焼き菓子攻防戦

橿原宮の中をぶらぶらしていた柊は、自分を呼ぶ声に気付いて振り返った。見ると、風早が駆けて来る。
「良いところで会いました。はい、これ…あなたにもお裾分けです」
差し出されたのは、見覚えのある巾着袋だった。
「千尋が作った”クッキー”です。ちょっと形が歪ですけど、そこはご愛嬌で…」
開けてみると、桜型の焼き菓子がお目見えする。それを見た途端に柊の口元に浮かんだ笑みを、風早は見逃さなかった。
「そんなに喜んでくれると、千尋も喜びます……と言いたいところですけど、何か別の理由がありそうですね」
さすがに、付き合いの長い大親友は鋭い。
「ええ、これのおかげで先程、忍人が面白い芸を見せてくれたんですよ」
柊は思い出し笑いをしながら、その時のことを風早に語ったのだった。

今と同じく、橿原宮の中をぶらぶらしていた柊は、中庭で可愛い巾着と一片の焼き菓子を手にしている忍人を見つけた。
こっそり様子を見ていると、忍人は焼き菓子を見つめて難しい顔をしている。
そのまま動かない忍人をしばらく観察した後、柊はササッと近付いて忍人の手から焼き菓子を取り上げた。
「あっ、返せ!」
柊が気配を潜めていたとは言え、菓子を取り上げられるまでその存在に気付かぬほど真剣にそれを見つめていた忍人は、奪い返そうと手を伸ばす。
「どうしたんですか、これ?」
「うるさい、お前には関係ない!」
まるで子供みたいに、菓子を取り戻そうと必死に手を伸ばす忍人を見て、柊はそれを持つ手を頭上に掲げた。身長も手の長さも違う忍人は、躍起になってピョコピョコ跳ねる。その様子が面白くて、柊は菓子を持った手を右へ左へ、届きそうなところへ下げたりまた上げたりを繰り返す。
「珍しいですね、たかが焼き菓子一つに忍人がそんなに必死になるなんて…」
一向に諦める気配のない忍人に、柊はますます面白くなってくる。甘いものは苦手なはずの忍人がこんなに必死になって取り戻そうとするとなれば、そこに千尋が絡んでいることは明白である。おそらくこれは、千尋お手製の焼き菓子なのだろう。
姫の手作りとなれば、柊にとっても有り難い代物だ。いっそのこと、このまま頂いてしまおうかとも思ったが、それは姫の気持ちに逆らう行為となってしまう。忍人は告げ口などしないだろうが、味などの感想を聞かれれば、正直に柊に食べられたと言ってしまうだろう。それでは姫の不興を買ってしまう。それは避けたい。
よって柊は、ピョコピョコ跳ねる忍人を、餌を貰おうとじゃれつく子犬のごとくあしらって楽しみ続けたのだった。

そうやってしばらく焼き菓子を巡る攻防が成された末、忍人の手に弾かれて柊の手からそれが零れ落ちた。
「あっ!」
異口同音に声が漏れた。
落ちて行く焼き菓子を目で追った忍人は、すかさずそれに喰らい付く。
「…器用ですね」
焼き菓子をパクッと銜えた忍人は、柊を睨み付けてモゴモゴ言う。多分「黙れ」とか「うるさい」とか「やかましい」とか言ってるのだろうと想像はつくが、柊は敢えて言う。
「何か言いたいことがあるなら、それを食べてしまってからお言いなさい」
しかし、忍人は焼き菓子を落とさないように手で支えると、そのまま何やら考え込んでいる。
「食べないんですか?」
咄嗟に銜えたもののやっぱり甘ったるくて食べられないとか、材料が間違っていて壊滅的な味だとか、喰い付いた時に舌噛んだとか、柊はいろいろ想像を巡らせたが、どれも違うように思えた。あれだけ必死になって取り戻したくらいだ。どんな味でも、忍人なら我慢して食べるだろう。どうしても食べるのに支障があるなら、吐き出せばいいのだ。しかし、忍人はそのどちらもしようとしない。
柊が不思議そうに見ていると、忍人は意を決したように焼き菓子を一口に頬張った。
「何なんですか!?」
飛び出さないように口を押えて、苦しそうに噛み砕いていた忍人は、やがてそれを飲み込むとやっと口を開いた。
「千尋が…殆どが欠けたり曲がったりしてしまいましたけどこれは綺麗な桜の形に出来たんですよ、と言ったから…」
「それで、その形を崩すのが申し訳なくて、食べられずにいたんですか?」
忍人はコクリと頷く。
「だから、食べるなら崩れた形を目にしないように一口で…?」
忍人はコクコクと頷く。
「……莫迦ですね」
「うるさい」

「そんなことがあったんですか。忍人は不器用ですね」
風早は、微笑ましいと言った感で話を聞いていた。
「でも、俺も千尋にそんなこと言われたら、やっぱり同じことするかな?」
「いえ、私が言いたかったのはそこではなくて……忍人の不器用さではなく器用さの方です」
「器用さ…?」
柊の言いたいことがすぐには解らず、風早は首を捻った。
「ええ。だって…普通は咄嗟に手を伸ばしませんか?」
言われてみれば、パン喰い競争ではないのだから喰い付く必要はない。
「忍人は手も伸ばしてましたけど、それはあくまで喰い付くためのバランス取りで、完全に口で捕りに行ってましたよ」
「う~ん、狗奴との生活が長かった所為でしょうかねぇ」
「あれを見たら、忍人相手に骨や鞠や円盤を投げたくなってしまいました」
うずうずしているらしい柊に、風早は苦笑しながら言った。
「骨や鞠や円盤では、忍人は何ら反応しないでしょう。かと言って、千尋の手作り菓子を放り投げるなんてことは、誰にも出来ないと思いますよ」
柊は手元の歪な桜型の焼き菓子を見つめ、そして風早の言葉に大いに納得したのだった。

-了-

indexへ戻る