不器用な二人

多くの仲間を失い、新たな仲間を得て、千尋達は出雲の地を後にした。
犠牲になった者達への鎮魂の祈りを込めて髪を切った千尋が堅庭を出ようと踵を返すと、こちらへ向かう人影が見える。
「千尋!?」
鋭く名を呼ばれて、千尋は反射的に身を縮めた。
「その髪は…。まさか、何者かが…?」
「ち、違います!これは自分で…」
理由を話すと忍人は複雑な顔をした。
「君がそこまで自分を責める必要はない。確かに多くの命が失われたが、それは君の判断が間違っていた所為ではない」
「でも……こうでもしないと私は前に進めそうになくて…」
忍人も、千尋がただ皆に担ぎ上げられているのではなく、皆を率いているのだという自覚を持ってくれているのは嬉しい。自分を助けに駆け付けた時の判断も言葉も、将として成長が見られて好もしく思った。
だが、その一方で、やはり千尋は凄惨な戦場を見ることなく過ごして来た心優しい少女なのだと、改めて認識させられる。
「だからといって、そのように自分で自分を傷つけるような真似はしないでくれ」
辛そうな顔でそう言われて、千尋はドキッとした。だが、千尋のそんな心情に気付かないのか、それから忍人はふと辺りを見回して言う。
「ところで……また一人なのか?」
しまった、と思った千尋はいつもの説教が始まる前に逃げ出した。

「ああ、ビックリした~。いつも仏頂面で説教しかしないくせに、いきなりあんな顔するなんて反則だよ」
最後はいつもの通り一人歩きを咎められるところだったようだが、その前の忍人は見ている方まで苦しくなるくらい痛々しい表情をしていた。髪を切った千尋を見て駆けて来た時から、ずっと辛そうな表情で…。
「あれ?さっき、もしかして…」
自分の聞き違いでなければ、忍人は千尋を名前で呼んだように思う。あの祭りの夜に、気が向いたら呼んでくれるとは言っていたが、それで律儀に呼んでくれたのだろうか。
思い返して、千尋は鼓動が高鳴るのを感じた。
「何で、私、こんなにドキドキしてるの?」
風早にも那岐にも岩長姫にもいつも名前で呼ばれている。向こうの世界で暮らしていた頃は、女友達は勿論のこと、男でも年上の人の中には”千尋ちゃん”と呼んで来る者が結構居た。
千尋にとって名前で呼ばれることは特別なことではないはずなのに、忍人が名前を呼んでくれたことに信じられないくらい動揺している自分がここに居る。
そして千尋は、それから忍人の前でどんな顔をしていいのか解らなくなり、避けるようになってしまったのだった。

忍人には勿論のこと、多くの兵達の目にも、千尋の態度の変化はすぐに知れた。身分の上下にも国の違いにも関係なく誰にでも気さくに話しかける千尋が、忍人の姿を見かけると急に表情を強張らせたり逃げ出したりするし、話しかけられるといつでも下を向くのだ。どう見てもおかしい。
しかし、誰もがその変化の理由を、千尋が忍人からあまりにも説教ばかり喰らった所為だと思っていた。
千尋の態度の変化を知った足往は、真剣な顔で千尋に言った。
「姫様…忍人様は凄く厳しいけど、とっても優しいんだぞ」
「うん、解ってるよ」
厳しいことを言うのは相手の為を思っているからなのだと、今更足往から念押しされなくても解っている。
いつも仏頂面で説教されるばかりだったが、これまでにも何度か笑顔を向けてくれたし、照れた顔や焦った顔も見たことはある。その時は、珍しいとしか思わなかった。それなのに、先日のあの表情は目に焼き付いて離れない。胸が痛くて、どうして良いのか解らなくなる。
一方で、忍人の方は以前と大して態度が変わらなかった。千尋を名前で呼ぶこともなかったし、表情も固い。
あの時のあれは夢だったのかと千尋が思うくらいに、これまでと変わらぬ声音で話しかけてくる。避けられようと嫌われようと、必要なことは言わなければならないということなのだろうか。
しかし、いつまでも妙な態度を取り続ければ、さすがに忍人も嫌気が差すのだろう。
「聞いているのか、君は…?何度言えば解るんだ?……もういい」
「あっ…」
とうとう呆れられてしまったのか、ある日ついに忍人は途中で話を切り上げて去って行ってしまった。
「どうしよう…やっぱり、嫌われちゃたんだよね」
あんな態度を取り続ければそれも無理はない、と思う千尋だった。

