すれ違い

「ねぇ、聞いた?今度こそ、陛下の縁談が纏まりそうなんですってね」
「ええ、武勇も身分も文句なしですもの。陛下にとっても、中つ国にとっても申し分のないお話だわ」
そんな采女達の噂話を小耳に挟んだ忍人の心はざわめき立った。
身分も武勇も文句なしで国の為にもなる、そんな相手は一人しか心当たりがない。
そして、彼が相手では破談にすることなど出来るはずがない。どれ程千尋と自分が愛し合っていようが、国で下されたその判断を覆すことは不可能だ。
国の為の結婚、それが女王の務めだと解ってはいても、こんな形でその現実を突きつけられるとは思っていなかった。否、千尋と想いを確かめ合った日から、こんな日が来ることを考えないようにしていたのかも知れない。

「忍人さん…あの…」
「今は公務中ですので、そのような呼び方は為さらないでください」
あれから何度か、千尋が傍に来て言い出しにくそうに何か話そうとする度に、忍人はそうやって会話を拒んでいた。
千尋の口からハッキリと聞きたいと思う一方で、聞きたくないという気持ちが抑えられなくなる。千尋が「忍人さん」と呼びかけるのをいいことに会話を拒み、私的な時間は顔を合わせないように避け続ける。

「大変です、千尋!忍人が、職を辞して旅に出ようとしてるらしいんです!」
日も登らぬ時分に風早に叩き起こされて、千尋は文字通り飛び起きた。着替える時間さえ惜しみそのまま駆け出した千尋に、風早は慌てて羽織る物や靴を持って後を追った。
「忍人さん、旅に出るって、一体どういうことなんですか!?」
夜着に裸足で部屋に飛び込んで来た千尋に、荷造りをしていた忍人は顔をしかめる。
朝一番で辞表を出して顔を合わせずに旅立とうとしていたのに、何処から洩れたものか…おまけに、女王がそんな恰好で駆けて来るなど軽率にも程がある。
しかし、今更そんなことを言っても始まらない、と忍人は目を逸らして応えた。
「俺は、何処か君達のことが知れない場所へ行こうと思う」
「それは…私のことが嫌いになったってことですか?」
「違う!嫌いになどなっていないっ!!」
嫌いになれれば、こんなに思い悩むことはなかった。
「君が好きだから…これ以上、傍に居ることに堪えられそうにない」
「それは、どういう意味ですか?」
「…例え君と結婚出来なくても、臣下として君を支えようと思っていた。それが正しい道なのだと…。だが、何度そう自分に言い聞かせても、駄目なんだ。君の隣に他の男が立つことを想像しただけで胸が締め付けられて…そんなことは許されないと解っているのに…このままでは俺は、羽張彦と同じ過ちを犯してしまう」
血を吐くような思いでした忍人の告白に、千尋は呆然とした。
「俺だけならまだいい、罪人の烙印を押されても……だが、他の者まで巻き込む訳にはいかない。ましてや君までそんな目には遭わせられない。中つ国と常世の両国から追っ手を掛けられての逃亡の日々など、君を不幸にするだけだ」
忍人がそこまで言った時、入口に立ち尽くしていた千尋の陰から風早が飛び込んで来た。

