危険な果実

サザキ達の宴会に参加した千尋は、そこで柘榴を見つけて手を伸ばした。
「おぉっ、姫さん、目が高いねぇ。そいつは佐久呂って言って、この辺りじゃあんまり採れないんだ。オレらが前に居たトコには結構あったんだけどな。疲れがよくとれるんだぜ。こいつはちょいと酸っぱいみたいだが、喰っといて損はねぇな」
「へぇ~、そうなんだぁ」
千尋も今ではかなり戦闘慣れして来たが、やはりか弱い女の身で軍を率いるのは重労働だった。風早が甲斐甲斐しく指圧してくれたり、遠夜が疲労回復の薬湯を作ってくれたりはしているが、そのような効果のあるなら有り難く頂いておくべきだろう。
サザキに勧められるまま、千尋は次々とそれを口にした。

しばらくして、身体に火照りを感じた千尋は、夜風にあたるために堅庭へと出た。
そして、柊と何やら言い争っている忍人に向って突進する。
「どうした、二ノ姫?顔が赤いようだが……まさか、酒を飲んだのでは無いだろうな?」
駆け寄り飛び付いて来た千尋を受け止めた忍人は、酒気を確かめようとその口元に顔を近づけた。その途端、千尋は忍人の首に回した腕を強く引き寄せて唇を寄せる。
「ん~~~っ!?」
目を白黒させる忍人の横では、柊が面白そうにその様子を見つめている。
「おや、我が君も随分と大胆なことをなさいますね」
経験はなくても向こうの世界でいろいろと情報を見聞きしている千尋は、強引に舌を捻じ込んでくる。それは、勢いに任せて忍人の口内を激しく動き回る。決して上手くはないが、千尋の行為は忍人にとんでもない衝撃を与えた。
突き放そうにも、度重なる戦闘で天鹿児弓を引いて矢の雨を降らせてきた千尋の力はかなりものだった。忍人が本気で拒めば何とかなりそうだが、それでは千尋に怪我をさせてしまうだろう。
千尋の行為に翻弄されながらも、忍人は頭の片隅で考えを巡らせる。酒気は感じられない。だが、微かに妙な香りを感じる。どこかで嗅いだことがある危険な香りだ。
「忍人……考え事は後にして、今は目の前の現実を見た方が身の為ですよ」
トントンと柊に肩を叩かれて、目の前を見ると、いつの間にか唇を離した千尋は忍人の服に手をかけていた。
「うわっ、何をしているんだ、君は!?」
「見ての通り、あなたの服を脱がそうとしているのではありませんか?」
茶々を入れる柊に、忍人は千尋を押し遣りながら言い返した。
「お前も、見てないで止めろ!」
「それもそうですね」
柊が今更ながらに千尋の腕を掴んで、忍人から引き剥がそうとした。
「放して!」
「あ、はい」
千尋の叫びに、柊はあっさりと手を放す。
「放すな、この役立たず!」
「ですが、我が君のお言葉ですので…」
忍人に怒鳴られても、柊はそれ以上手を貸そうとはしない。完全に傍観者となって、成り行きを見守っていた。

忍人と千尋の争いは、やがて忍人の服ではなく千尋の服を巡ってのものへと変わった。
今度は、脱ごうとする千尋とそれを押し止めようとする忍人との攻防だ。
すると、柊も再び立場を変化させた。
「お止めください、我が君」
「放して!」
「いいえ、こればっかりは聞けません」
忍人が困っているのを見るのは楽しいが、敬愛する姫君が素肌を晒そうとするのを黙って見ていることなど柊には出来なかった。見たくないとは言わないが、それとこれとは話が違う。
すると、忍人から引き剥がされて柊に抱きすくめられるような形となった千尋は、今度は柊の髪に指を絡める。
「うふふ…」
その目に妖しい光を見て、柊の頭の中で警鐘が鳴った。やや遅れて、忍人も不穏な空気に気付いた。
柊の髪を引っ張りその顔を引き寄せようとする千尋を、今度は忍人が引き剥がす。
2人掛かりで取り押さえられた千尋はしばらく暴れた後、急に糸が切れた操り人形のようにクタッと動きを止めた。

