初恋談義

「…で、その子とは結局ただのお友達のままだった訳だ」
久しぶりに訪ねて来たサザキ達と、楽しいお喋りは続いていた。
酒は無くても、わいわいと楽しく過ごしていれば雰囲気だけで酔えてしまう。最初は近況報告などが中心だった話題も、次第に思い出話へと移行し、気が付けばサザキの初恋の話になっていた。

サザキとカリガネが訪ねて来たのは、まだ日も高い頃だった。
サザキは大陸で手に入れたという珍しいお茶を、カリガネは前回別れてからこれまでに開発したお菓子の新作の数々を持っての来訪だった。
ただでさえ懐かしい友人の訪問にあっては仕事が手に付かなくなると言うのに、お茶とお菓子が付いていてはもう千尋は我慢出来ない。ちょうど柊も戻って来ていたことだし、謁見の予定も至急決裁しなくてはならない案件もなかったのをこれ幸いと、あっさり仕事を放り出し、部屋に皆を呼び集めてのお茶会と相成った。
「君がそうしたいのなら、仕方がない。好きにすればいい。だが、俺は仕事を投げ出すつもりはない」
忍人に声を掛けたら、予想はしていたものの即座に断られ、千尋は少しだけ残念に思ったのが、柊によると気を落とす必要はないとのことだった。
「あの仕事バカがそれを放り出すのは、御身を心配している時くらいのものでしょう。サザキ達と単身で会われると聞いたなら、連れ去りを警戒して即座に駆け付けて参るでしょうが、此度はその心配はございません。ですが、姫が他の者達と楽しんでいる状況をいつまでも放っておくことなど出来るようはずがありません。今頃、内心では大変焦りながら、必死に仕事を片付けていると思いますよ」
実際、その頃忍人の部屋を訪れた官人達には、いつも以上に眉間に皺を寄せて仕事に励んでいる葛城将軍の姿に恐れをなして回れ右して去って行く者が続出していたのだが、それは千尋も忍人も与り知らぬことだった。

「なぁ、姫さんの初恋は、やっぱり風早か?」
「う~ん、どうだったんだろう。よく解らないんだ」
良い思い出が少ないからなのか、時空を超えた衝撃によるものなのか、幼い頃の記憶と言えば姉姫から天鹿児弓を受け取ったことなどの断片的なものしかない。
「私の記憶によると、確かに我が君は、大きくなったら風早のお嫁さんになるの、と仰っていましたが…」
「ええ、約束の印だと言って、頬にキスしてくれたこともありましたね」
柊と風早に次々と幼い頃のことを暴露されて、千尋は焦った。
「えぇ~っ、全然覚えてない!どうしよう、約束破っちゃったよ。ごめんね、風早」
そんな事など微塵も覚えていなかった千尋は、大きくなったら風早ではなく忍人のお嫁さんになってしまった。
「いいんですよ、千尋。元々、俺は本気で千尋と結婚出来るとは思ってませんでしたから…」
「それって、子供の戯言と思ってたってこと?」
そりゃ、本気にされていたらそれはそれで気が引けるのだが、だからと言って当時の自分の言葉を軽んじられていたというのも癪に障る千尋だった。
「違いますよ。もしも千尋が将来本気で俺と結婚したいと思ってくれても、無理だと思ってたってことです。俺の身分では、一国の姫を娶ることなんて許されませんからね」
「もしも、あのまま中つ国が存続していたら、そう遠くない内に我が君は何処かへ嫁がされていたことでしょう」
女王からも周りからも疎まれていた二ノ姫だ。年頃になれば、彼女達は政略と厄介払いの一石二鳥を狙って利用したに決まっている。
そうなる前に一ノ姫が即位しない限り、千尋に恋愛結婚は望めない。
「嫁ぎ先は常世か、国内のそこそこ有力な族……そう、吉備辺りが有力でしょうか」
「吉備ってことは……あのままだと私は布都彦のお嫁さんになってたってこと?」
柊の言葉に対する千尋の応えに、布都彦が真っ赤になった。もしも兄があのような軽挙をせずに居たら、中つ国が存続していたら、姫が自分の元へ嫁いで来ただろうなどと聞いては心穏やかではいられない。
しかし、柊はそれをあっさり否定した。
「いいえ。その場合、相手は羽張彦ですよ」
「えっ、そうなの?」
「兄上ですか…」
布都彦の熱は一気に引いた。そして千尋共々、目を丸くする。
「ええ、あの頃の羽張彦は次期女王である一ノ姫の婿には不足でも、二ノ姫を娶るには充分な身分だと見なされていたはずです。二ノ姫を羽張彦に嫁がせれば一ノ姫との仲を引き裂くことが出来ますし、拒めばそれを理由に吉備を処分するだけです。どちらに転んでも、女王の損にはなりません」
有り難くも姫を降下させようと言ってやったのに不敬にも断った。女王に対して二心がある証だ。そう言いがかりをつけて吉備の力を削ぐのだ。
葛城や大伴のように国内屈指の大豪族が相手ではさすがにそう簡単にはいかない。そんな理由で何らかの処分を行えば、反発は必至だ。しかし、競合する族が多く、一族だけでは至極大きな力を有してはいない吉備の場合は、その程度のことでも処断出来る。羽張彦が一ノ姫と恋仲ではあっても手までは出していない為に表立って何も出来なかった女王や狭井君からすれば、それは格好の口実になる。
それを聞いて、皆、暗い気持ちになった。
「何つーか、姫さんにとっては、お袋さんが死んだり国が滅んだりしてくれてちょっとだけ良かったって感じ?」
「…言い過ぎだ」
重くなってしまった空気に堪りかねてサザキが漏らした一言を、すかさずカリガネが咎めたが、実のところその場に居た者は程度の差こそあれ同様のことを思っていた。
「サザキの言い方は問題ありますし、多大な犠牲が払われたことは確かですけど……千尋が相思相愛の相手と結婚出来たことは、俺も心の底から良かったと思ってますよ」
「ええ、肝心のお相手があの鈍感で朴念仁のツンデレ将軍なのが少々不安ではありますが、どうかお幸せにおなり下さい」
「…ありがとう、風早、柊」

