無邪気な君

「忍人さん…抱っこ」
「千尋……何故、君はいつもそうやって唐突にとんでもないことを口走るんだ?」
忍人は呆れた顔で千尋を見る。
そう、いつだってこんな風に、千尋は爆弾発言をして来たのだった。

「あっ、忍人さん!」
足往達を助け出して間もない頃、忍人の姿を見掛けて駆け寄って来た二ノ姫は、少し手前で躓いて転んだ。
「何をやっているんだ、君は…。それに、風早はどうした?軽率だな、一人で出歩くなど…」
すると二ノ姫は、歩み寄った忍人の顔をジッと見つめた後、突然こう言ったのだ。
「……抱っこ」
忍人は絶句した。それから我に返って、こう応える。
「ふざけていないで、早く立て」
「あっ、はい…すみません」
慌てて立ち上がった二ノ姫を、この悪ふざけに対しても叱りつけていると、程なく風早が飛んで来た。そして、二ノ姫の衣に血がにじんでいるのを見つけると、幼子を抱えるようにして連れて行く。
「風早がああやって甘やかすから、あんなことを言い出すのか?」

次は、夏祭りの夜だった。
二人で流星を眺めたりして、他愛のない話をしながら祭りの賑わいから離れたところで、千尋はまた言ったのだ。
「忍人さん、抱っこしてくれませんか?」
「なっ、いきなり何を言い出すんだ、君は!?」
真っ赤になった忍人を見て、千尋は慌てて前言を撤回した。
「すみません、今の発言は忘れてください」
忍人は訳が解らなかったが、とりあえず千尋が本当に申し訳なさそうにしていたので、その後は忘れた振りをした。
「祭りの熱にでも浮かされたのだろうか?」

そして今である。
その時々で二人の関係は変化していた。
最初は互いのことをよく知らない時だった。次は、仲間としてかなり親密になっていた。そして今は、将来を誓い合っている。
しかし、いつも何の脈絡もなく唐突に言い出したように見える。

忍人にそう指摘された千尋は、跋が悪そうな顔で理由を語った。
「最初の時は、自分でもよく解らなかったんですけど…何かを思い出しかけてあんなこと言っちゃったんです」
千尋曰く、あの頃は豊葦原の記憶が殆どなかったらしい。唯一の記憶が、姉である一ノ姫から天鹿児弓を受け取った時の光景だったが、忍人が声を掛けながら駆け寄った時に何かを思い出して頭を過った言葉が口を付いて出たとのことだった。

「次は、半分は記憶を探るためで、もう半分は好奇心です」
忘れてくださいって言ったのに、やっぱり忘れてなかったんですね。そう言いながら千尋が語ったのは、忍人にとっては衝撃的な話だった。
思い出しかけた記憶についてあれこれ考えている内に、どうやら昔あれと似たようなことがあった気がしてきた千尋は、それで何かが思い出せるのではないかと思って、隙を見て以前身近に居たのではないかと思われる者に次から次へと試しに言ってみたというのだ。
「…抱っこ」
言われた相手の反応は様々だった。
風早は例のごとく幼子を抱き上げるように、柊は恭しく姫君をかき抱くようにその身体を持ち上げる。
道臣は真っ青になって「そ、それは一体どのような趣向なのでしょうか?」と震え上がり、岩長姫は「何だい、そりゃ」と言いながら肩に担ぎ上げたとか…。
恐らく記憶とは関係ないだろうと思いながらも念の為にと那岐と布都彦にも試してみたら、那岐には「僕より重いくせに、何を莫迦なこと言ってんの?」と鼻で笑われ、布都彦には「な、なりません、そのようにねんごろな!」という叫び声と共に脱兎のごとく逃げられた挙句しばらく目を合わせてもらえなかったそうだ。
「本当に…君は一体、何をやっているんだ?」
聞いていて忍人は怒るよりも呆れ返ったが、千尋の怪し気な行動は更に続いていた。
そこまで行くと、他の人はどんな反応を示すのだろうかと気になって、サザキやカリガネにも試してみると
「おう、いいぜ、姫さん。しっかり掴まってろよ」
「…解った」
そう応えて空の散歩をさせてくれたし、遠夜はギュッと抱き締めてくれた。
「でも、どれも全く記憶を刺激されなくて、やっぱり忍人さんじゃないと駄目なのかと思って、もう一度…」
記憶と関係なさそうな相手にまで試したと話す千尋に、忍人は自分が試されたことよりも別のことが気になった。
「まさか、アシュヴィンにも試したんじゃないだろうな!?」
「試してません!絶対関係ないと思いますし、試さなくても…アシュヴィンにそんなこと言ったら、その場で押し倒されるに決まってるじゃないですか」
その点では、千尋と忍人の見解は一致していたようだ。

