接近禁止令

訓練の様子を窺いに練兵場へと向かう途中、忍人は反対側の回廊に人が溜まっているのを見て箱庭へと出た。
「何をしている?」
近付きながら声を掛けると、振り向いた人々の目が期待に輝いた。
「あっ、葛城将軍」
「そうだ、葛城将軍なら何とかしてくださるかも…」
口々にそう言うと、彼らは波を打ったように左右に分かれた。すると、その先には柊の姿がある。
柊は回廊のど真ん中にへたり込んで泣き崩れていた。
「何をやっているんだ、柊!?」
叫んだ忍人に、柊はハッと顔を上げると駆け寄ってその腰にしがみ付いた。その結果、目障りで往来の邪魔になっていた柊を回廊から退かすことに成功した忍人に対し、賛美の声が上がる。
「さすがは、葛城将軍だ。たった一言でこうもあっさり難事を解決されるとは…」
忍人はこんなことで絶賛されても嬉しくはないのだが、とりあえず橿原宮の平穏を保つのに役立てたことだけは確かだと思い、そのまま柊の面倒を見ることにしたのだった。

「聞いてください、忍人。風早ったら酷いんですよ。私に我が君への接近禁止を言い渡したんです!」
やっと泣き止んで事情を話し出した柊に、忍人は問い返した。
「何をやったんだ?」
「小さな壺を割ってしまったんです。珍しい形をしていたので、いろいろ調べている内にうっかり手を滑らせて…」
忍人は風早が怒るのも無理はないと思った。柊が風早のものを壊すのはこれが初めてではない。風早が集めたり作ったりした土器を、物珍しそうに手に取って眺めていてうっかり割ってしまうことが何度もあった。その度に、風早は作り直して来たのだ。
「さすがの風早も、堪忍袋の緒が切れたということか」
「だからって、いきなり我が君への接近禁止なんてあんまりじゃないですか!?」
今までは何をしても笑って許してくれてたのに、いきなりそれは落差があり過ぎると言う主張は、忍人も一理あると思った。
「ちゃんと謝ったのに……当分の間姫の前に顔を出すな、近付いたら千里の彼方まで蹴り飛ばす、なんて言うんです」
「お前、本当にちゃんと謝ったのか?」
柊の「ちゃんと謝った」は信用出来ない。本人はそのつもりだったと言っても、端から見ればそうは見えない場合が多過ぎる。
「どんな風に謝ったんだ?」
「すみません、割ってしまったのでまた焼いてください」
柊の答えに、忍人は愕然とした。それは、謝ったとは言えない。寧ろ怒りを煽っている。
「今までは、そう言えば済んだんですよ。仕方ないですね、って笑って許してくれたんです」
そんな調子だから、ついに風早も我慢出来なくなったのではないかと思う忍人だった。
「これまでがそうだったからと言って、甘え過ぎたんだろう。この際、千尋への当分接近禁止くらいで済んだことを有り難く思うのだな」
「くらいとはなんですか!?お傍に居ながら姫のご尊顔を拝せぬこの苦しさは、あなたにだって想像がつくでしょう」
想像はつくが、だからと言って柊に同情することも出来ない。
「だったら、旅にでも出ろ。それなら、近くに居ないのだから顔が見られなくても諦めがつくだろう」
「他人事だと思って、簡単に言わないでください!居たい時にお傍に居られないなんて、もっと嫌です」
それなら近くに居られるだけマシと思え、と言う言葉を飲み込んで、忍人は溜息交じりに促した。
「何にしても、今からでも改めてきちんと謝りに行ったらどうだ?」
「今からですか?行くにしても、一人では怖いんですけど…」
何を大げさな、と忍人は思った。
風早が烈火のごとく怒るのは、千尋の悪口を言うか千尋に危害を加えた時くらいのもので、それ以外のことは大抵笑って許してくれる。少々の例外があったところで、千尋が絡んでない限り、謝っても許してくれないことなどこれまで一度もなかった。だから、ちゃんと謝ればきっと許してくれるはずだ。
しかし、柊は一緒に来て欲しいと言ってきかなかった。
そこで忍人は、そこまでしてやる義理はないのだが、また往来で泣き崩れられたりこうして泣き付かれるのは御免だとの思いから、仕方なく柊に付き添って風早の元へと向かったのだった。

