欲しいこと

忍人の誕生日が近付くにつれて、千尋の悩みは深まっていった。
元々、忍人は物欲が乏しい。こだわるものと言えば武器ぐらいだが、それも数や値打ちなどではなく、実用性を重視している。手に馴染む形、大きさ、重さ、切れ味、丈夫さなど、納得のいく武器を手に入れる為なら、自ら何度でも刀鍛冶の元へと赴く。とても、他人が贈り物として渡せる代物ではない。
食べ物の好き嫌いも殆どない。好物と言える物はなく、嫌いな物も、過去の苦い思い出から野いちごを敵視しているのと、甘いものが得意ではないくらいだ。
思い切って忍人に訊いてみようと思いつつも、千尋はなかなか話が切り出せずに居た。
そんな千尋の様子を見かねて、風早は代わりに訊きに行くことにしたのだった。

「欲しい物など、特にない」
「本当にないんですか?今なら、”千尋”とか言っても許しますよ」
「千尋は物じゃない」
憮然とした顔で即座に言い返した忍人に、風早はちょっと嬉しそうな顔をした。
「だったら、して欲しいこととかありませんか?俺に肩揉んで欲しいとか、遠夜に歌って欲しいとか、千尋に膝枕して欲しいとか…」
「遠夜の歌か……確かにあれは素晴らしいな。また聞きたいか、と問われれば”是”と答える」
良し、望みの一端を捕えたぞ、と風早は小さくガッツポーズをした。
「遠夜の歌の他には、何かありませんか?俺とか柊とか那岐とか道臣とか布都彦とか、千尋にして欲しいこと……あるなら、遠慮なく言ってみて下さい」
「それなら、山程ある」
おぉっ、これは手応えバッチリ、と風早は喜び勇んで忍人に答えを促した。
「とりあえず、言えるだけ言ってみて下さい」
すると、忍人は少し戸惑うような素振りを見せた後、次々と希望を並べ立てたのだった。

「言っても無駄とは思うが…柊には、俺で遊ばないで欲しい」
確かにそれは言っても無駄ですね。でも、誕生日当日くらいなら我慢してくれるんじゃないでしょうか。
「風早には、いい加減に子離れして欲しい」
ああ、忍人は俺が邪魔なんですね。解る気はしますが……無理です。せめて、誕生日当日だけはなるべく手出しを控えるように心掛けるくらいで勘弁してください。
「那岐と道臣には特にない」
ああ、そうですか。あの二人には、不満はないんですね。
「布都彦には、もっと自分に自信を持って欲しい」
あっ、それは俺も思ってます。確かに、布都彦は自分を過小評価し過ぎですからね。何か、忍人よりも秀でた部分を……そうだ、琴の音を披露してもらうと良いかも知れませんね。忍人は芸能方面は全くダメですが、耳は肥えてますし、お世辞なんて言わないでしょうから、賛美されれば布都彦も少しは自信を持てるんじゃないでしょうか。
「そして千尋には……本人に直接言わねば意味がないと思う」
あれ?もしかして、千尋にだけはちゃんとした”して欲しいこと”があるんでしょうか。これは期待出来そうですね。

風早は忍人の希望を皆に伝えた。
その結果、まずは当たり障りのない誕生会が行われることとなる。
遠夜は忍人の為に心を込めて何曲も歌ってくれた。布都彦は恐縮しながらも、琴で伴奏を担当した。
道臣はケーキの材料を手配し、那岐も木の実を集めるのを手伝い、それらを使って風早が甘さ控えめのバースディケーキを焼き上げた。
柊は、その日一日、忍人で遊ぶのを我慢した。
そして、千尋はその場で忍人に訊いたのだった。
「あの…私にして欲しいことがあるって話だったんですけど…」
「ああ、そのことか。ここで言わねばいけないのか?」
もしかして艶めいたことなのか、と辺りからは期待の目が向けられた。
「えぇっと、出来れば今ここで……皆の前で言い難ければ、耳打ちとかでも良いので…」
「解った。では、言わせてもらおう」
期待と不安の視線が集中する中で、忍人はここぞとばかりに千尋にして欲しいことを並べ立てた。
「まず、一人で歩き回らないで欲しい。それから、仕事中は名前ではなく役職で呼ぶようにして欲しい。まったく君は、何度言っても聞きやしないな。それと、姫装束で走らないで欲しい。裾を踏んですぐ転ぶからこっちは気が気じゃない。ああ、それから、誰彼構わず愛想を振りまかないで欲しいし、風早や柊を甘やかさないで欲しい。いつまでも君が甘い顔をしているから、彼らが図に乗るんだ。もっと毅然とした態度で、締めるべきところは容赦なく締めろ。他にも…」
延々と続くダメ出しに、柊、道臣、那岐の3人は呆れ返った。遠夜は興味深げに見守り、布都彦は身の置き所が無いようでおろおろしている。
「あの…忍人さん。そういう”して欲しいこと”じゃなくてですね……もっと、その…」
「何だ?君が言えと言うから、俺は”君にして欲しいこと”を言っているのだが…」
「いえ…ですから、そういうダメ出しじゃなくて……つまり、やめて欲しいことではなく、今日もしくは今、これをしてもらいたいと言う方向で何かありませんか?」
これでもかとダメ出しを喰らいながらも、千尋は言いたいことを何とか伝えた。何しろ、度重なる説教でかなりの耐性が出来ているし、口を挟むタイミングも心得ている。
忍人は、しばし考え込んだ。今日もしくは今、千尋にして欲しことが特に何かあるだろうか。そこで、ふと不穏な空気を感じる。
「千尋…今すぐ、君にして欲しいことがある。とても重要なことだ」
「はい、何でしょうか?」
嬉しそうに顔を上げた千尋に、忍人は切に訴えた。
「風早を宥めて欲しい」
「はぃ?」
驚いて千尋が振り返ると、そこには微笑みながら右手腕のストレッチをしている風早の姿があったのだった。

-了-

《あとがき》

忍人さんの誕生日記念のはずですが、忍人さんは幸せになれません。
アシュヴィンや風早や柊だと、欲しい物を訊かれたら躊躇いなく千尋を欲しがりそうなのですが、忍人さんはそんなこと言いません。
して欲しいことを訊いても、遠夜や布都彦だったら「ここで一緒にいて欲しい」とか言ってしまいそうですが、忍人さんはそれも言わないでしょう。
忍人さんは、”して欲しいこと”を訊くとダメ出ししそうなイメージがあります。何しろ、周りには「やめろ」って何度言っても聞かない人ばかりだから…(^_^;)

普段は過去を論うような説教の仕方はしないであろう忍人さんですが、「遠慮なく」と言われたので本当に遠慮なく日頃から思っていたことを並べ立ててみたら、風早を怒らせてしまいました。
一応、風早は、千尋が居るのでその場で手を上げることはしません。手首その他の準備運動をして見せることで、「いい加減にダメ出しを辞めないと、タダじゃおきませんよ」とアピールしています。

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