ひざまくら

ある公休日、千尋は忍人と一緒に近くの草原へ出かけた。忍人が一緒なら、他に供の者を付けなくても近距離なら自由に出かけられる。堂々とデートが出来て、千尋はご満悦だった。
「気持ち良い~」
動きやすい恰好で、緑の絨毯の上に手足を伸ばして寝転がった千尋は、本当に気持ち良さそうだった。
しばらくそれに付き合った後、忍人は呆れたように言った。
「君は、こんなことがしたかったのか?」
「こんなことも、です」
その答えに忍人はキョトンとする。
すると、千尋は上半身を起こして、自分の膝を叩いた。
「忍人さん、ここに頭を乗せてください」
「な、何を言ってるんだ、君はっ!?」
忍人は驚いて跳ね起きたが、千尋はまた膝を叩いて言う。
「膝枕ですよ。私の膝を枕にして、忍人さんがお昼寝するんです。ほら、早く」
「しかし…」
「今日は目一杯私に付き合ってくれるって、言ってくれたじゃないですか?」
このところ頑張って公休日にも勉強をしていた千尋に、少しばかり息抜きをさせてやろうと誘い出したのは良いが、忍人はまさかこんなことになるとは思わなかった。
しかし、それを言われては、従うしかなかった。犯罪行為や不可能なことならともかく、恥ずかしいと言うだけの理由で拒絶することは許されまい。他に誰も居ないのだから、これは忍人の心だけの問題だ。
「…これで、良いのか?」
仕方なく千尋の膝に頭を乗せた忍人だったが、顔は千尋の足先へと向け、肩などに力を入れて完全には千尋に重みが掛からないようにしていた。しかし、千尋はそんな誤魔化しを認めない。
「ダメです。ちゃんとこっち向いて、力抜いて…私に頭を預けてください」
グイッと引っ張られて、顔が千尋に見えるように、忍人は強制的に寝返りを打たされる。
「ふふふ…」
狼狽える忍人の髪を弄びながら、千尋は楽しそうに微笑んだ。
「こんなことをして、何がそんなに楽しいんだ?」
「忍人さんは楽しくないんですか?こういうのって、私には憧れのシチュエーション…じゃなかった、ええっと、状況なんですけど…」
「…考えたこともなかったな。だが、この際、君が楽しいならそれで良いことにしよう。それに、君にそうして髪を撫でられるのは、なかなか気持ちのいいものだ」
柊に頭を撫でられると怒りと屈辱しか感じないが…と考えて、忍人は慌ててその記憶を投げ捨てた。今日は千尋の事だけを考えようと思っていたはずなのに、どうも柊の呪縛から逃れ切れない。
「どうかしましたか?」
「いや…何でもない」
忍人は目を閉じて、千尋の温もりに身を委ねた。

