親子

ある日の夕方、風早が千尋達の部屋で幼い一ノ姫をあやしていると、足往が血相変えて駆け込んで来た。
「どうしよう、風早。一ノ宮様が消えちまった!」
その報には風早も、白昼堂々勾引かしかと驚いた。だが、良く聞けば何のことはない、一ノ宮が自主的に部屋を抜け出しただけのことであった。
「それは困りましたね」
消えた時の様子を聞いた風早は、落ち着いて言った。
「とりあえず、那岐にお遣いに行ってもらいましょうか。もしかしたら、千尋のところに行ってるかもしれませんし…」
真相を知る者は少ないに越したことはない。千尋のところに居たり、そこまでの道程で発見出来ればそれで良し。見つからなかった場合の用向きは、一ノ姫が泣きながら母様を呼んでいると言うことで、那岐の方も渋々とではあるが急ぎ足で千尋を呼びに外宮へと赴いたのだった。

「千早!」
忍人共々駆け戻って来た千尋は、風早に抱かれてすやすやと眠っている娘を見て目を丸くする。
「…千尋を呼び戻すほど泣いていたのではなかったのか?」
訝しむ忍人に風早は誤魔化すような笑みを浮かべて答えた。
「いえ、あれは口実です。那岐が煩そうにああ言えば、誰も不審に思いませんから……でも、何で忍人まで戻って来たんですか?」
「那岐が来た時、報告に上がっていたんだ」
面倒を見ているはずの風早への不満そこそこ、娘への心配それなり。しかし、忍人が仕事を放り出してまで一緒に戻って来た最大の要因は、護衛の兵士を置き去りにして一人駆けて行く千尋への心配だった。
「それで、そんな口実を使って俺達を呼び戻した本当の理由は何なのだ?」
あなたまで呼んだ覚えはありませんが…と心の中で呟きながら、風早は部屋の隅で縮こまっていた足往を呼び寄せた。
改めて一ノ宮が消えたことを報告する足往は、耳と尻尾がすっかり垂れ下がっている。何しろ、心の準備もないままに、忍人に自分の失態を詳しく報告しなくてはならないのだ。千尋に続いて忍人まで部屋に駆け込んで来たのを目にした瞬間から、最初にこの部屋へ来た時よりも遙かに青褪めて震え上がっていた。しかも、それ故に言葉に詰まったり声が小さくなると、容赦なく忍人から叱責される。およそ生きた心地がしなかったことだろう。
「まったく、忍継の奴……勉強を投げ出して脱走するとは…」
「見張りの目をかい潜って脱走するなんて…」
「困ったところが千尋に似てしまったものだ」
「困ったところが忍人さんに似てしまったものだわ」
国の一大事とばかりに震え上がった足往の報告に対して、忍人と千尋は呑気な感想を漏らした。そして、互いに視線を絡ませる。
しばしの沈黙の後、2人はほぼ同時に口を開く。
「俺は、君に似たのだと言ったのだが…」
「私は、忍人さんに似てるって言ったんですけど…」
途端に足往以外の者は、また始まったと思う。
「俺は勉強や仕事を途中で放り出すような真似はしない。これは君に似たんだ」
「いいえ、私は見張りの目を欺いたりしません。これは絶対、忍人さんに似たんです」
「いいや、執務中に抜け出す君にそっくりだ!」
幾つになっても千尋は執務中に部屋を抜け出して散歩をしては、忍人に見つかって叱られる日々を送っている。
「違います。養生中に抜け出す忍人さんにそっくりなんです!」
少し体調を崩しただけで無理矢理養生させられる忍人は、幾ら見張りを立ててもこっそり抜け出して仕事や鍛錬に行ってしまう。
「俺は、ただ外の空気を吸いに出ているだけだ」
そのついでにちょっと素振りして来ただけ、と言うのが忍人の言い分である。
「私だって、仕事の合間に気分転換してるだけです」
あくまで途中休憩であって放り出している訳ではない、と言うのが千尋の言い分である。
「君に似たんだ!」
「忍人さんに似たんです!」
「千尋だっ!!」
「忍人さんですっ!!」
こうなるといつも平行線だ。何度も繰り広げられているこの論争は、未だにはっきりとした決着が付いたことがない。適当なところで那岐が「そんな言い争いをしている場合じゃないだろ」と言ってもすぐには収まらない。
しかし今日は、この平衡を破れる強力な存在がこの場に居たのだった。

