本音と建て前

アシュヴィン達を仲間に加えた天鳥船では、主要な者達の顔合わせも兼ねて細やかな宴が催された。
普段ならば酒宴などには参加しない忍人も、そのような趣旨のものでは全く顔を出さないという訳にもいかず、義理を果たす程度にリブ達と挨拶を交わして早々に退席しようとしていた。だが、部屋を出る直前にアシュヴィンに声を掛けられてしまった。
その様子を遠くから見て、忍人が何やらアシュヴィンに絡まれて困っているように感じられた千尋は、人の間を縫ってゆっくりと近づいて行った。
「……想い交わすことを敬遠するのはお前の自由だが、そんな綺麗事を並べ立てたところで俺が納得するとは思うなよ。どうせなら、もっとマシな理由を聞かせてもらおうか。例え不敬だろうが構わず本音を言ったらどうなんだ?」
嘲笑うような声音で凄むアシュヴィンの言葉を聞いて、千尋はアシュヴィンに突進するとおさげをグイッと引っ張って叫んだ。
「こらっ、アシュヴィン!忍人さんを苛めたら、私が許さないよ」
一瞬にして千尋達に視線が集まる。しかし注目を浴びながらも千尋は、髪を引っ張られて半歩下がったアシュヴィンと、千尋の所業に驚いて同じく半歩下がった忍人との間に素早く割り込んで、忍人を背に庇ってアシュヴィンを睨み付けた。
「ほぉ…龍の姫はなかなかに勇ましくておいでと見える。お前に掛かっては、誉れ高い虎狼将軍も幼気な子猫か子犬同然という訳か?」
「莫迦にしないでよ!偉そうに余裕かましておいてこてんぱんにされた挙句負け惜しみ言って黒麒麟で逃げてったあなたなんかよりも、忍人さんはずっと頼りになるんだからっ!!」
「ははは……これは手厳しいな」
アシュヴィンは笑って聞き流したが、聞いて居た者達は複雑な心境だった。忍人も、比較対象がそれでは本当に頼りにされていると思っていいのか不安になる。
「忍人さんも、相手が常世の皇子だからって遠慮することなんてありません。今は仲間なんですし……嫌ならきっぱり撥ねつければいいんです。いざとなれば不埒な輩はそれが何者であろうとも容赦なく股間を蹴り上げておやりなさい、って風早がいつも言ってます」
この千尋の言葉に、辺り一帯が笑いに包まれ、布都彦は真っ赤になって固まり、風早と那岐と忍人は額に手を当てて天を仰いだ。その様子を遠夜が不思議そうに眺めている。
「お前は本当に面白いな。俺がこいつに不埒な誘いをかけていたと思ったのか。俺はそこまで節操なしではないぞ。どうせそんな真似をするのなら、お前を相手にするさ」
「違ったの?だったら良いけど…」
あっけらかんと言って退ける千尋に、アシュヴィンは期待したように問う。
「何だ、お前にならやって良いのか?」
「その時は、風早の教えを実践するだけだよ」
ニッコリ笑ってきっぱりと振られながらも、そのあまりにも爽快な様子に、アシュヴィンは楽しそうに笑いながら去って行った。

アシュヴィンと千尋に視線が集中している間に、忍人はそっと部屋を後にした。
千尋に妙な誤解をされたのには参ったが、反って助かったと思う忍人だった。
そこへ千尋が追って来る。
「すみません、変なこと言って……以前柊から、忍人さんは男の人にもよく色目を使われるって聞いてたから、てっきりアシュヴィンもそうなのかと思ってしまったんです」
「そうか、柊が…」
相変わらず余計な口ばかり回る奴だ、と忍人は柊への嫌悪感を募らせた。
「でも忍人さん、随分と困った顔してましたよね。アシュヴィンも、想いだの綺麗事だの、何か意味深なこと言ってたし……一体何を話してたんですか?」
誤解が解けたのは良いが、それによって千尋の疑問に答えなくてはならなくなって、忍人は肝を冷やした。しかし、そこはこれまでに培った経験によって、どうにか表情を消すことに成功する。そして、千尋の言葉から、何処から聞かれていたのかを推察して、不都合な部分を省いて内容を言って聞かせた。
「アシュヴィン皇子は、俺と君が深い仲だと誤解していて……それで俺に絡んで来たんだ。恋仲でないなら俺が貰う、などと言って来たので、女王を他国に渡す訳にはいかないし君も今はそんなことに現を抜かしている時ではない、と答えたらあのように……いっそのこと自分のものだから他の男には渡さないとでも言ってみろ、と詰られた」
そこへ千尋が割り込んで来たのだと言われ、千尋は納得して宴へと戻って行った。

千尋の背中を見送って、忍人はとりあえず誤魔化せたことに安堵した。実は、あの話には先があったのだ。
忍人ですら薄々気づいている千尋の想いに、アシュヴィンが気付かない事など有り得ない。一方、忍人の想いも千尋以外の者の目には明らかだった。それでも互いに気持ちを打ち明けてはいないことも明らかだったから、うかうかしていたら横から攫う、とアシュヴィンが言って来たのは本当のことだ。そして、両想いでありながら何故打ち明けないのかと追及を受けた。
だから、今はそんなことに現を抜かしている時ではない、と答えた。
そこで、ならば戦が終わったら言うつもりか、と問われれば、即座に応とも否とも答えられなかった。その一瞬の躊躇いをアシュヴィンは見逃さなかった。
女王の結婚は国が決めることだから、想いを交わした後に龍の許しが得られなければ傷は深くなるだけだから、と答えを濁す忍人に容赦なく返答を迫った。告げるつもりがないならそう言え、姫の気持ちを受け入れない理由を聞かせろ、何故そうまで頑なに想いを交わすことを拒むのか。
アシュヴィンに言われずとも、国や龍のことは口実でしかないことくらい嫌と言う程自覚している。
だが、言える訳がない。自分の命は残り少ないからだ、などとは…。
そう長くは生きられないから、想いを告げれば反って千尋に負担を掛けてしまう。この分ならば千尋が即位するまでくらいは何とか保つと思うが、恐らく国政が安定して縁談が纏まる前には命が尽きるだろう。
そのことに、遠夜は気付いている。その上で、千尋に心配をかけないように、千尋を悲しませないように、少しでも忍人が長く生きられるように毎日せっせと千尋に内緒で薬湯を差し入れてくれている。
辺りに誰も居ないことを確認してから、忍人はふと呟いた。
「千尋は俺のものだ、と言えたらどんなに良かったか…」
そして、千尋を取り巻く恋敵が増えたことを再認識して独り言つ。
「この手で幸せになど出来ないと解っていながら、それでも他の誰にも渡せないと思ってしまうとは……我ながら随分と身勝手な真似をしているものだな」
だからアシュヴィンの問いにどうしても答えられなかったのだと、忍人は自嘲の笑みを浮かべて堅庭へと出て行ったのだった。

-了-

《あとがき》

忍人さんを背に庇う千尋を書こうとしたところ、 前半はギャグで後半はシリアスという奇妙な展開となってしまいました。
アシュヴィンに対しては、基本的にとっても強気な千尋です。アシュヴィンはそんな千尋がお気に入り(^_^)
一方、忍人さんは立場を気にするので、アシュヴィンに対しては他の相手と違って振り切ってその場を去ることが出来ません。なので、千尋に庇われることに……子犬な将軍もちょっと良いかも、などと思っております。

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