喧嘩の後始末
一緒に千尋の部屋へ向かう途中、千尋と忍人の姿を見て風早と那岐は嫌な予感を覚えた。
    「何か、言い争ってるみたいですよね?」
    「あ~あ、また面倒なことになるんじゃないの?」
    2人のそんな予感は的中し、程なく「忍人さんの莫迦!」と叫んだ千尋が駆けて来た。遅れて「だから、一人になるなと何度言わせれば…」と忍人も駆けて来る。
    「はいはい…喧嘩ですか?」
    涙目の千尋をポスッと抱き止めて、風早は宥めるようにその髪を撫でてから、那岐へとバトンタッチした。
    「それじゃ、千尋をお願いしますね」
    「仕方ないね……了解」
    千尋を那岐に任せると、風早はすかさず忍人を捕獲した。
    「はい、あなたは俺に事情を説明してくださいね」
    問答無用で近くの部屋へと連行された忍人は、笑顔で尋問する風早に、自分でも訳が解らない今の遣り取りについて洗いざらい白状させられたのだった。
事の起こりは、千尋が世間話のようにして切り出した柊の話だった。
    「最近、柊の元気がないみたいなんですよ」
    「放っておけ。別に、奴の元気などなくても誰にも迷惑は掛からない」
    その気になれば大臣10人分くらいの働きが出来るくせに、ちっとも働こうとせず、好き勝手にふらふらと何処かへ姿を晦ましてはいきなり現れて碌でもないことばかりする柊なんぞ、いっそ元気をなくして何もしないで居てくれた方が有り難いとさえ思う忍人だった。
    「でも、心配じゃないですか」
    「何故、俺が奴の心配などしなくてはならないんだ?」
    千尋が何を言いたいのか、忍人にはさっぱり解らなかった。
    「だって、お友達だし…」
    「あれを友達だなどと思っていたのは遥か昔のほんの一時期だけだ。今は、ただの厄介者だとしか思えない」
    取りつく島のない忍人に、千尋は思い切って言った。
    「そんなこと言わないで、たまには柊にも付き合ってあげたらどうですか?」
    「そんなことをしてやる義理はない」
    「だって柊は、最近忍人さんに全然構ってもらえないからって落ち込んじゃってるんですよ」
    これには忍人が目を丸くした。
    「何故、そんなことが言えるんだ?」
    「柊がそう言ってました」
    最近忍人が全然構ってくれないのです。前は何かと反発しながらも言葉を返してくれたのに、今は完全に無視されて……この寂しい気持ちは、我が君ならお解りいただけますよね?
    「それは芝居だ。奴の手に乗せられるな」
    「でも…」
    「例え芝居でなくても、そのままにしておけばいい。俺はそれで一向に構わない」
    「忍人さん…冷たい」
    こうして2人は言い争いになり、ついに忍人は言ってしまったのだ。
    「君は……俺と柊のどちらが大事なんだ!?」
「それで、千尋に莫迦って言われたんですね?」
      「その通りだ」
      何故、自分が莫迦と言われなくてはならないのか、忍人にはさっぱり解らない。そもそも、柊を元気付けるために自分が付き合ってやらなくてはならない道理も理解出来ない。
      「何だか、痴話喧嘩の定型句みたいですね」
      「友達と先約があるから」とデートを断られて「私とその友達のどっちが大切なの」と聞く、そんな光景が風早の頭に浮かび、ふと思いつきで忍人に訊いてみた。
      「忍人は、恋人と友達のどちらが大切ですか?」
      「恋人に決まっている。千尋と遠夜とでは千尋の方が遙かに大切だ。風早とでは比べることすら間違っている」
      「すみません。訊いた俺が莫迦でした」
      あまりにもあっさりと、そして淡々と答えられて風早は深く反省した。
      これは訊くまでもないことだった。
      しかし、遠夜と違って比べても貰えないのがちょっと哀しい。自分は柊寄りだと思われている分、遠夜よりも価値が下がるのだろう。
      そこで風早は、ふと別の定型句を思い出して問い直した。
      「では、恋人と仕事ではどちらが大切ですか?」
      これには忍人も考え込む。
      「今度は”恋人”って即答しないんですね?」