「それで、試した結果、何か解ったのか?」
「いいえ…でも、さっき、勘違いも含めて思い出せた気がします」
「何のことだ?」
千尋がポツポツ語ったのは、幼い頃の話だった。
なかなか戻って来ない風早を探しに隠れ宮を抜け出して迷子になった小さな姫が泣いていると、声を掛けた人が居た。
「何者だ!こんなところで何をしている!?」
鋭い声音にビクッとした小さな姫を見て、その人は訝しげに呟いた。
「もろこし頭?」
その言葉にますます小さな姫は委縮する。
「二ノ姫でおいでか。供の者は如何された?軽率ですね、御一人で出歩かれるなど…」
たどたどしく訳を話した二ノ姫に、その人は隠れ宮まで送り届けることを申し出た。その時、二ノ姫は言ったのだ。
「…抱っこ」
しかし、その人は風早のように抱き上げてはくれなかった。それどころか引き起こしてもくれず、二ノ姫は一人で立ち上がり、涙を堪えて隠れ宮まで自分で歩いて帰ったのだった。

「転んで忍人さんから声を掛けられた時、ふとその時のことが頭を過ったみたいで……あれって、忍人さんですよね?」
そう語った千尋に、忍人は首を傾げた。
「言われてみれば、そんなこともあったな。だが、それの何処に勘違いがあるんだ?」
忍人には、自分の記憶と相違点は無いように思われた。
「…ずっと、女の人だと思ってたんです。だから、なかなか思い出せなかったんですね」
千尋のこの発言に、忍人は眉根を寄せる。
「ちょっと待て。それは、つまり、君はあの時の俺を女性だと思っていたという意味か?」
「はい」
あっさり肯定されてしまった。
「確かにあの時はまだ声変わりもしてなかったし、よくからかわれもしたが……遠方から見かけたくらいならまだしも、さすがに相対してまで間違えた者は居なかったぞ。それなのに君は、俺のことを完全に女だと思い込んでいたのか?」
「はい、冴え冴えとした美少女だって思い込んでたんです。でも、さっき、忍人さんがそこの畑を見ながらボソッと呟いたの聞いて、やっと繋がりました」
「俺は、何か言ったか?」
どうやら無意識に言葉が零れていたらしい。すると、千尋はちょっとふくれっ面で答えた。
「…もろこし頭か」
途端に忍人は慌てて口を押える。
「あの時といい、さっきといい、私の前でそれ言いますか?」
千尋はおかんむりである。
"もろこし頭"とは千尋の髪を揶揄して采女達が陰口をたたく時の常套句の一つであった。今ならともかく、あの頃はその言葉を聞くと泣きそうになった。それを面と向かって、美しい黒髪の超絶美少女に言われた時は本当にショックだったのだ。
千尋からそう言われて、忍人は狼狽えた。
「すまない、あの時は…」
「解ってます。ああ、これが噂に聞く"もろこし頭"か。では、この人物は二ノ姫だな、ってところでしょう?」
「…その通りだ」
しかし本人の目の前で口に出したのはとんでもない不敬だった。もし他の者に聞かれでもしたら、ただでは済まなかったところだ。不敬罪で処罰されても文句が言えないし、風早の耳に入りでもしたら恐ろしいことになる。
「さっきは懐かしむように言ってましたよね」
「ああ、そんな頃もあったな、と思い出して…」

「ところで、あの時のことを思い出したからって…君は、何故また"抱っこ"と言うんだ?」
「"もろこし頭"の仕返しです。もっと動揺するかと思ったんですけど…」
ちょっと呆れ顔になっただけで大して動揺してはもらえなかった、と千尋は残念そうだった。
「君が突拍子もないことを言いだすのには、かなり慣れて来たからな」
それが良いのか悪いのか判断が難しいところだが、少なくとも冷静さを装う修業にはなっていた。
「それで、君は俺にどうして欲しいんだ?」
「えっ?」
「風早のように抱き上げればいいのか?それとも、柊か遠夜のような…?まさか、師君のように担げという訳ではあるまい」
思わぬ反応に、千尋はしばし考えてから答えた。
「それじゃあ、アシュヴィンでお願いします」
「却下だ。君は俺を公開処刑したいのか?」
結婚前に女王にそんな真似をしたら、例え婚約者であろうとも、如何に申し開きをしようとも、間違いなく死罪だ。千尋もそんなことは解っているので、本気で言った訳ではない。
「う~、これでも動揺してくれないとは…」
「考えが甘いな、そのくらいは予測済みだ。だが、俺の命が惜しかったら、そういう軽率な発言は慎んでくれ」
「は~い」
そうして忍人は千尋の改めての要望に応えて、風早のように抱き上げて部屋へと運んだのだった。

千尋の部屋を出た忍人は、深く溜息をつくと誰にともなく零した。
「本当に…軽率な発言は慎んでもらいたいものだ。無邪気さは時として罪だな」

-了-

《あとがき》

過去捏造創作です。
短い段落が多く、話の流れの切り所が難しいので、ページ分けはしていません。
迷子になった千尋は、送ってくれた人の名前を聞いていません。そんな心の余裕はなかったので…。

元はと言えば、「抱っこ」って言われたらそれぞれどんな反応を示すか、ふと考えたことから書き始めたお話です。
おかげで、千尋が無邪気すぎて……忍人さんは苦労しますね(^_^;)

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