風早の部屋の近くまで来て、柊は怖気づいた。
「やっぱり、やめませんか?今更、謝ったくらいで許してくれるとは思えませんし…」
「お前には、悪いことをしたという自覚がないのか!?これは許して貰えるかどうか以前の問題だ!」
2人の騒ぐ声を聞きつけて、風早が部屋から顔を出した。すると、柊はすかさず忍人の陰に隠れようとする。
「おい、その図体で俺の後ろになど隠れられる訳がないだろう」
呆れる忍人の前で、風早は笑顔で冷たく言い放った。
「おや、柊。さっきの今で、よくも俺の前に顔を出せたものですね」
その様子を見て、忍人は自分の認識の甘さを悟った。これはもう、許して貰うどころか詫びる以前の問題らしい。柊の誇張ではなく、風早は本気で怒っている。
このままでは自分まで千里の彼方へ蹴り飛ばされる、と直感した忍人は、即座に柊を目の前の空き部屋へ突き転がし、「そこで大人しくしてろ」と言い置いて戸を閉めた。そして、部屋の前を塞ぐようにして、改めて風早に向き直る。
「柊が何をしたのか聞いても良いか?」
「ええ、良いですよ」
柊の姿が目の前から消えたことで風早の纏う空気は大分和らいでいたが、まだまだその声は冷ややかだった。

