美の功罪

「忍人さんって、本当に美人ですよね」
「なっ…!?」
何て事を言うんだ、ふざけるな、と怒鳴りかけて、忍人はそこで一度口を噤んだ。他の者ならいざ知らず、千尋にはきっと悪気はない。そう、多分ない…はずだ。
「一応確認したいのだが…君は俺を褒めるつもりで言ったのか?」
「勿論そうですよ。当たり前じゃないですか」
そう言って、千尋はにっこりと笑っている。
「ならば、覚えておいて欲しい。男に対して"美人"と言うのは、褒め言葉にはならない」
忍人の言葉に、千尋は複雑な顔をする。
「でも忍人さんの場合、単に"綺麗"って言うよりも、"美人"って表現の方が合ってる気がするんですよね」
「…"綺麗"も褒め言葉に聞こえない」
忍人は苦虫をつぶしたような顔になる。
「え~っ、男の人って難しいですね」
「難しいのは忍人だけでしょう。一般的には、男性に対しても、綺麗な顔立ちと言う表現を用いることがございます」
「お前は黙っていろ」
忍人はすかさず横から口を挟む柊を睨みつけたが、柊は全く動じない。
「ですが、確かに忍人は美人と言えますね。男にしておくのは勿体無い、と言われたことは数え切れません」
「…うるさい」
「いいなぁ。羨ましい」
千尋は心からの羨望の眼差しを忍人に向ける。すると風早が満面の笑顔で言った。
「千尋はとっても可愛いですよ」
「風早…それって、私は美人じゃないってことだよね」
「そんなことは言ってません。俺のお育てした姫は大変お可愛らしく、長じては大変お綺麗になられると確信しています」
「やっぱり、今は美人じゃないんだぁ」
千尋はガックリと肩を落とした。
「いいえ、私にとって我が君は大変お美しくていらっしゃいますよ。"可愛い"と言う表現は、むしろ忍人に当て嵌まります」
「"可愛い"も褒め言葉ではない!」
成人男子に向って"可愛い"はないだろう、と忍人は思うのだが、柊からするとそういう反応こそが可愛いくて仕方がないのだ。
「とにかく、君が羨む必要などない。俺はこの容姿で得をした覚えなどないからな」
そう言い捨ててこの話題を終わらせようとした忍人だったが、そうは問屋が卸さない。いや、問屋は卸しても柊が逃さない。
「確かに……郷里に於いてはお母上から着せ替え人形にされ、師君の元に弟子入りすれば一ノ姫の替え玉にされ、軍に入れば数多の男に言い寄られるなど、損する一方だったことでしょう。言い寄られる度に上官すら反射的に殴り飛ばしていた所為で、何度も配置換えになって、各地を転々としましたよね。挨拶に寄る度にそのことで師君からこっぴどく叱られて……それでも、行く先々で同じこと繰り返して…。高名氏族の出身でなければ、殴った相手から訴えられて何度処罰されていたか知れません。例え訴えられなくても、地位を嵩に着た上官の理不尽な命令によって手籠めにされていたこと間違いなしですね」
「余計なお世話だ!何もかもを他人事のように言うな。一ノ姫の替え玉はお前の発案だろうがっ!!」
そう怒鳴って忍人がハッとした時は手遅れだった。
「えっ、姉様の替え玉って、何それ?その話、聞きたいな」
案の定、千尋はその話に喰いついてしまったのだった。