忍人の気持ち良さそうな寝顔を見て、千尋は幸せに包まれていた。
忍人の寝顔を見られる機会など滅多にない。一つの寝台を使っているとは言え、いつも自分の方が先に寝てしまうし、朝は大抵忍人の方が先に目覚める。たまに千尋の方が先に目を覚ましても、その時はまだ夜が明けておらず辺りは暗くて寝顔がよく見えない。
おかげで、これまでに見た忍人の寝顔と言えば、堅庭で転寝していた時のものくらいしかない。
だが、今、目の前で忍人が眠っている。
「うふふ…幸せだなぁ」
共に戦いを続けていたあの頃は、まさかこんな日が来るとは思っても見なかった。千尋が何か仕出かす度に、軽率だの立場を弁えろだのと怒鳴りつけるので、最初は怖い人だと思っていた。それがいつの間にか、何も言われないと寂しいと感じるようになり、自分は何処かおかしいのではないかと思い悩んだりもしたものだ。
「それにしても、本当に忍人さんって綺麗だなぁ。私より美人かも…。男の人じゃないみたい。腰だって私より細く見えるし…」
ちょっと悔しいな、などと思って千尋はツンと髪を引っ張ってしまった。すると忍人がビクッとしたので、千尋は慌てて手を離し、それから誤魔化すように引っ張ったところを優しく撫でる。
忍人が起きなかったのを見て安堵しながら、千尋はまた思想の海に浸かる。
「でも、ちゃんと男の人なんだよね。じゃなきゃ結婚出来なかった訳だし…。素っ気なく見えて、結構情熱的だし……って、やだ、私ってば何考えてんの!?」
千尋は記憶を振り払うようにフルフルと首を振った。
「もうっ、柊があんなこと言うから、いけないんだよ」
先日の柊の言葉を思い出す。柊は心配そうな表情を装って、千尋にそっと囁いたのだ。
「忍人は、ちゃんと姫を満足させて差し上げることが出来ているのでしょうか?何しろ、そういうことにはとっても疎い子ですからね」
からかわれているのだと解っているが、満足しているかと問われれば即座に頷くことが出来ない。お互いに忙しくてなかなか一緒に過ごす時間が取れないし、甘い言葉などは時折無自覚に放つ程度なのだから…。
ええい、気にしない!柊の言うことを全部まともに聞いていたら身が持たない、っていつも忍人さんに言われてるじゃないの!
そうやって柊の呪縛を振り払って、千尋は目の前で忍人が自分の膝枕で寝ている幸せを噛み締めたのだった。

「ん…だいぶ日が傾いて来たな。そろそろ戻るか?」
起き上った忍人に言われて、千尋も頷いた。
だが、立ち上がろうとすると、身体が思うように動かない。
「どうした、千尋?」
「あ、ははは…足が痺れました」
誤魔化すように笑った千尋に、忍人は複雑な顔をする。怒るべきか呆れるべきか迷った上に、心配も加わっているらしい。
「すまない、俺がいつまでも起きずに居た所為だな。重かっただろう」
そう言うと、忍人は千尋の身体を恭しく抱き上げた。
「忍人さんこそ、重くありませんか?」
「いや、とても軽いが…。俺が見ていなくても、きちんと食べているのか?」
「た、食べてますよ、那岐に呆れられるくらい」
那岐の方が少食なのだと思うのだが、パクパクとよく食べては「食べ過ぎじゃないのか」「太るよ、千尋」と呆れられている。
「忍人さんも、私が見てなくてもちゃんと休んでますか?よく寝てましたけど……疲れてたんじゃありませんか?」
そう言われて、忍人は苦笑した。
「本当に眠っていた訳ではないんだ。ただ、君の百面相が面白くて、起き上る機会がなかなか掴めなかった」
「百面相!?」
「おまけに何やらブツブツ言っていたから、つい寝た振りをしてしまった」
良く寝ているとばかり思っていた忍人が、実は聞き耳を立てながら、時々こっそり薄目を開けて表情を窺っていたと知って、千尋は耳まで真っ赤になった。
「寝た振りなんて狡いです」
「気付かない君もどうかしている。あんな風に髪を引っ張っておいて、それでも眠っていると本気で思っていたのか?そもそも、俺がこんな身を隠すところもない場所で無防備に寝ていられると考える方がおかしいだろう」
確かに考えが甘かった、と千尋は認めざるを得なかった。忍人は、千尋が楽しそうにしているから、付き合ってくれただけだったのだ。
そんな千尋の耳元に口を寄せて、忍人はそっと囁いた。
「次は本当に眠れる場所でやってくれ。その時は、足が痺れる前に叩き起こしてくれて構わない」
千尋は目を丸くして、それから嬉しそうに微笑んで、しっかりと頷いだのだった。

-了-

《あとがき》

乙女チックな夢のシチュエーションである”ひざまくら”を、千尋がやりたがってるので付き合ってあげた忍人さんでした。
その陰で、夫婦揃って柊の呪縛に絡め取られています。 この存在感は大したものかも…(^_^;)

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