      「難しい質問だな。俺が仕事を疎かにすれば、千尋の命にも係わるし……千尋に何かあれば、何をおいても駆け付けるだろうし…」
    真剣に悩んでいるらしい忍人に、またしても風早は反省の海に身を沈めたのだった。
「話は解ったけどさ…そりゃ、千尋が悪いよ」
      同じ話を千尋から聞いていた那岐は呆れたように言った。
      「そもそも、あのツンデレ将軍が、素直に柊の心配なんてするはずないじゃないか」
      むしろ、誰かが何か言えば言う程、意固地になるに決まっている。
      「それに、この場合は二重三重に不愉快要素有りだね」
      那岐は忍人に少しだけ同情した。
      確かに忍人は自他共に認める超鈍感の朴念仁で、女心など全く理解出来ないようなところがあるが、千尋だって男心に疎過ぎる。
      「あのさ…恋人が他の男を心配してるのって、聞いてて楽しいと思う?」
      「他の男って……だって、柊だよ」
      この場合、その”他の男”が柊であることが更に問題なのだが、千尋にはそれが解らないらしい。
    「百歩譲って風早とか僕なら家族同然だからまだ仕方ないと思えても、柊じゃそうはいかないだろ。それを千尋が親身になって心配して……挙句に仲良くしてあげてなんて言われた身にもなってみなよ」
      そう言われても、千尋にはさっぱり想像出来なかった。
      「ああ…千尋の貧困な想像力じゃ無理か」
      那岐のこの言い様に千尋は膨れっ面になったが、那岐は取り合わない。
      「それじゃあ、例え話……これなら千尋でも想像出来るんじゃない?」
      那岐は具体的に例を挙げて千尋に問う。
      「葛城将軍から、元コンが元気ないから話し相手になってやってくれ、なんて言われたら千尋はどう思う?」
      「…忍人さんに婚約者なんて居なかったもん」
      「だから、例え話って言っただろ。大体、葛城出身なら本人が知らないところで生まれながらの許嫁が居たって不思議じゃないしさ」
      千尋は、忍人がそんなことを言うとは思えなかったが、何とか想像してみた。
      「ちょっと嫌かも…」
      その答えに、那岐は満足したように頷く。
      「そうだろ?こんな単なる例え話で、それでも超お人よしの千尋でさえ嫌だと感じるんだからさ……あいつの場合は、もう、メチャクチャ嫌だったと思わない?」
      「う~、そうかも…」
      「しかも、2人共忙しくてなかなかデートの時間がとれないのに……その貴重な空き時間を柊なんかの為に使って欲しいって千尋の口から言われた葛城将軍がどう思ったか、少しは考えてみたら?」
      せめて風早を介するとかしてもう少し上手くやれば良かったんだよ、と言われて、千尋はちょっとだけ反省した。
      「俺と柊のどっちが大事だ、なんて自分の気持ちを疑われたみたいだって千尋が怒るのも解らなくはないけど……あいつがついそう口走ったのも仕方ないんじゃない?」
      そう言われると、そんな気がしてくる千尋だった。
      「それで…千尋はどっちが大事なのさ?」
      「忍人さんに決まってるでしょ!」
      即答する千尋に、那岐は深く溜息をついて見せる。
      「最初から、そう言ってやれば済む話じゃないか。それを、莫迦とか叫んで……どっちが莫迦だよ?」
      「……忍人さんに謝って来る」
      項垂れた千尋は、ブツクサ言う那岐に付き添われて忍人のところへ向かった。
    「まったく、何で僕がこんな面倒な役やんなきゃいけないんだか……今回は絶対、風早の方が楽だったよね」
-了-
《あとがき》
千尋と忍人さんが喧嘩すると、風早と那岐にお鉢が回ると言うお話。
  それぞれ言い分を聞いて諭す役割を分担していますが……その時々で、どちらが大変な思いをするかは違ってきます。何しろ、どんなに鈍感でも解るように説明しなきゃいけませんから…。
  非がある場合は諭されたり説教や鉄拳を喰らったりし、非がない場合は慰められることになります。
  千尋に非がある場合は那岐が面倒くさそうに、それでもそれなりに気遣って諭しますが、忍人さんに非がある場合、風早は容赦しないでしょう(^_^;)