一ノ姫を連れて少しばかり遠出したかった羽張彦は、柊に相談を持ちかけた。内容は、姫の不在の誤魔化し方と外出先での姫の正体の隠し方である。
すると柊は事もなげにこう答えたのだ。
「忍人と服を交換すればいいのですよ。姫は頭巾を被り、忍人は髢を付ける。後は顔が見えないように忍人を座らせて、道臣から学問でも説いて貰っていれば、誰も不審には思わないでしょう」
この案に羽張彦は飛びついた。すぐさま、道臣と風早の協力を取り付ける。だが、肝心の忍人の協力をどう取り付けるか難問だった。
そこで羽張彦は忍人を拝み倒しにかかったのだが、当然そんなことを忍人が承諾する訳がなかった。
「女装など御免蒙る。第一、それでは俺も逢引に手を貸した共犯になってしまうではないか」
「いや、それを言うなら柊も道臣も風早も全員が共犯だから、心配するな」
「そういう問題ではない!」
「だったら、お前は何も知らなかったってことで……あっ、そうだ、柊にチャトランガで負けて女装させられたってことにしてやるよ。それなら発覚しても、何のお咎めもないだろう」
羽張彦にしてはなかなか知恵を巡らせたと言えるのだが、問題の根本の部分で難があった。そもそも、忍人は女装したくないのである。それに、入門したての頃ならいざ知らず、柊相手に賭チャトランガなどと言う無謀な真似は、もう忍人は絶対にしない。それを何故に、柊に無謀な勝負を挑んだことにされなくてはならないのか。
椅子に腰かけた忍人の足元に跪いて両手を顔の前で合わせて必死の羽張彦だったが、忍人は終いには無視して卓子の上の竹簡に目を向けてしまう。
すると、そこへ一ノ姫が現れた。
慌てて立ち上がって礼を取った忍人に、一ノ姫は憂いを帯びた表情で尋ねる。
「私も羽張彦と出かけたいのです。協力しては貰えないかしら?」
「…姫の仰せと言えど、そのような恐れ多い真似は致しかねます」
「事が発覚しても、あなたは何も知らなかったことにします。決して迷惑はかけないわ」
一ノ姫の言葉に、忍人は心の中で反論した。
女装させられるだけで充分過ぎる程迷惑です。それに、もう既に羽張彦から多大な迷惑をかけられています。
だが、面と向かって一ノ姫にそれを言う訳にはいかないので、固辞することに専念する。
「申し訳ありませんが…」
すると、一ノ姫は忍人の前で少しではあるが頭を下げた。
「なっ…一ノ姫、何をなさいます!?」
「忍人、どうか協力してください」
「そのような真似はお止めください!」
「いいえ、お願いをしているのですもの。きちんと態度で示さなくてはなりません」
驚愕する忍人の前で、一ノ姫は頑として顔を上げようとはしない。
その為、忍人はこう言うしかなくなったのである。
「解りました、協力させていただきます。女装でも替え玉でも何でも仰せの通りに致しますから……どうかお顔を上げてください」

「思えば、ああいう時の一ノ姫は少し千尋に似ていたな」
「えっ?」
姉姫と似ているなどと言われたことのない千尋は、忍人の言葉に驚いた。
「命令ではなくお願いをするというのは、君がいつもやっていることだろう」
「ええ、まぁ、命令とかはあんまりしたくありませんし…」
特に、私的なことなら命令ではなくお願いするべきだと思っている千尋だった。そんな千尋に、忍人は苦笑しながらこう続ける。
「ただ、大きな違いは…君は計算など一切なく自然にそういう態度を取るが、一ノ姫は意図的にやっていたという点だな」
「意図的…?」
千尋は首を傾げた。
「着替え終わった後で一ノ姫が仰ったんだ。ああすれば絶対あなたは断れないと思った、と…」
どういう意味だろうと千尋は更に首を捻る。すると、忍人は溜息まじりに零す。
「あれは”お願い”ではなく”脅迫”もしくは精神的な”拷問”と言った方が正しいだろうな」
その結果、忍人は承諾するなり柊と羽張彦に身ぐるみ剥がされて、風早に一ノ姫の服を着つけてもらうと柊に化粧まで施された。顔は誰にも見えないはずなのに、やるなら徹底しておいた方が身の為だと、兄弟子達は寄って集って忍人を押さえつけたのだ。そして一度引き受けると次からはもう断れるはずもなく、それから何度替え玉をさせられたことか…。
「とにかく、俺はこの顔立ちを褒められても……何だ、その目は?」
忍人は、千尋の目が怪しげな期待に満ちているのを感じた。
「忍人さんの女装姿、私も見たかったです。今でも出来そうですよね。ちょっとやってみませんか?」
「君は、何を言って…?」
事態に付いていけない忍人の前で、次々と打ち合わせが成されていく。
「ねぇ、風早。私の服でも、忍人さん着られるかなぁ?」
「普段着は無理でしょうけど、姫装束なら着られると思いますよ」
「じゃあ、着付けお願い。それと、お化粧は柊が出来るんだよね?」
「ええ、お任せください。我が君の仰せとあらば、薄化粧からフルメイクまでお望みのままに仕上げてご覧に入れましょう」
そして、打ち合わせを終えた一同は、奇妙な笑みを浮かべて忍人の方を向く。そこでやっと事態が呑み込めた忍人は慌てふためいた。
「ふざけるな!千尋、君も二人を唆すんじゃない!大体、どこの世界に自分の夫に女装させて楽しむ女性が居ると言うんだ!?」
しかし忍人のその叫びも空しく、真顔で「ここ」という言葉と共に一斉に千尋に三本の指が向けられたことによって、希望はあっけなく打ち砕かれたのだった。

-了-

《あとがき》

忍人さんの容姿絡みの受難のお話です。
忍人さんが弟子入りする際に既に黒尽くめの服装だったのは、実家で着せ替え人形にされていたから、なんて妄想してしまいました。
そして、あの悪戯好きの柊が放っては置かないだろうと思って、羽一絡みで女装させてみました。
更に、男だらけの軍に居て、しかも前線に行ったりしてて、周りに血迷う輩が居ないとは思えないので、ああいうことに…。忍人さんがいつも狗奴と一緒に居るのは、彼等ならそういう心配しなくて良いからなんじゃないかと思えてなりません(^_^;)

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