再燃現象

禍日神を倒して凱旋する天鳥船の中で、戦いの直後に倒れた忍人は高熱を発していた。
遠夜と共に付きっきりで看病にあたっていた千尋は、うなされる忍人が何かに怯えるように自身を強く抱き締めている姿を目の当たりにして驚いた。
「…寄るな」
小さな声を漏らして、忍人が更に手に力を込めるのを見て、慌てて遠夜がその腕を解いた。そして再びそうはならぬようにと、忍人の身体を押さえ込む。
すると、忍人は必死に逃れようとしながら、泣きそうな声を漏らす。
「…離せ…嫌だ…やめろ…触るな」
それでも遠夜が懸命に押さえ付けていると、忍人は叫んだ。
「やめろ、柊!」
その叫びを聞いて、千尋は愕然としたのだった。

「…という訳なんだけど、柊、何か思い当たることはない?」
「そう仰られましても……どの言葉も忍人の口から発せられるのは日常茶飯事ですし、これと言って特別に覚えはございません」
物凄い形相で駆けこんで来て問い詰める千尋に、柊はそう答えた。
「ですが、泣きそうな声で言われたことは一度もありませんでしたね。聞いてみたかったものです」
「冗談言ってる場合じゃないよ。悪ふざけで唇奪ったとか寝込みを襲ったとか、本当にそういうこと何もしてないの?」
「賭けの代償やゲームで唇を奪ったことなら何度もございますが…」
「はは…、王様ゲームで羽張彦が面白がってよくそんな指示出してましたね」
「とぼけないで!風早も笑い事じゃないよ!」
風早は千尋の剣幕に恐る恐るお伺いを立てる。
「もしかして千尋は、柊が忍人を凌辱したことがあるんじゃないかと疑ってます?」
そういうのは肯定された場合の忍人の名誉の為にも他の人が居ない所でこっそり訊くべきですよ、と声を潜めた風早に、千尋も声を潜めて言い返す。
「うん。だって、あの様子は普通じゃないもん。それに、無理やりキスするのは間違いなく犯罪行為だよ。それを笑いながら平然と話してるってことは、もっと酷いこと沢山してたんでしょう」
言い切った千尋の声を拾って、柊は大げさに嘆いて見せる。
「あんまりです、我が君。いくら私が忍人で遊ぶのが大好きとは言え、いくら何でもそこまでは致しません。やって良いことと悪いことの区別くらいはつくつもりです」
つまり、いつものアレはやって良いと思ってやってるんだな、というツッコミの視線が柊に集中した。
そんな中、遠慮がちな声が千尋に掛けられる。
「あの…」
千尋が声のした方を見ると、道臣が物言いたげな顔でこちらを見ていた。
「道臣さん、もしかして何か心当たりがあるんですか?」
「ええ、実は昔、柊に襲われた、と忍人が泣きながら私に訴えたことがあるのです」
「そんな莫迦な!?私は何もしてませんよ!」
非難の視線を向けられて、柊は胸の前でバイバイするように両手を振って否定したが、道臣はポツポツと事情を語ったのだった。