千尋の態度に業を煮やして立ち去った忍人は、自室に戻ると戸に凭れ、そのままズルズルと座り込んだ。
「参ったな…随分と嫌われたものだ」
それも無理ないかと、今更ながらに思う。
口を開けば説教ばかりで、傷付いた心を碌に慰めることも出来ない。叱る時ばかり饒舌で、優しい言葉となるとついぞ思い浮かばず、先日も結局型通りの気休めくらいしか言えなかった。彼女は自らの手で髪を断ち切るくらい、悔恨と重圧を感じていたのと言うのに…。
忍人は、深く溜息を付くと、抱えた膝に額を落とす。
しばらくそうして居ると、背後に誰かの気配を感じた。そして、戸が叩かれる振動が直接身体に伝わってくる。
「忍人…居るのでしょう?」
柊の声だった。続いて、更に声を掛けられる。
「開けますよ」
そう言うなり柊は戸を押したが、そこに忍人が座り込んでいる為、軽く押したくらいでは開かない。
急いで忍人が立ち上がると、直後に跳ね飛ばされた。柊が力一杯、勢いよく戸を開けたのだ。
恨みがましい目で睨み付ける忍人に、柊は事もなげに言う。
「私はちゃんと、開けますよ、って言いましたよね?」
だから当たったのは忍人が悪い、とでも言わんばかりの態度である。
だが、悔しいことに忍人はその主張を認めざるを得なかった。不用意な立ち上がり方をしたことも、開け放たれる戸を避けられなかったことも、結局は常の自分ならば考えられない迂闊さと鈍さに因るものだ。
「大丈夫ですか、忍人?」
「このくらい……羽張彦と手合せした時に比べれば…」
忍人はそう答えたが、柊はどこか心配そうな顔をする。
「今のことではありません。このところかなり沈んでいるみたいなので、気になっていたのです」
「別に、沈んでなど…」
「あからさまに我が君に避けられて、それでも懲りずにあれこれ説教して……挙句に自己嫌悪ですか?」
「やかましい!二ノ姫に避けられたからといって、それが何だと言うんだ?」
虚勢を張る忍人に、柊は憐れむような目を向ける。
「忍人…私にあなたの嘘は通用しませんよ。何年あなたの兄弟子やってると思ってるんですか。それに私は、嘘はつくだけでなく見抜くのも大の得意です」
一部問題発言が混ざっているものの、胸を張って柊はそう言い切る。
「無理しないで良いんですよ。今、自分がどんな顔してるか解ってますか?」
珍しく優しい声音でそう言われ、忍人は先程よりも不安げな顔になった。まるで今にも泣き出しそうなその様子に、柊も普段のからかうような口調を封印して、正面からまっすぐに目を見て柔らかい口調で話しかける。
「さぁ、今思っていること感じていることを、正直に話して御覧なさい」
すると常と違うその柊の雰囲気に飲まれたように、忍人は自分でもよく解らない気持ちをただ思うままに口にしたのだった。

「何とも不器用な人達ですね」
情報交換をした風早と柊は、揃って頭を抱えた。
千尋と忍人は、揃いも揃って相手に嫌われていると思い込んで、すっかり落ち込んでいた。そして、ますます接し方が解らなくなって、表情が強張り必要なことしか口にしなくなる。
「特に、忍人の落ち込み様は半端ではありませんね。我が君は勿論のこと、他の者達の前でも平静を装っている分、かなりの反動が来ているようです。何しろ、私の目の前で泣きそうになったくらいですから……そもそも、この私に素直に心情を吐露するなんて、通常の忍人なら絶対にありえないでしょう?」
「確かにそれは異常事態ですね」
それだけ、忍人が感情的に追い詰められていると言うことだ。
「このままならば、我が君と忍人が死に別れる運命は回避出来るでしょう。ですが、あんなに痛々しい忍人を、私はこれ以上見て居たくはありません」
「難しいところですね。俺も、千尋が泣くのは見たくありません。でも、誤解を解いて2人の気持ちが結び合わされれば、結局千尋は泣くことになる」
旅の中で恋仲になった先に続くのは忍人の死。その残酷な運命を覆す術を見つけない限り、千尋は幸せにはなれない。
賊と戦って散る運命は、予め兵を配置しておけば回避出来るかも知れない。しかし、破魂刀によって命を削られることまでは止められない。千尋と想いを交わせば、忍人は今まで以上に惜しげもなく命を削って破魂刀を振るうことだろう。やめてくれと言って聞くような子ではない。
千尋の今の幸せか、それとも未来の幸せの可能性か、どちらを優先すべきなのか風早には判断が付かなかった。
「このままで良いとは、俺も思いません。でも、もう少し時間を下さい」
「もう少しとは、いつまでですか?」
今すぐに誤解を解くのは待って欲しいと言う風早に、柊は中途半端な猶予など認めなかった。
「……玄武に会うまでには、俺も心を決めます」
不安定な精神状態で玄武解放に挑むのは無謀だ。それまでには何らかの形で決着をつけなくてはならない。
「解りました。道臣にも協力して貰って、忍人の方はそれまで何とか保たせましょう」
そう力強く請け負って立ち去る柊の背中を見ながら、風早は逃げを打とうとした自分の無力さに恥じ入ったのだった。

-了-

《あとがき》

シリアスに話を展開していったら、風早同様、決着をつけられずに終わってしまいました((+_+))
一言で言えば、忍人さんの落ち込む姿を描きたかったってことなのですが…。

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