「忍人…ちょっと良いですか?」
笑顔で静かに声を掛けられて忍人が顔を上げると、風早は諭すかのようにその肩に両手を置いた。そして次の瞬間、その足が忍人の腹にめり込む。
「……っ!?」
咄嗟に腹筋を締めて辛うじて気絶は免れたものの、忍人はその場に崩れ落ちた。そんな忍人に、風早は容赦のない言葉を浴びせる。
「まったく…前々から莫迦だ莫迦だと思ってはいましたけど……本当に忍人は大莫迦ですね」
まるで柊のような言い種に、忍人は痛みを堪えてどうにかそろそろと目だけを上に向けて、風早の方を窺った。すると、風早が呆れ顔で続ける。
「あなた以外の男が千尋の隣に立つ?そんなこと、誰が許したとしても千尋が許すはずがないでしょう」
想像を超えた言葉に、忍人はすぐには意味が理解出来なかった。
「どうやら、あなたは千尋とアシュヴィンの政略結婚が決まったと勘違いしているようですが…そんなもの、千尋はとっくの昔にあっさり蹴っ飛ばしましたよ。他の縁談も同様です。無理矢理結婚させられるくらいなら死んでやる、って言ってね」
「死んでやる、って…君は、自分の立場が解っているのか!?」
身動きもままならぬ程のダメージを受けていようと、苦しい胸の内を告白した直後だろうと、弾かれたように顔を上げてそんな反応をしてしまうところが忍人らしいところだった。その様子に、千尋の硬直は解ける。そして笑顔を浮かべ、胸を張って答えた。
「勿論、解ってますよ。だから、その立場を利用したんです。向こうが私の血筋に重きを置いて心を無視するなら、私は心を守る為に血筋を楯にするまでです」
どれ程警戒しようとも、公式の場で女王の口に封をする訳にはいかない。武器になりそうなものを全て取り上げられたとしても、最悪の場合、千尋は万民の前で舌を噛み切ることが可能だ。そう仄めかされて、それでも政略結婚を強要出来るような者は居なかった。
「ならば、あの噂は…それに、君はあんなに言いにくそうにして、俺に何を…?」
「噂って、どんな噂ですか?」
異口同音に問われて、忍人は正直に答えた。すると風早が心底呆れたように言う。
「武勇も身分も文句なしで国の為にもなる、だから相手はアシュヴィンですか。あなた、自分が二つ名を持つ武人でありこの国で一・二を争う大きな族の出身だって自覚無いんですか?」
「一応あるが…黒雷と呼ばれる常世の皇ほどではないだろう」
忍人の言うことも一理ある…だが、しかし、千尋の態度も誤解を招く要因となったとは言え、あまりにも短絡的だと思う風早だった。

「えぇっとですね…何かその所為で誤解させちゃったみたいですけど…なかなか話を切り出せずにいたのには訳がありまして…」
忍人の部屋の隅で風早に手伝ってもらって身支度を整えた千尋は、未だに立ち上がることが出来ずに机の脚に凭れて座り込んだままでいる忍人に、申し訳なさそうに話を切り出した。
「さっき、言いましたよね?立場が解ってるのか、って…」
「…ああ」
「つまり、そういうことなんです。私は女王だから…それを楯に縁談を片っ端から断って来たから…私が誰かに想いを寄せるのを、彼らは手薬煉引いて待ってたんです」
「…そうだろうな」
その反応に、千尋は溜息をつく。
「忍人さん、自分の立場が解ってますか?」
「俺の立場…?」
ああ、やっぱり解ってない、と千尋も風早も思う。
「武勇も身分も文句なしで国の為にもなる、その点でも忍人は王婿として申し分のない人材です。それでも千尋は今まで、彼らの基準で忍人と同列に並ぶ道臣とシャニの名前を利用して、どうにか話が進むのを抑えて来ました。ですが千尋が忍人に想いを寄せていると知れれば、二人が今すぐの結婚を望んでいなくても、周りが勝手にお膳立てを整えます。あなたは勿論のこと、動き出したら千尋にだって止められません。破談にしたら、後でその気になっても手遅れですからね」
「だから、本格的に周りが動き出す前に、忍人さんの意思を確かめたかったんです。愛してると言ってはくれたけど、今すぐ結婚しても構わないと思っているのかどうか。ただ、それを確認するのはなかなか難しくて…でも、もう聞くまでもないみたいですね」
まさか、あそこまで言ってもらえるとは思ってませんでしたけど…と千尋は微笑んだ。途端に忍人は、頬に朱を走らせて口に手を当てる。
そんな忍人に近寄ると、千尋は顔を覗き込むようにして笑顔で問いかける。
「忍人さん、私と結婚してくれますか?」
「…それこそ、聞くまでもないだろう」
忍人はちょっと恨めしそうな顔をする。それから改めて、喜んで千尋との結婚を承諾したのだった。

-了-

《あとがき》

このまま一緒に居ると千尋を不幸にしそうだからと別れようとした忍人さんでありました。とんだ誤解だけど…。
更に千尋も少々誤解してます。あの忍人さんが女王相手に「愛してる」と言ったら、それはプロポーズに決まってるでしょう。
騙し討ちのようにして忍人さんに蹴りを入れる風早が、書いててちょっとツボでした。千尋を苦しめるものはニッコリ笑って蹴り飛ばす。殴るのではなく蹴るのは、本性が白麒麟だから?(^_^;)

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