それは修業時代、忍人が今のように高熱を出して倒れた時のことだ。
兄弟子達は交代で看病にあたった。
その時、忍人は道臣に泣き付いたのだ。柊に襲われた、と…。

「あの時は驚きました。何しろ私の顔を見た途端、あの忍人が泣き出して……話し終えた後もしばらくの間子供らしく泣きじゃくっていたのですから…」
道臣は遠い目をして言う。
「詳しく話を聞いて、一つ一つ誤解を解いたのですが、心の何処かに傷が残っていたのかも知れません」
「誤解…なんですか?」
千尋の問いに、道臣は小さく頷いて見せる。
「はい。要約すると、看病にあたった柊は、忍人に薬を飲ませて汗を拭いて服を着替えさせただけなのです」
「はぁ…」
そう聞くと、高熱で寝込んだ者の看病の仕方としては普通のことのようである。それの何処に問題があるのだろう、と一同は首を捻った。
そこで、道臣は少し言い難そうに続けた。
「ただ、柊はそれを殆ど無言でやったものですから、半覚醒状態の忍人からすると強引に唇を貪られて無理矢理服を脱がされて好き勝手に身体中触られたと言うことに……しかも唯一の言葉が、大人しくなさい、だったそうです」
「身体の自由が利かない時にそんなことされたら、かなりの恐怖体験ですね」
しかもやったのが柊だし、と言う風早の呟きに、一同は深く頷いた。
「そんなこともありましたね。ああ、それで私は忍人の看病の当番から外されたのですか。道臣が、一度決まった当番表を変更し、自分が引き受けた用を私に押し付けるなど、珍しいこともあるものだと思ったことを覚えています」
「ええ、そうです。あなたに他意はなかったのでしょうけど、再び同じようなことがあっては困りますからね。とても、あなたに任せる訳にはいきません」
元々、柊に看病されては忍人も満足に休めないのではないかという懸念があったのだが、他の者の手が空かなくて仕方なく少しの間だけと思って当番に組み入れたのだ。それがあんなことになっては、もうどんな用事よりも忍人を優先すべきだと、道臣は抱えていた用件を可能な限り柊に押し付けたのだった。
「二ノ姫のお相手で慣れている風早は勿論のこと、ああ見えて羽張彦も布都彦のおかげかそういうことは自然と出来ていましたが、あなたは肝心な時に言葉をうまく使えなかったようですね。ですが詳しく話せば、あなたのことですからきっと面白がるだろうと思って、事情は言わなかったのですよ」
確かに面白がるだろう、と柊も含めて全員が道臣の見解に納得した。そして、柊と風早は肩を落とす。
「忍人も小狡い真似をしますね。道臣に泣きつくくらいなら、その場で私にはっきり嫌だと言えば良いものを…」
「俺もちょっと寂しいです。柊の次に忍人の枕元に付いたのは俺なのに、忍人は何も言ってくれませんでした。やっぱり、そういうことは道臣の領分なんですね」
「風早、そんなに気を落とさないでください。それと柊、忍人の話によると、あの子はちゃんと言ってましたよ。寄るな、離せ、嫌だ、やめろ、触るなって全部。普段からあまりにも言われ慣れていて、全て聞き流したのではありませんか?」
柊よりも道臣の言い分の方に軍配が上がった。そこでやっと、話が元に戻る。
「つまり忍人は、高熱でその時のことがフラッシュバックしてる…じゃなかった、恐怖が蘇ってるってことですか」
「恐らくは…。あの時は、私がそこまで言うならと、柊に他意はなかったのだと考えるようにすると言ってはくれましたが、心から信じていた訳ではなかったのでしょう」
「何しろ、柊ですからねぇ」
溜息交じりの風早の言葉に、一同はまた深く頷く。
「ねぇ、事情は解ったけどさ……そのことこいつの前で言って良かったの?」
「あっ、那岐の言う通りですね。そんな話を聞いてしまったら、今後忍人が倒れた時、柊が何するか解りませんよ」
「ええ、ですから柊、今ここで二ノ姫に誓ってください。弱ってる忍人には悪戯やそれと誤解されるようなことはしない、と…」
「我が君に、ですか?」
突然誓約を迫られた柊は目を丸くした。すると、風早がポンッと手を打つ。
「ああ、それは良い考えですね。柊は他の人との約束はのらりくらりと言い逃れて良く破りますけど、千尋との約束だけは何があっても守るはずです」
「当然です。我が君との約定を違えることなど、どうして出来ましょうか」
あっ、やっぱり他の人との約束は平気で破るんだ、という視線が柊に集中した。
「だったら、柊、約束して。道臣さんの言うように、弱ってる時だけでいいから…元気な時は少しくらいなら見逃してあげるから…それなら約束守れるでしょう?」
仁王立ちして誓約を迫る千尋に、柊は恭しく応えた。
「はい、全て我が君の仰せのままに…」
これで忍人は安心して休むことが出来る、と千尋はホッと胸を撫で下ろした。
そこへ那岐がボソッと呟く。
「あのさ、今、葛城将軍は遠夜に身固めされてるんだよね。今度は遠夜に襲われたと思ってたりして…」
その途端、一気に辺りの空気が冷え切ったのであった。

その後、完全に意識の戻った忍人に、千尋は恐る恐る聞いてみた。
「えぇっと、熱に浮かされてた時に遠夜がしたこと、覚えてます?」
「ああ、甲斐甲斐しくいろいろと面倒を見てくれて感謝している」
「あの…言葉が通じないからって、妙な誤解したりとかはしてないですよね?」
「どんな誤解だ?」
訝しむ忍人に、千尋は言い難そうに問いかけた。
「その…つまり…遠夜に襲われた、とか…」
忍人は、額のおしぼりを落とす勢いで上体を起こして、千尋の方を向き直った。
「君は、何を莫迦なことを言っているんだ!?遠夜がそんな真似をするはずがないだろう。何を見聞きしたか知らないが、柊じゃあるまいし……遠夜が何をしても、それは何ら他意のないことだ」
「そ、そうですよね。あはは…」
千尋は照れ笑いしながら、心の中で呟いた。
  忍人さん、やっぱりトラウマになってるのかなぁ

-了-

《あとがき》

子供らしく泣きじゃくる忍人さんと優しく慰める道臣さんを書こうとしたはずが……かなりヤバいことになってしまいました(^_^;)
柊に誓約を迫る際、元気な時なら少々のことは見逃すと付け加える千尋は、柊に忍人さんへの悪戯全面禁止令を出すのは「二度と顔を出すな」と言うのに等しいことを知っています。出来ない約束を無理強いするのは千尋らしくないので、この辺りで手を打ってみました。

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