夢幻

ムドガラ相手に破魂刀を使って昏倒した忍人がやっと目を覚ますと、複雑な顔をした千尋と風早が居た。傍にはニヤニヤとした柊とアシュヴィンも居る。
「えぇっと、忍人……具合は如何ですか?」
「ああ、もう大丈夫……ん?」
答えながら、忍人は違和感を感じた。何かが違う。特に何がとすぐには解らないが、様々な感覚がおかしい。
ゆっくりと上体を起こした忍人は、胸元に妙な重みを感じ、視界に異物が入り込む。恐る恐る手を触れると、手に柔らかな感触があり同時に胸にも触れられている感覚がある。
「こ、これ……は?」
「ごめんなさい!」
突然、千尋が謝った。訳が解らない忍人が次の言葉を待ってジッと見ていると、風早が言い難そうに説明してくれる。
「遠夜曰く、玄武の力によるものらしいんですが……どうも、そうなった原因は千尋の願いらしいんですよ」
「確かに、私…先日の星祭で、忍人さんにこれ以上無理しないで欲しいとは願いましたけど……まさか、こんなことになるなんて…」
無理しないで欲しい。前線で身を削るような戦いをしないで欲しい。その願いが、こんな形で叶えられたらしい。あくまで、神の眷属の気まぐれで…。
「まぁ、なってしまったものは仕方がないでしょう」
「柊…?」
達観したように言う柊に忍人が訝しげな顔を向けると、柊は事もなげに続けた。
「ここは一つ、観念して私の嫁になりなさい」
「何故そうなる?」
何の脈絡も感じられない申し出に、忍人は怒るよりも呆れた。
「だって、そんな身体では将軍なんて務まりませんでしょう?」
「ならば、女王になった千尋に雇ってもらうまでだ。教育係とか目付役とか……この際、下働きでも何でも良い」
「それは無理ですね。例え下働きでも、採用までには厳しい身元調査が行われるのは、あなたもご存じのはずです。今のあなたの身元を誰が保証してくれるのですか?」
言われてみれば、その通りである。
「いいえ、むしろ身の証は立たぬ方が幸せかも知れませんね。葛城の者達があなたの正体に気付けば、間違いなく郷に連れ戻されることでしょう。何しろ、あなたが娘だったら良かった、とお母上は繰り返しておられたそうですし、あなたが軍に入ることを大反対しておいででしたから……そのうち婿でもとらされて、これでもうどこにも行かせずに済むと狂喜乱舞するお姿が目に見えるようです」
「な、ならば、国が復興するまでに鍛え直して志願兵に…」
それなら内勤に比べて身元調査は甘い。戦後の混乱に紛れて職にありつくことも不可能ではない。自分が目を光らせている限りはそういう輩はなるべく遠ざけておくが、それでも受け入れ自体はするだろう。他の者の管理下ならば、もっと簡単に事は済むはずだ。
しかし、柊はそんな忍人を見つめて深く溜息を付いた。
「忍人…あなた、男だった時でさえあんなに多くの男達に迫られていたのに、女になった今、身分も役職もなく筋力も劣るのに、無事で居られると思ってるんですか?」
「うっ、それは…」
確かに、これまで大事に至らなかったのは身分と役職と、そして実力行使を阻止し返り討ちに出来るだけの身体能力によるものだ。それらを全て失って、果たして身を守れるものかは自信がない。
「私の嫁になるなら、生活は保証してあげます。ありとあらゆる手を使って、記録を片っ端から改竄して、身元も確固たるものにして差し上げましょう」
「そこまで身元を誤魔化せるなら、別にお前の嫁にならずとも再就職の道は開けるだろう」
柊の工作で確固たる身元保証が得られるのならば、宮仕えだって夢ではない。
「何の見返りもなしに、どうして私がそんなことしなくてはならないんです?」
柊はそういう奴だった、と忍人は今更ながらに思う。すると、追い打ちをかけるようにアシュヴィンが言う。
「柊の嫁が嫌なら、俺の側女という道もあるぞ」
「側女…?」
「ああ、さすがに身元不明の女を正妃に迎える訳にはいかんが、側女ならばどこのどいつでも俺が気に入りさえすればなれるからな。勿論、生活も保証してやる。恵みが戻れば、それなりに贅沢な暮らしも出来るぞ」
忍人は、贅沢をしたいとまでは思わないが生活が保証されるのに加えて知り合いにとやかく言われない分アシュヴィンの世話になる方がマシか、と前向きに検討し始める。しかし、そこへアシュヴィンがとんでもないことを言った。
「但し、その対価は身体で支払ってもらうがな」
忍人は一気に血の気が引いた。すると、畳みかけるように柊も言う。
「私も同様ですが……側女はアシュヴィン皇子に飽きられたらあっさり捨てられますが、私の嫁なら死ぬまで安泰ですよ」
どっちも嫌だ~っ!!
そんな魂の叫びを上げた次の瞬間、忍人は本当に目を覚ました。