忍人と柊は、ひとまず千尋を部屋へ運び入れると、そっと褥に寝かせた。
「我が君のあのご様子……何か引っ掛かるものがあるんですよね」
柊は記憶を手繰り寄せるように目を閉じた。しかし、忍人が動く気配を感じて目を開けると、何と忍人が千尋に覆い被さるようしている姿が映る。
「何してるんですか!?」
目をむく柊の前で、忍人は千尋の口元に続き、襟元や指先にも顔を寄せる。
「先程も気になったのだが、この香りは……あっ!」
「何か心当たりがあるんですか?」
問いかける柊に、忍人は恨みに満ちた目を向ける。
「お前が昔、背が伸びるから子ども扱いされたくなければ全部飲め、とか言って俺に無理矢理飲ませたやつだ。赤い色をしていて変に甘酸っぱくて、果実酒に似ていたが酒気は感じられなくて、それでいて飯椀一杯も飲んでないのにやたらと身体が火照って……」
「ああ、阿附之実(あふのみ)ですか。成程…あれには強い催淫効果がありますからね。たまたま柘榴と間違えて売られていたのを見かけたので、果汁を絞って残りは磨り潰してあなたに飲ませてみたんですけど……残念ながらあんまり効かなかったんですよね。いつも仏頂面のあなたが、あれを飲んだらどんな顔をするのか見たかったのに、せいぜい暑がって上衣を脱ぎ散らかしたくらいで…」
柊はそう言うが、忍人はかなり苦しい思いをしたのである。そのおかげで、この香りに危険を感じるようになり、何度か難を逃れたこともあったのは確かだが、だからと言って感謝する気にはなれない。
とめどない火照りと激しい動悸、身体の奥から沸き起こる鈍い疼きに襲われ、意識が朦朧とし、それでも矜持にかけて懸命に己を律した。 あまりにも異様なので、原因は柊に飲まされたあの液体に違いない、と延々と恨み言を唱え続けて遅々として進まぬ時を過ごしたのだが、そういう効果があったのならばあの時の自分の症状にも先程の千尋の様子にも納得がいく。
しかし、今はそんな恨み言を並べ立てている場合ではない。千尋が何処でそんなものを口にしたのか突き止め、被害が広がるのを防ぐことが先決だった。

程なく、千尋に阿附之実を食べさせた犯人は挙がった。
サザキからあの実を貰った遠夜が、その正体に気づいて、千尋を心配して探しに来たのだ。そこで何とか意思の疎通を図った忍人と柊は、念の為に遠夜に中和剤を作りながら千尋を看ていてもらい、サザキを締め上げに行った。
「えぇ~っ、これって佐久呂じゃないのか?しかも、そんな効果があるのかよ!?」
サザキを始め、日向の者達も食べていたが、そんな症状は出ていなかった。味覚は同じようでも、やはり日向の民と普通の人とでは効果が違うのだろう。区別が難しい上に症状が出ないのでは、あまり責めるのも如何なものかと忍人も怒りを収める。その場に居た風早も同様だ。
「とにかく、これは没収します。上手く使えば薬にもなりますから、遠夜に預けておきましょう」
「それが良いだろう」
珍しく忍人もあっさり柊の意見に賛同した。見ただけで簡単に区別がつくのは遠夜と柊だけとなれば、遠夜に預けておく方が安全だ。処分するつもりだったが、貴重な薬材であるならそれは勿体無い。
そうして何とか事態の収拾がついた、と思った忍人だったが、そこへ風早の追及の手が伸びて来た。
「ところで千尋はあなた方にどんな媚態を見せたんでしょうか?」
風早の目は笑っていない。返答如何によっては血の雨が降りかねない。
柊は、なるべく澄ました顔をして答えた。
「少々大胆に、力一杯忍人に抱きついて……あとは、忍人の服を脱がせようとした…だけですよね?」
柊に同意を求められて、忍人は千尋の濃厚な口付けを思い出してポッと頬を朱に染めてから、コクンと頷く。
その恥じらう乙女のような素振りを見て、風早はどう反応していいのか困惑したのだった。

-了-

《あとがき》

催淫効果のある果実を食べてしまった千尋に襲われる忍人さんのお話。媚薬の効果があると言われていた果物の中で一番色が怪しくなりそうなものとして、柘榴をモデルにしました。
媚薬の効き目には個人差があり克己心の強い人には効果が薄いだろうということで、過去の忍人さんは何とか堪えてます。

千尋はサザキ達や遠夜や風早や那岐を男として意識していないので、宴の席に居た人達には迫らなかったものと思われます。純真なので、愛している相手に一番激しく反応していますが、柊にもちょっとだけ反応してたりして…(^_^;)
風早ED以外の時は基本的に千尋は風早を家族としか見ていないので、スルーされた風早はショックを受けています。なので、迫られた2人にちょっと妬いてます。

果実の名前は、媚薬や催淫を現す英語”Aphrodisiac”から付けたんですが、”あふ”を漢字に変換して出て来た結果が予想外の意味を持っていて驚きました。
ちなみに、佐久呂は柘榴と同じものです。疲労回復効果ではなく婦人病に効くという触れ込みで一時期ブームになってたようですが、科学的な証明はされてないし、背は伸びるどころかむしろそれを止める効果があると言われているようです。

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