それから忍人は、詳しく話を聞かされた。
聞きたかったのは今回何があってここまで風早が怒ったのかだったのだが、これまでの経緯も含めて延々と柊の悪行について語られてしまった。
「すまないが、もう少し簡潔に…」
「聞きたいって言ったのはあなたですよ。これでも俺は、かい摘んで話しているつもりです」
そうして忍人の気が遠くなりかけた頃、やっと本題に入った。
「その挙句が、今日の一件です。柊はね、幼い千尋が俺の為にと見よう見まねで作ってくれた大切な思い出の一輪挿しを割ったんですよ。珍しい形だからと、俺の留守中に勝手にあれこれ調べていて、見事に手を滑らせてくれました。そして、また焼いてください、と来ました。でもね……焼ける訳がないでしょう。どんな名人だろうと、千尋本人だろうと、決して同じものは作れません
「それ……柊には言ったのか?幼い千尋が作ったものだってこと…」
柊の様子では、どうも知らなかった節がある。知っていたら、口が裂けても気軽に「また焼いてください」などとは言えまい。
「言う前に逃げました。怒りに任せて、当分の間千尋の前に顔を出すな、近付いたら千里の彼方まで蹴り飛ばす、と言って顔を上げたら居なくなってたんです」
どうやら柊は、風早の迫力に怯えて反射的に逃げ出し、足を止めたところで泣き崩れたらしい。
すると、忍人の背後から物音がした。続いて柊の声もする。
「知らなかったんです、そんなに大切なものだったなんて…。知ってたら勝手に触るような真似さえしませんでした」
「莫迦、黙ってろ!今の風早にそのような言い訳は逆効果だ」
「ふふっ、さすがに忍人は良く解っているようですね」
忍人の制止も虚しく、目の前で風早の纏う空気が変わっていく。
「ええ、そうでしょうとも…あなたは知らなかった。だから何だと言うんです?知らなければ何をしても……何を言っても良いとでも思ってるんですか?今更謝っても手遅れですよ。何を言おうとも、どんな詫び方をしようとも、俺は許す気はありません。そこまでする気はないでしょうけど、例え忍人が一緒になって土下座して許しを請うたところで無駄です。誤解のないように言っておきますが、俺は思い出の品を割られたから怒ってるんじゃありませんよ。形あるものはいつか壊れるものです。柊が好奇心旺盛なことも、手先が器用なくせに結構粗忽者だってことも、良く知っています。うっかり落としたなら仕方がありません。でもね、自分が何をしたのか考えもしないで、割れたならまた焼けばいい、って言う態度は到底許してはおけません。そんな根性は一度根底から叩き直すべきでしょう」
柊が存在を主張し言い訳なんぞした所為で、事態が悪化したことを忍人は柊以上に感じていた。
「当分の間千尋に接近禁止なんて、生温かったでしょうかね。今すぐ、千里の彼方へ蹴り飛ばしてあげましょうか」
風早と柊の間に挟まれた形となった忍人は、自分が言われている訳ではないと解っていても、許しを請いたくなるような衝動に駆られる。終始笑顔の風早の目が、退け、と言っているように見えるのは多分気の所為ではないだろう。こんなことなら柊の面倒など見るんじゃなかったと思っても後の祭りだ。風早に気圧されるようにして、戸を押し開け、忍人は部屋の中へと後ずさる。
すると、その場に似合わぬ明るい声が辺りに響いた。
「ただいま、風早」
千尋が返って来たのだ。その声に、柊が助けを求めようとしたが、忍人は慌てて口を塞ぐ。
「黙ってろと言っただろう!本当に千里の彼方まで蹴り飛ばされたいのか!?」
忍人は小声で柊に忠告した。
千尋の姿を見て急激に機嫌が良くなりつつあるとは言え、今下手に動いたら、風早は千尋の目を盗んで先程の言葉を実行するくらいのことはやってのけるだろう。
千尋に見つかる前に急ぎ戸を閉めて、柊共々身を隠した忍人は、2人が千尋の部屋へ入り忍人の代わりに彼女を送って来た狗奴達が去って行く音を確認すると、拘束を解いて柊に告げた。
「撤退するぞ。ひとまず身を潜め、慎重に相手の様子を窺い、然るべき後に再度接触を図るのが得策だろう」
「つまり、ここは逃げ出して、当分の間は遠くからこっそり我が君の花の顔を盗み見て、風早の機嫌が直るのを待て、と言うことですか?」
平たく言えば柊の言う通りなのだが、言い方次第で気分はかなり違ってくるのだ。
「うるさい。これ以上つべこべ抜かすと、風早に引き渡して今度こそ千里の彼方まで蹴り飛ばしてもらうぞ」
その脅しが効いたのか、柊は素直に逃げ出した。しかし、忍人がついて来ることに疑問を投げかける。
「どうして、あなたまで逃げるんですか?折角近くに居るんですから、我が君とお茶でも飲んで来ればいいのに…」
「冗談じゃない。そんな無謀な真似が出来るか!?」
今の忍人は、風早から柊を庇ったと見なされている恐れがある。迂闊に顔を出せば、その場に千尋が居たとしても身の安全は確保出来ないかも知れない。ここは一度引くのが身の為だと思えてならなかった。

