その理由

その日、執務室と軍務室の両方から部屋の主の姿が消えていた。
「陛下は如何なされました?」
「別室でお説教中です。長くなりそうなので、こうして私が執務代行を務めております」
執務室を訪れた狭井君にサラリと応えて、柊は次々と竹簡を広げては丸め、あちらこちらへと積み上げていく。そして時折何やら書きつけて、せっせと執務を片付けて行った。
他の者に対しても同様である。
ただ、狭井君のように肝の座っていない者達は、真面目に働く柊の姿に恐慌を来し、執務室の近くでは行き倒れる文官が続々と発見されることとなった。

一方、軍務室では道臣が留守番をしていた。
こちらでは特に代行は必要ない。ただ、訪う者に対処するために居るだけのようなものである。
「葛城将軍は御不在ですか?」
「ええ。別室でお説教中なのです。長く掛かりそうなので、このように私が留守居を務めさせていただいております。急ぎの用件でしたら可能な限り承りますが…」
申し訳なさそうに道臣が応えると、皆一様に何やら感慨深げに呟いて去って行く。
「はてさて、今度は一体、陛下は何をなされたのやら…」
それを聞きながら、道臣は心苦しく思うのだが、敢えて詳しくは語らなかった。
そうこうしている内に、忍人の代わりに兵達の指導にあたっていた布都彦が顔を出す。
「道臣殿、葛城将軍はまだお戻りではないのですか?」
「ええ、思ったよりも長引いているようで……ですから、ここを動けない私に代わって、第参倉庫の壱番から弐拾番の棚の在庫確認をお願い出来ますか?ここに各棚における有るべき型番と数が記されていますので、実際の数と照らし合わせて欲しいのです。過不足があったらその型番と数が解るように記録を取って来て下さい」
「はい、行って参ります」
道臣に仕事を頼まれた布都彦は、頼りにしてもらえた喜びを胸に駆けて行った。
「ふぅ~、何とか追及を逃れることが出来ましたね。全く、忍人と来たら何をやっているのやら…」
なかなか戻って来ない弟弟子に想いを馳せて、道臣はまた持ち込んだ自分の仕事を淡々と進めていくのであった。

「陛下は、まだお戻りではないのですか?」
再び訪れた狭井君は、二人の動向を疑い始めた。女王が何をして葛城将軍に説教を喰らっているのかは知らないが、いくら何でも長過ぎる。そもそも、仕事をそっちのけにしてまでこんなに長々と説教するなど葛城将軍らしからぬ振る舞いだ。これ程長く掛かるなら、それこそ部屋で一晩中掛けてでも思う存分叱りつければ良い。
一緒に来た岩長姫も、同様の疑念を抱いて、面白そうに問う。
「まさか、説教中というのは方便で、実は千尋に押し迫られて何処ぞへしけ込んでるんじゃないだろうね?」
「忍人ですから、さすがにそれは……まぁ、成り行きで少しばかりそのようなことにならないとは限りませんが、せいぜい口付けまでがいいところでしょうね」
柊は仕事の手を止めて、誤解を解くべく、老婦二人を別室へと案内することにしたのだった。

部屋の前に立っていた風早は、3人の姿を見止めて困ったように苦笑した。
その3人が風早に声を掛ける前に、部屋の中から千尋の声が響いてくる。
「違います!何度同じことを言わせるんですか!?」
その声に、老婦二人の目が丸くなる。
「今のは陛下のお声ですわね?」
「もしかして、説教中ってのは…」
その問いに、風早と柊が溜息混じりに答える。
「千尋が忍人をお説教中なんです」
「ですから、長くなりそうだと申し上げたのですよ」
そっと戸を開けてみれば、正座している忍人と仁王立ちしている千尋の姿が目に入る。
「ちゃんと私の話、聞いてるんですか?」
「勿論だ」
「だったら、どうして私が怒ってる理由が解らないんですか!?」
「そう言われても……俺の行動に不満があるからでも、俺を心配しているからでも、もっと二人で過ごす時間が欲しいからでもないとなると、一体何が問題なのか…」
忍人は3回答えて全て「違う」と言われ、間違える度に千尋の怒りは増す一方だが、その話の内容は変わらない。「何度同じことを…」と言うのは本当に同じことばかりなので、そこから忍人が別の答えを導き出すのは難しい。それでも何とか、千尋が特に問題としている部分は何処なのかを分析し直すのだが、正解に辿り着くことは出来ずに時間だけが過ぎて行ったのだった。

「そろそろ勘弁してあげてくださいよ。その調子では、いつまで経っても忍人が正解することはありません」
風早を先頭に、一同はぞろぞろと部屋へ踏み入った。
「先程から拝聴しておりましたが、説教と言うよりは殆ど痴話喧嘩ですね。正直に申し上げますと、少々あてられて参りました」
「まぁ、そんな言い方でこいつに何か理解させようってのは無理があるだろうさ」
「仲がおよろしいのは結構ですが、何事も限度というものがございましょう」
風早に続き、柊、岩長姫、狭井君まで入って来たのを見て、千尋も忍人も仰天とする。
そんな二人に構わず風早はズカズカと忍人の横へ屈み込んだ。
「あのね、忍人…君の答えは正解ではないけど、完全に間違ってる訳でもないんですよ。ただ、千尋が求めているのは、もっと根本的な部分なんです」
何故、不満を覚えているのか、心配するのか、二人で過ごす時間が欲しいのか。その理由を答えればいいのだと説かれて、忍人はますます訳が解らないと言った顔をする。
すると、今度は柊が頭の上から半ば呆れながら、しかし些か楽し気に問う。
「あなたなら、どうなのですか?我が君に対し、行動に不満を感じたり、心配したり、二人で過ごす時間を増やしたいと思う、その根本にあるのはどのような理由なのでしょう」
「愛してるからに決まっている」
あまりにもきっぱりと、しかもあっさり即答されて、それを予測していなかった兄弟子以外の者達は面食らった。忍人が間髪を入れずに正解を答えるなどとは思っていなかった千尋も、無防備にそれを耳にして動揺する。
「おおお…忍人さんってば、そんな簡単に答えられるのに、どうして今まで全然解らなかったんですか!?」
「えっ、これが君の求めていた答えなのか?こんな、言わずもがなの基本的なことが…?」
「我が君が何を問題にしているのか、などと難しく考えるから解らなくなるのですよ。女心は単純にして複雑、複雑にして単純なものなのです」
「……理解し難いな」
その遣り取りに、狭井君と岩長姫は唖然としていた。何しろ、忍人は終始真顔だ。風早や柊には見慣れた光景だが、慣れぬ者は目を疑うのも無理はない。
「う~ん、先生達のこんな顔は始めて見た気がします」
「まったくもって……この無自覚天然振りの方が理解し難いですね」

-了-

《あとがき》

ちょっと視点をずらして、ちぐはぐな万年熱愛夫婦を取り巻く人々を中心に話を進めてみました。
柊も道臣さんも、意図的に真相をはぐらかす受け答えをしています。嘘はついてないけど、ああ聞くと誰もが”葛城将軍が陛下にお説教している”と解釈するのは、日頃の行いの所為です。大抵の人は勝手な思い込みでそれ以上詳しくは聞こうとしないので、忍人さんの名誉は守られました。
布都彦は道臣さんには少しだけ気安く話しかけることがあるので、先手を打って用事を言い付ける道臣さん(^_^;)

indexへ戻る