「夢……か?」
今度こそ現実世界で目を覚ました忍人は、ホッと一息ついて自分の胸元に手をやる。すると、胸には触られている感覚がなかったが、手には柔らかな感触がある。
ガバッと跳ね起きると、胸元に膨らみがあり、しかも女物の煌びやかな衣装を纏っている自分に気付かされる。
「~~~っ!!」
辺り一帯に響き渡る言葉にならない悲鳴を上げ、目を丸くして傍で見つめていた足往が耳を押さえながら倒れるのを後目に、忍人は駆け出した。
闇雲に駆け回った末に、水瓶を見つけて恐る恐る覗き込んだ忍人は、水面に自分でありながら女としか見えない顔が写っているのを目の当たりにする。
「ま、まさか……さっきのは夢ではなくて…?」
意を決した忍人は、再び確認するように胸に手をやり、更に思い切って着物の襟元に手を突っ込む。そして、丸まった布を引っ張り出して脱力した。少し冷静さを取り戻して下へと手をやると、有るべきものがちゃんとある。
「ならば、これは一体…?」
「おや、やっとお目覚めですか?何やら、物凄い声が聞こえましたけど…」
柊に声を掛けられて、水瓶の横に座り込んでいた忍人はその服の裾をガシッと掴んで睨み付けた。
「これは、お前の仕業か!?」
「これ…というのは、その衣装のことですか?でしたら、着付けをしたのは風早ですよ。私は化粧を施しただけです。どちらも用意したの道臣ですし……言い出したのは我が君です」
「二ノ姫が…?」
「ええ、全然起きてくれなくてつまらない、と仰って…」
忍人は千尋に文句を言うべく歩き出した。

千尋の部屋へ行くために自室の前を通りかかると、中に千尋と風早が居た。遠夜とアシュヴィンも居る。アシュヴィンの姿を見て、忍人は先程の夢を思い出して目を逸らす。
「二ノ姫、一体どういうつもりなんだ?ひとが寝てるのを良いことに、このような悪ふざけをして…」
「ごめんなさい、最初はほんの出来心だったんです。それでお化粧したらすごく似合ってたんで、どうせなら服もって……つい調子に乗ってしまいました」
素直に謝る千尋に、忍人は呆れながらも少しだけ安堵を漏らす。
「まぁ、今回は大目に見よう。だが、くれぐれも妙な言霊は紡がないでくれ」
「妙な言霊って…?」
「俺が女だったら良かった、などの類だ」
吐き捨てるように言う忍人に、千尋は目を泳がせた。
「まさか、言ったのか!?」
「えぇっと、お化粧した忍人さんを見て、男にしておくのは勿体無いとか言ったような……ああ、でも言霊なんて大層なものじゃありませんから大丈夫ですよ」
「神子の言葉には…力が宿る…。神子の願いは…天に届く…」
遠夜の呟きに千尋は慌てた。
「えぇ~っ、そんなの困るよ!もし忍人さんが女になっちゃったら…」
千尋の慌てように遠夜の言葉を推察しながら、一同は次の千尋の言葉を待った。
「もし、そんなことになっちゃったら、結婚式でどっちがウエディングドレス着ればいいの!?」
風早と柊はズッコケて、他の者は訳の分からない単語に首を捻る。
「千尋…問題はそこなんですか?」
「だって、ただでさえ忍人さんの方が似合いそうなのに…」
どうやら千尋は本気で言っているらしい。
「とりあえず、どちらもウエディングドレスは着られませんし、そもそも忍人が女になったら千尋と結婚は出来ません」
「えっ、でも戸籍上は男なんだから婚姻届は問題なく受理されるでしょう?それに、そのうち元に戻るかも知れないし…」
論点のずれている千尋に、風早は苦笑しながら軌道修正を試みる。
「向こうの世界とは違います。隠して結婚したとしても、女の身体だとバレた途端に一発退場です。下手をすれば、国中を謀った罪で死刑ですよ」
「えぇ~っ、ダメダメ、そんなの!神様、龍神様、四神様…男にしておくの勿体無いって言ったのは取り消しますから、絶対に叶えないでください。忍人さんは男の人じゃなきゃ嫌です~っ!!」
慌てふためいて天に祈る千尋を見ながら、忍人はその必死の様子に免じて怒鳴りつけるのは止そうと思ったのだった。