「で、そんな風早達の初恋はいつ、どんな相手になんだ?」
しんみりしてしまった場を何とか盛り返そうと、サザキは風早と柊を相手に話を蒸し返した。
「俺は、勿論、遥か昔から千尋一筋ですよ」
「私もです。我が心は遥か昔より我が君に捧げて参りました」
風早に続いて柊まであっさりと答えた。その言葉に嘘偽りなどなく、それが本当に遥か昔からだと知っているのは当の二人だけである。
「いい加減、子離れしなよ、風早。柊、あんたもさぁ、いっつもそんなことばっか言ってるから、冗談にしか聞こえないんだよ」
那岐を始め、皆呆れたが、おかげで場の空気は和んだ。
するとそこへ、やっと仕事を終えた忍人が戻って来た。そしてサザキ達を見て溜息を付く。
「まだ居たのか」
思ったよりも時間が掛かったので帰ったかと思っていたのに、と嘆いているようでもあり、まだ居てくれたことにホッとしたようでもある。
「あっ、おかえりなさい、忍人さん」
嬉しそうに飛びつく千尋に忍人がいつものように「ただいま」と返すと、千尋は突然忍人に問いかけた。
「ねぇ、忍人さんの初恋って、いくつの時で、相手はどんな人だったんですか?」
途端に、サザキと那岐が止めに入る。
「おい、姫さん…」
「千尋、それは…」
  こいつにそんな話題を振るなんて無謀だろう
  こいつにそんなこと聞いたって答える訳ないじゃん
それぞれ、そんな気持ちから止めに入ったのだが、共通して心配していたのは、そんなことを聞かれた忍人が怒り出すことだった。
しかし、それは杞憂に終わる。
「ああ、それなら…」
  あっさり答えるのかよっ!?
怒るどころか即答することに、二人が心の中で同時にそうツッコミを入れているとも知らず、忍人は千尋に面と向かって正直に答えた。
「21の時で、相手は君だ」
忍人が真顔で放った一言は、破魂刀よりも強烈に千尋の心を強襲した。そんな一撃を無防備に受けてしまった千尋は、途端に真っ赤に茹で上がる。
すると、忍人が心配そうに千尋に額をくっつけた。
「どうした、千尋。熱でもあるのか?」
そんな二人の様子を見ながら、千尋と同時に茹で上がっていた布都彦を除いて、ギャラリー一同は思ったのだった。
  忍人は、鈍感で朴念仁のくせに、時折とんでもないことを真顔で言い切るから始末に困る

-了-

《あとがき》

珍しく、千尋サイドで話を展開させてみました。
でも、出番が少なくても忍人さんの存在はポツポツと盛り込んで、最後は破魂刀よりも強烈な一撃を…。
忍人さんは無自覚です(^_^;)

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