにかく、布都彦には俺の方から話をしてみよう。彼のことだから、都合を聞いても自分の希望日時など口にしないだろうからな。先にこちらで適当に時間を空けておいて、誘いをかけることにする」
「おや、それは……話が早くて助かりますね」
あっさりと忍人の承諾が得られて、柊は驚きに目を瞠った。布都彦にはああ言ったが、自分が関わっている所為で臍を曲げられるかも知れないと懸念していたのだ。
「指南料は柊への貸しにしておく……と言いたいところだが、そうもいかないな。道臣以外には迷惑をかけられた覚えも山程あるが、柊すら含めて兄弟子達には世話になったことも確かだ。特に羽張彦のように、都合もお構いなしに押しかけても稽古を付けてくれたことには感謝している。先達から受けた恩義を後進を世話することで返すのは、礼に適ったことだと思う」
忍人が苦笑混じりにそう言うと、千尋がポカンとした顔で呟くように問うた。
「……柊の出まかせじゃなくて、本当に夜討ち朝駆けやってたんですか、忍人さん?」

柊が何を言ったのかを千尋から聞き出して忍人が文句を言おうとした時には、柊は執務室から姿を消していた。
「尾鰭をつけやがって…」
尾鰭と言うことは、骨身はあるのか。全く根も葉もない話ではなかったのだな、と千尋は思ったが、懸命にも口に出すことはしなかった。
それを知ってか知らずか、忍人は言い訳するように訂正を加える。
「夜討ち朝駆けは大げさだな。さすがに、夕餉の支度が整ってから次の朝餉が済むまでに手合せを申し込んだことは一度もない。寝ている柊を叩き起こして稽古の相手をしろと言ったのは、奴が昼近くまで寝ていたからだ。それから、柊に問答無用で斬りかかった覚えはあるが……闇討ちしておいて”油断大敵ですよ”と嘲笑って去って行くような奴とは違って、俺は常に”柊覚悟”と声を掛けてから攻撃していたのだから、奴には文句を言う資格などないはずだ」
真顔でそう言って退ける忍人に、千尋は「どっちもどっちだと思います」と心の中で呟きながら、にこやかな顔で賛意を示したのだった。

-了-

《あとがき》

布都彦は忍人さんを尊敬していて、忍人さんは布都彦に目をかけているようなのに、互いに話すことがあまりない印象があります。
柊を拾う時に言い争った他に、何か絡みがあっただろうか?

そんな訳で、共通点である”鍛錬好き”(?)をキーワードにしてみましたが……結局、動き回るのは柊なのね(^_^;)q
柊が忍人さんを“あの子”と呼び、布都彦を“彼”と呼ぶのは、単なる趣味です。
殊更に忍人さんを子ども扱いする一方で、布都彦のことは一人前の扱いをさせてみました。

忍人さんにとって道臣さんが唯一のまともな兄弟子、ってことは他の兄弟子達には山程迷惑を被った訳で……でも、多分いろいろ世話にもなってるでしょう。特に、羽張彦さんには手合せを願っては良いようにあしらわれていたのではないかと思います。
羽張彦さんのイメージは、勉強は苦手で性格は結構軽くて何かにつけていい加減なところが多いけど、腕っぷしは強くて男気もある、明るく愉快な兄ちゃんって感じです。

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