それから数日後、事が私用だけに忍人は人目を避けて執務室の千尋を訪うと、風早に執り成してくれるよう頼み込んだ。
柊がどうなろうとも自業自得だと思うのが、なかなか風早の許しを得られない柊は、また往来で泣き崩れたり忍人に泣き縋って来た上に、とんでもないことを言い出したのだ。
「…という訳で、何とか君から風早に執り成してもらいたい」
「解りました。任せてください」
千尋はあっさりと請け負ってくれた。
「風早もそんなに怒ること無いのに……だって、あれって一輪挿しとは名ばかりで、自立出来ないわ水漏れするわで全く使い物にならなかったはずなんですよ」
「それでも俺にとっては、千尋が俺の為に一生懸命作ってくれた大切な思い出の品です。それでなくても柊は俺のことを土器製造機か贋作名人かなんかと勘違いしてるみたいですからね。ここらで一度、きっちりシメておく必要があると思います」
千尋の一輪挿しは、最後の一押しに過ぎないのだ。
その冷めた声にぎこちなくそちらを振り仰いだ忍人は、内心では大量の冷や汗をかきながら、それでも果敢に風早に陳情する。
「その必要は俺も感じているし、お前が怒るのも当然のことだと承知してはいるのだが……柊への罰は、何か別のものにしてもらえないだろうか?」
「ほぉ、忍人はこの期に及んでまだ柊の肩を持つつもりですか。しかも、俺の居ない隙を狙って千尋に告げ口するとはいい度胸ですね」
千尋の目の前だと言うのに、風早は笑顔だけは保ちながらも声の温度は下がる一方だ。
「肩を持つとか告げ口するとか、俺はそのようなつもりでは……ただ、迷惑なんだ!」
重圧を跳ね返すように、忍人は叫んだ。そして堰が切れたように捲し立てる。
「回廊のど真ん中で泣き崩れられたり、公衆の面前で泣き縋られたりして……俺だけじゃない、行き交う者達にとっても目障りで通行の邪魔になって困るんだ。あれ以来、奴がそうして通行妨害する度に、誰もが俺に何とかしてくれと言って来る。その上、真相を知った直後こそ反省の色を見せていたものの、今ではそれもすっかり色褪せて……柊の奴、このままいつまでも風早が許してくれないのなら、千尋の方から近寄って来るように俺に付き纏おうかなどと言い出す始末だ。いっそ風早に千里の彼方へ蹴り飛ばしてもらった方がどんなに楽かと何度思ったことか……それでも、それを許せば千尋が泣くだろうと思って我慢を重ねて来たが……もう沢山だ。頼むから…これ以上俺を煩わせないでくれ」
「正直ですね、忍人は…」
ヒステリックに捲し立てる忍人の心からの訴えに、風早は怒りの色を消して苦笑した。
「そんなことになっていたとは……忍人以外の人達には申し訳ないことをしました」
しみじみと言う風早を、忍人は睨めつける。
「…何故そこでわざわざ俺を省く?」
「だって、忍人が柊に迷惑かけられるのは今に始まったことじゃありませんから……でも、他の者達まで巻き込むのは良くありませんね。すみません、そこまでは気が回りませんでした」
しかし、どうしたものかと風早は考え込む。柊への罰は、千尋と引き離すことが一番だ。代わりと言っても、他に影響を出さずに効果的な方法が思いつかない。
「だったら、私に任せてよ」
「何をするつもりなんですか?」
訝しむ風早に、千尋はサクッと言い切った。
「お仕事」
「お仕事…?」
風早と忍人のオウム返しにあった千尋は、胸を張って解説する。
「前に岩長姫が言ってたんだよね。柊が1人居れば大臣が10人居るより幾分マシだって…。だから、私がこき使ってあげる。目撃者が卒倒しないようにちゃんと予め周知しておいて、期間は風早が決めて良いよ。お仕事嫌いな柊には勤労奉仕って充分罰になると思うし、執務も捗るしで一石二鳥でしょう?」
千尋の案に、風早と忍人は目で何事か話し合った。
「職場は別室で、仕事と言えど千尋と2人きりになることは禁止、と言う制限を付けてくれ」
「更に、仕事中は私語厳禁、という条件も追加してください。それなら俺も認めます」

-了-

《あとがき》

風早の逆鱗に触れるお話の柊編です。
柊は、千尋に冷たくされると風早に泣き付き、風早に冷たくされると忍人さんに泣き付くと思われます。
国宝すら割ってしまうくらいなので、柊は風早の土器コレクションを勝手に見たり粗雑に扱ってはうっかり手を滑らせて割ってしまっているという設定になっています。

そして、柊が何かすると、そのツケが忍人さんに回ると言うお話。
うちの忍人さんは貧乏くじ体質です。
忍人さんの尊い犠牲により、橿原宮で働く多くの人達が救われています(^_^;)

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