そんな騒動の傍らで、忍人は女装を解こうと帯と格闘していた。
「風早…これ、解けないぞ。一体どういう結び方をしたんだ?」
「ああっ、ダメじゃないですか!力任せに引っ張ったりするから、余計にきつく締まっちゃってます」
忍人の手を跳ね除けて、風早は複雑な結び目を解こうとするが、なかなか上手くいかない。
「私が代わりましょうか?風早よりも私の方が、そのような作業は得意ですよ」
「俺が解いてやってもいいぞ。女の服なら、どんな複雑なものでも簡単に脱がせる自信があるからな」
「自慢げに言わないでください」
呆れた風早に続いて、忍人は吐き捨てるように言う。
「ひとを嫁だの側女だのにしようと言うような奴らの手など借りん」
その言葉に、柊が目を丸くする。
「忍人…あなた、意識なかったはずですよね?何で、そのこと知ってるんですか?」
問われた忍人も驚いた。
「夢で……って、本当に言ってたのか!?」
「ええ、化粧を施したあなたを見て、これが本物の女性だったら私のお嫁さんにしたいとか……アシュヴィン皇子が、俺の側女にしてやろうとか…」
「あんな夢を見たのは、その所為か」
忍人は項垂れ、それからふと気付いたように言葉を漏らす。
「あくまでも、柊は嫁で……アシュヴィンは側女にする気なんだな」
「何だ、正妃になりたかったのか?生憎、正妃の座は神子殿の為に空けておくから、その要望には応しられないぞ」
「…なりたくないし、正妃の座も空けておかなくて良い」
千尋は自分と結婚するのだからアシュヴィンが正妃の座を空けておいても無駄だと、ここで宣言出来るようなら苦労はしない。
そこへ柊が何処か嬉し気に言ってくる。
「では、私のお嫁さんの方が良いってことですね?解りました。もしもの時は、私が幸せにして差し上げましょう。大丈夫、私は我が君の次にあなたのことが大好きですから…」
「誰がそんなことを言った!?冗談じゃない、どちらも御免蒙る!」
「やれやれ、嫌われたものですね…」
そこで、やっと帯が解けた。衣を後ろへ落とすのももどかしく、忍人は次々と紐を解いていく。そして肌襦袢が肌蹴た時、千尋が「あっ!」と声を上げた。
「す、すまない…」
女性の目の前でしどけない姿を晒したと、慌てて忍人は前を掻き合せて後ろを向いた。そして再び前をそっと開いて、下を履いていることを確認して安堵する。
そこで、目の端に何か引っ掛かるものを感じた。鎖骨のすぐ下辺りに何かあるようなのだが、はっきりとは見えない。
「忍人様、どうかしたんですか?」
何とかして見えないものか、風早にでも見てもらおうか、と思案していると、ちょうど目を覚ました足往が、制止しようとする千尋の様子に気づかず背伸びしてそれを読み上げた。
「えぇっと……私のもの?手出し厳禁…芦原千尋……そっか、忍人様は姫様のものなんだな」
辺りの空気が一気に冷えた。
「これは何のつもりか……説明してもらおうか」
地を這うように押し殺した冷たい声で忍人に問われ、千尋は小声で答えた。
「だって、柊達が嫁とか側女とか言うから……」
だからうっかり手出ししようとしたら見える位置に、風早が着付けをする時にちょっとその目を盗んで眉墨で文言を書いたと告白する千尋に、ついに忍人の特大の雷が落ちたのだった。

-了-

《あとがき》

夢オチ、と思わせておいて、あくまでそれはプロローグ(^_^;)
その夢の衝撃で、千尋に雷を落とすのをずっと我慢出来ていた忍人でしたが……最後に特大の落雷発生です。

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