眠っていたはずの一ノ姫が、すぐ傍で言い争う両親の声に驚いて、火がついたように泣き出した。
「千早!」
異口同音に千尋と忍人が振り向いた。
「ああ、よしよし…。心配しないで良いんですよ。2人とも、千早のことを怒ってるんじゃありませんからね」
揺すったり背中を撫でたりして慰める風早に、千早はギュッとしがみついて名前を呼ぶ。
「かじゃひゃ~」
「はい、はい、驚きましたよね。怖かったですよね。悪い父様と母様ですね。千早はこんなに良い子なのにねぇ」
慣れた手付きと口調で娘をあやす風早の態度に、千尋も忍人も恥じ入る。
「ご、ごめんね…」
「すまない、千早」
しかし風早は、手を伸ばした2人から、にっこり笑って千早を遠ざけた。
「俺の方が、千早を泣き止ませるのは上手ですよ。何しろ、年季が違いますからね」
そう、風早の子育て経験年数はどんな母親も敵わない。育て上げた子供は、千尋とその子供限定だが…。しかし、そんなことは知らずとも、普段の様子から見て、誰もが風早の言う通りだと認めていた。おかげで、忍人などは数えられる程度にしか娘を抱き上げたことがなく、千早はすっかり風早に懐いてしまって、ますますその差は広がるばかりだ。
しかし、これによって言い争いはひとまず終息した。そこで、ここぞとばかりに那岐が口を挟む。
「ねぇ、忍継探しに行かなくて良いの?」
ハッとなって駆け出そうとする千尋の手を、忍人が慌てて掴む。そして忍人は、そのまま千尋が勝手に探し回らないようにと思ったのか、手を繋いで息子を探しに出て行ったのだった。

那岐は、真面目に探す気もなく適当に森に入った。
「心配しなくても、あいつは葛城将軍に似て素早しこいし、千尋に似て図太いから、そう簡単にどうにかなったりしないと思うんだけどね」
下手に騒ぐ方が、良からぬ相手に一ノ宮の単独行動が知れて、余程危ない。
それが解っているから、忍人も程なく千尋の手を離したのだろう。ここへ来る途中で見かけた2人は、千尋が半歩前を歩くような形で連れ立っていた。恐らくは、大声で名を呼んで探し回らないように、散歩の振りをするようにと千尋を説き伏せたものと思われる。
「足往がちょっと辺りを探してみれば、すぐに見つかったんじゃないのか?」
それを慌てて風早の元へ飛んで来たりするから、こんなことになるんだ。人より鼻が利くくせに、どうして僕達を巻き込むかな。そう、那岐は誰にともなく愚痴った。
しかし、まだまだ経験不足の中、やっと念願叶って大好きな”忍人様”と”姫様”の御子息の警護の任に就いたばかりの足往に、そんな余裕などあるはずがない。おかげで、女王と大将軍が仕事そっち退けで、那岐まで巻き込まれての捜索である。
そして、こういうことは本気で探している者よりも適当に手を抜いてる者の方が上手く行き当たるらしい。
「…見つけちゃったよ」
那岐は深く溜息を付いた。もう一度確かめるように視線をやれば、間違いなく忍継が樹の根元で丸まって眠っている。
「こんな所で呑気に寝てられるなんて、やっぱりこいつ、見た目はあいつの縮小版でも中身は千尋似か?」
しかし、よくよく見れば腕の中にはしっかりと灰色の子犬を抱いている。
「この犬の毛並……狗奴そっくり…」
やっぱり忍人似なのか、と思えなくもなかったが、どちらにしても妙なところが親に似たことだけは確かだと思う那岐であった。

-了-

《あとがき》

千尋と忍人さんの子供ネタです。
兄の一ノ宮は忍継(おしつぐ)で、歳の離れた妹の一ノ姫は千早(ちはや)。勿論、名前で呼ぶのは家族とそれ同然の人だけです。
相手のことが好き過ぎて、互いに子供は相手に似ていると言って譲らぬ忍人さんと千尋。
そして忙しい2人に代わって、髪の色以外は千尋そっくりの一ノ姫を独占している風早(^_^;)

indexへ戻る